遠い政治論争
襲撃は、誰もが油断していた「遠い政治論争」を焼き払った。
軍と学院。かつては議場の演算机上で音のない衝突を続けていた対立は、
燃え上がった研究棟の瓦礫の中で、質量を持った現実に姿を変えた。
ラクシアは敗北した。
彼女が守ろうとしたのは体系でも学派でもない。
学徒の未来、知の倫理、研究室の静謐——
しかし、そのすべては灰燼会の祈祷の乱流と、ケイの演算で蹂躙された。
争いの中心に立っていたはずなのに、議会の席では彼女だけが蚊帳の外だ。
研究者の言葉は、燃え残った配線のように脆く、誰にも接続されない。
アルノは正当性を得た。
冷徹な数字と再現性、被害対処の迅速性。
彼の報告は、軍の予算審査に噛み合う歯車の音のように滑らかだった。
敵意でも野心でもない。
ただ「有効性」の名の下に、政策は彼へ傾いた。
失われた命や焦げた壁面は、議論の速度を促す燃料にすぎない。
そしてケイ。
彼がその席に座っているにもかかわらず、誰一人として彼を「そこにいる人物」と扱っていなかった。
彼は研究資産、臨界処理ユニット、戦術的演算炉。
「測定条件を回復しただけ」と告げた彼の声は、
倫理の苦悩からも、軍事的歓喜からも距離を置いたままだった。
人間の感情という位相そのものが、彼の観測領域には存在しないのだ。
魂鎖研究の主導権は学院から剥がれ落ち、軍の掌中に落ちた。
倫理委員会は開催予定リストから消え、
議事録の冒頭には「安全保障」を冠した項目が並ぶ。
魔術の未来を論じるはずの円卓は、
いまや兵装の将来を計算する長机へと変貌した。
燃えた研究棟は、ただの施設ではない。
そこに眠っていた議論も、可能性も、反省も、一緒に焼却された。
倫理は——遺骸だった。
誰も拾わず、誰も弔わず、ただ黒い煙だけが空に昇っていった。
翌朝、灰のにおいだけが街路に漂っていた。
それは人間の敗北を示す証拠ではなく、
“資源”の誕生を祝う狼煙のように見えた。




