街の暴動 — 神を奪われた群衆
2-1. 認知不能の絶望
朝、鐘は鳴らなかった。
祈祷ログは沈黙し、聖堂の端末はただ薄い青の画面だけを映している。
「送信済」
それ以外の返答はない。
初老の信徒が膝を折った。
昨日まで、彼の老いゆく身体を慰撫し続けてきた癒光は発生しない。
背骨に溜まった痛みが、氷片のように内側を擦る。
胸に残っていた「救いへの確信」は、言語化できないほど単純な回路だった。
魂は、証明だった。
祈りは、救いだった。
奇跡は、信仰の成果だった。
その全てが、一晩で剥奪された。
市民は裏切りと呼ばない。
裏切りには主体が必要だ。
ただ“神が存在しない”という演算結果を突き付けられた。
彼らの生活設計は、根底から崩壊した。
誰にも説明できない空虚は、胃の底で膨張し、
理解不能の恐怖は次の感情へ――暴怒へと転移する。
2-2. 暴徒化の理由
夕刻、最初の炎上は中央大聖堂前だった。
信徒の集団が壁面の聖絵を叩き割り、破片を投げつける。
それは理性ではなく、生存本能の反応だった。
理解できない構造の前では、
人は最も近い対象を殴る。
教会への襲撃は、祈りの返答装置を破壊する儀式のようだった。
神学の根幹にある空白へ拳を突き立てる。
彼らは罪を犯しているのではない。
帰属を奪われた個体が、居場所を探しているだけだった。
通りを歩いていた司祭が見つかる。
襲撃は刹那的だ。
白い法衣はすぐに血で黒く染まる。
群衆は叫ぶ。
「魂を返せ」
「奇跡を返せ」
「我らを置き去りにするな」
魔術学院の学生寮は石を投げ込まれ、
研究員は逃げ込んだラボの扉を殴打され続ける。
信徒たちは理解している。
神は沈黙した。
ならば神を壊した者たちがここにいる、と。
夜、古式魔術復古派が台頭する。
彼らは統計も理論も持たない。
ただ原初の呪いと祝福の断片を叫ぶ。
誰もがそれにすがる。
最も非合理な術式が、最も合理的な救済に見えた。
2-3. 軍の出動
都市の上空に、軍のホログラム告知が浮かぶ。
「自宅に留まれ」「宗教施行式は禁止」
それは祈りより速く、祈りより冷たい命令だった。
軍が繰り出したのは警棒でも火器でもない。
通信機の唸りとともに、灰色の兵員が展開する。
胸部装甲の紋章は、どの宗派の旗章とも似ていない。
魔導警備兵装。
対魔術人群制圧フィールド。
局所位相抑圧弾。
群衆が怒号を上げるより速く、
抑圧フィールドが地面に薄い波紋を描く。
波紋は人の体内魔力を数値化し、均等に切断する。
悲鳴は上がらない。
ただ膝が崩れ、喉が乾き、持っていた石が落ちる。
誰かが倒れる。
誰かが嘔吐する。
暴力が意味を失う瞬間だった。
兵士たちは祈りを守らない。
聖堂を守らない。
秩序だけを守る。
都市全域に放送が響く。
「反復詠唱を停止せよ。
神学行為は公共危険行為とみなす。」
信徒は泣き叫ぶ。
神は沈黙した。
軍は冷徹に応答した。
合理的な世界は、彼らの感情を計算外として排除していく。
夜更け、街に残ったのは割れた青ガラスと沈黙する塔だけだった。
誰も気づかない。
講堂の一室で、ケイがただ次の実験計画を更新し続けていることを。
彼にとって、信仰の崩壊は外乱ではない。
一つの正しい収束だった。




