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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第三章 想いの継承、世界と人の業
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84話 幸運か呪いか

読んでいただきありがとうございます。

アルフォンゾ視点が続きます。

 


 ――男は、幸運だった。


 それを自覚しないまま生きてきたくらいには、それが当たり前だと思い込めるくらいには、幸運だった。


 三年前からずっと、挫折を認めずに上だけを見てきたアルフォンゾにとって、今回の魔女の一件が舞い込んできたことは、アルフォンゾがどん底に落とされてからの人生で迎えた最たる幸運であったとも言える。


 舞い込んできた際には、他にも無数にあるはずの辺境ではなくここエッジに配属を命じた憎いはずの中央の連中に感謝すらしたほどに歓喜に震えたことも、三年もの苦痛を経てようやく迎えた好機を逃すものかと奮闘した結果も全て、幸運が引き寄せたもの。


 魔女の報せに始まり、また別の魔女の噂、それから滅多に手に入らないはずの毒沼の泥を手に入れられたことに加え、魔女を罠に嵌めた手段も全て、幸運無くしては成り立たない程に幸運だと言える。


 何よりもおめでたいのが、当の本人はその幸運を実力だと思い込んでいると言う点だろう。


 名のある貴族の元に生まれたのも、生まれながらにして竜気への適性がある事も全て幸運が示していると言うのにアルフォンゾにとっては、そうなって当たり前だという認識しかなかった。



「ハァッ、ハァッ!! ぁぐっ……、くはぁっ!」



 だがしかし、今のこの状況は何だと言うのか。

 全てが上手くいくと信じて止まなかったはずの自分が、どうして追い込まれているのか。


 これまで、なんとなくこうすれば上手くいく、という勘に従って、実力でもって視線を潜り抜けてきたアルフォンゾにとって、窮地を脱する勘が全く持って働かない状況と言うのは生まれて初めてだった。

 否、アルフォンゾにとっては二度目とも言える窮地であり、一度目は言うまでも無く三年前の騎士育成学校卒業御前試合の時。アルフォンゾはその過去を無かったことに、これから覆してやるとばかりに奮起しているがゆえに気付いてはいないが、今のこの状況はその三年前とは比べられない程に追い込まれていた。


 何せ、命の危険が迫って来ていたのだから。


 今もこうして口から血を吐き散らかしてまで息を切らして生にしがみつくアルフォンゾは、残った魔力の全てを足に集中させ、必死になって、がむしゃらに森を抜けるために脇目もふらずに()()()に走っていた。

 生にしがみついていると言える程立派な人間ではない以上、アルフォンゾは中央への憧れに、憎悪にしがみついていると言った方が適しているだろう。


 竜気そのものと言った化け物、騎士の手には負えない化け物の情報を持ち帰るだけでも勲章ものだろう。何せ国民の非難に一役買うのだから。

 そもそも辺境の地に住まう以上、これより先のどこに非難するのか、という問題があるが、アルフォンゾからすれば関係のない話。


 あんな化け物を前にして生き残ることができた事自体奇跡、超幸運なのだ。部下を置いて逃げ出したと言う情報も、この傷を見れば命からがら情報を持ち帰るために撤退してきたのだとも言える。簡単に騙せるだろうと考えていた。


 アルフォンゾにとって得意なものは二つ。嘘を吐く事と、人を見下すことだった。


 中央まではいかなくとも近郊配備に変わる可能性が――と、もう間もなく森を抜けると浮ついた心で息を吐いた刹那。

 安堵し切った瞬間のアルフォンゾの背筋に怖気が走ったのと同時に、大地を奔る流星が襲い掛かる。


「!?」


 背後に迫る竜気を感知して振り向くことができたのは奇跡――、竜気を感知して振り向いたのではなく、それはほとんどが勘だった。


 この時のことを尋ねられたならば、嫌な予感がしたから、としか答えられないだろうと言うくらいの不意に、アルフォンゾは振り返った。振り返り、その目に映るのは一筋の流れ星。それが竜気を纏った矢だとは認識できないままに、確実に訪れるであろう死の未来を夢想させ、鼻血に塗れた顔面を恐怖に歪ませる。


 迫り来る流星を避ける手段などアルフォンゾには、無い。

 出来た事と言えば、その青い輝きが化け物の本体では無いことを知って安堵を覚える事くらいだっただろうか。

 せめてもの抵抗として、少年の姿をした化け物に立ち向かうと決めてから左手で握り続けていたナイフで弾こうかと試みたその時。


「っ、なぁっ!?」


 不幸なことに、グリップから滑るようにして左手から離れていくナイフ。

 国王から賜った二丁のナイフは見事にアルフォンゾの手から離れ、独り立ちしていく。


 竜気も魔力も尽きた状態で力が入らなかったのか、それとも手汗で滑ったのか……、それともその両方か。


 しかし不幸にもナイフはアルフォンゾの目の前を舞って、アルフォンゾの手元からは身を守る術が完全に消失した。竜気も魔力も、残っているのは使い果たした残りの搾りかすのような量しか残っていなかった。


 迫る流星の一撃が、寸分の狂いも無くアルフォンゾの眉間に到達する。


 間もなくしてアルフォンゾの命が潰える、と思いパニックに陥りかけた瞬間。




 ――アルフォンゾの手を離れ、宙を舞っていたナイフが使い手を求めるかのように青い輝きの一撃に飲み込まれていく。




 ナイフに向かって吸い込まれるかのように流星が衝突し、ガキン、と音を立ててアルフォンゾの眼前にて、お互いに砕け散った。


 それは最早、呪いかとも言える程の悪運の強さであり、一言で幸運とは言い切れない悍ましい何かを感じさせる運命力だった。


 降り注ぐ破片が、降り注ぐ竜気がアルフォンゾのこめかみを、頬を、首を傷付け、体のあちこちから流血をすると言う痛々しい姿になり果てるが、眉間に風穴が開く事に比べればその程度どれも軽傷に過ぎない。


 目の前でチカチカと明滅するは竜気の奔流。

 アルフォンゾは何が起こったのか理解するのでやっとの状況の中、地面に尻餅をついた状態で腰が抜け、ただ唖然と口を開けて呆ける事しか出来ない。

 それでも、やっとのことで追いついた頭は、体を打ち震わしては生の実感を噛み締めるように笑い声をあげる。





「――は、ハハ、クハハ……! クハハハハハッ!! 生きている! 俺は! 生きているぞ!! 俺は、生き延びたぞ! あの化け物どもから、生きて、生きて帰るのだ!! 俺は死なん……、俺は死なんのだよ!!!」





 緊張が解けたせいか、アルフォンゾは仰向けになって天を仰ぎながら、笑う。

 生き残った実績に自己陶酔しながら、笑う。


 折れた鼻も欠けた歯も、無数についた切り傷も、溢れ出るアドレナリンで何も痛みを感じない。むしろ踊り出してしまえるくらいに心地良い環境、無痛の状況の中で、狂気に駆られたかのような姿で笑い続けた。


 いつしか、「生き残ることができたのは俺の実力があったから」と言う結論に達し、夜の森の中ではアルフォンゾが自分を褒め称える言葉が延々と繰り返される。

 聞くに堪えない罵声や奇声を上げる行動は、立ち上がるに足る力が戻っても続いた。


 ようやく立ち上がった頃には忘れていた痛みが戻ってきていたが、それでも尚表情には自身を立てるような笑顔と共にうわ言を繰り返し、弾むような足取りで森を駆け抜けていくのだった。

















 灯りも持たずに森を抜け、街道に出たらば後は一直線に町へと駆け込む。

 アルフォンゾに取れる最善最良の行動はそれしかなく、今はただ中央への切符のために少しでも早く化け物の情報を持ち帰らねばならなかった。

 そのためには、息を切らして、さも命からがら逃げきってきました、と言えるような説得力のある演技をして見せかけなければならない。命からがら逃げ延びた、と言う状況は何ひとつとして間違ってはいないが、今のアルフォンゾの顔は溢れんばかりの笑顔を湛えており、狂気の沙汰としか思えない風貌であった。


 それを少しでも違和感がないようにと笑顔を削ぎ落し、魔力による身体強化も切って街道を上っていく。整備されていない街道は歩きづらく、ただ走っているだけでも疲労がたまる。これなら森の中の獣道を奔った方が楽だと思いながら、随分と速度の落ちたペースで町に近付いていくと、アルフォンゾはいつもとは異なる町の様子に足を止めてしまう。


「――何故、騎士団が動いている……?」


 エッジの統括騎士長は臆病者で有名。

 家格が高いがために統括騎士長に座しているだけの、騎士の誰からも尊敬を集められていない騎士であった。ゆえに、自分の周囲を守る騎士を一人でも減らすのが怖いと言う理由だけで滅多な事では騎士団を動かさない騎士としてはアルフォンゾと同等なくらい自分本位な人間であった。


 アルフォンゾが配属されて三年もの間一度しかなかった動員命令が実行され、かつ、こんな夜更けに動いていることが信じられなかった。その一回も、今回の魔女騒ぎで人海戦術で森を捜索した際の一回きり。それがまさか、こんなにもすぐに二回目が発動されるとは思ってもみなかった。


 とは言え、アルフォンゾにとってあの化け物が周知の目に晒されるのであれば自分が生きて帰ってきた事実にさらに価値が付く。などとろくでもない考えを巡らせながら騎士団の様子を伺う。


 外の魔物から町を守るための外壁の前に松明を掲げて見える範囲でも、アルフォンゾ率いる第二分隊以外の全部隊が動員されていることが分かり、周囲を警戒する騎士の一人が夜の闇に浮かんだアルフォンゾの姿を見つける。

 アルフォンゾにとって顔馴染みの騎士であるが、思いもよらない事態に取り繕う事を忘れかけていたのを慌てて取り繕っては、息も絶え絶えの様子で駆け寄ってくる騎士の肩を掴んだ。


「――ばっ、化け物がっ、化け物が出た!!」

「アルフォンゾ、その傷……! ぶ、部隊の他の奴らはどうしたんだ!?」


 騎士の声に、気安く名前を呼ぶなと心の中で吐き捨てるが、表情には決して出さずに力なく首を横に振るだけに留める。そうすれば、勝手に男が勘違いしてくれるだろうから。

 そうこうしていると、何事かと異変を感じ取った他の騎士が野次馬をしに駆け寄ってくる。それを確認したアルフォンゾは、ここぞとばかりに大きな声を上げて騎士達の恐怖を煽る。


「――化け物だ、それも二匹! 森に化け物が出た!! サイオンもキリスカもマスリも、みんなやられた……! ジガレイトがなんとか時間を稼いでくれて、俺だけも逃げろと……!」


 嘘は言っていない。

 少しばかり誇張はしているが、その事に気付ける人間はいなかった。

 アルフォンゾの実力を知る騎士達は顔を青くして不安に駆られる。アルフォンゾは腐っても騎士育成学校の次席卒業であり、普通ならば中央か前線に立っていてもおかしくはない実力を持っているからこそ、鎧は半壊しナイフは紛失していると言うアルフォンゾの状態が恐怖に値するものと分かるのであった。

 しかし当然、それを知らない若輩騎士が、青臭い息を吐いてアルフォンゾの行動を非難する。


「先輩、それなら仲間と一緒に鎧が砕け散るまで戦うのが騎士ってものでは? 敵前逃亡は騎士として最も恥ずべき行動。そんな事実がもし国民に伝わってしまえば、我々騎士の名が地に落ちます。先輩は騎士の名前に泥を塗ったのをお分かりですか?」


 語末に、それが分かったなら死ぬまで戦ってこい、と加える青年騎士に対して、アルフォンゾは以外にも腹を立てることなく、凪いだ気持ちで受け入れることができていた。

 それは当然浴びせられる言葉だと予測していたのもあったが、それ以上に愚かな人間を見た、というごく自然な流れで青年騎士を見下していたからであった。


 人間は羽虫に貶されたところで、その声が胸に刺さるはずも無く、耳に届く事すらない。

 そんな圧倒的なまでのマインドで、俯いては悲しんでいる振りを続けていると、頭上から降り注ぐ騎士達の声が掻き消え、目の前に見慣れない靴先が映り込み、異様な空気を感じて顔を上げると、そこには一人の老人が立っていた。


「ジガーがやられた、とは真の事か、第二騎士分隊部隊長アルフォンゾよ」


「は――」


 ジガーがジガレイトを差すことだと即座に頭を回転させそれに至った自分を、アルフォンゾは褒めてやりたい。その老人が現れた瞬間、この場の空気は老人に支配されたかのように静まり返り、あの化け物が現れた瞬間によく似た状況に知らず汗が流れ落ちた。

 そして、アルフォンゾの取ったその対応が間違いでなかったことに嘆息することになるのは、直後に上がった顔馴染みの騎士の男の言葉によってだった。


「こ、これはエルルソン特等審問官殿っ。この者はたった今帰還したばかりでして……!」



 ――特等審問官、だと!?



 審問官が中央騎士と同等の権限を有すると言うのは、審問官が中央騎士の中から選出されるからであった。ただでさえエリートである中央騎士の、その中でもより優れて素質ある騎士が選ばれる審問官。

 そんな審問官の中でも位が存在し、下から二等、一等、特等と上がっていき、最上位の特等審問官は王国全土でも片手で数えられるくらいの人数しか存在しない、まさに選ばれし人間なのであった。


 そんな特等審問官がこんな辺境に何故いるのか。この騎士動員もこの特等審問官の命令なのか。

 無数の問いが生まれてくるが、その一つでさえもアルフォンゾは口にすることができない。

 目の前の老人、エルルソン特等審問官の放つ空気に吞まれないようにすることで精一杯だったから。それでも、瀕死に近い肉体と精神でも支配した空気に抗える程度である以上、化け物の放つ威圧感よりも格下であることが分かる。


 ――あれは、あそこに立っているだけで死を感じずにはいられなかった。


 それが分かるや否や、まともな呼吸を繰り返せるようになるアルフォンゾ。

 隣の騎士なんかは大量の汗を滲ませている以上、あの化け物を目にした日には卒倒してもおかしくはない。


 そんな余裕すら見せ始めたアルフォンゾを見て、エルルソン特等審問官はその皺の深い目尻をほにゃ、と緩めた途端、好々爺然とした雰囲気に逆戻りする。


「ほほほ、驚かせて済まなんだ。その男にはちと用があってな。借りてくぞ?」

「はっ!」

「歩けるか? 歩けなければワシが運んでやるが、その傷程度なら歩く事は造作もなかろう?」

「歩け――ます」


 流石のアルフォンゾと言えど、一回の部隊長でしかない自分と王国の最上位に君臨する特等審問官相手には敬語を用いて接することを強いられる。

 とは言え、元来人を見下すことしか能のないアルフォンゾの頭の中では、あの化け物にも劣る老人を敬う事は出来そうになかった。


「まずはその腐った精神を見直すべきだろうよ」


 後ろを三歩遅れて着いてきているアルフォンゾを振り返ることなく言葉を続ける。


「お前は生き残ったのではなく、見逃されたのだと気付けぬ時点でジガーの足元にも及ばんよ」

「……ッ」

「そう簡単には治らぬからこそ、こんな場所で燻っておるのだ。せめて実力に見合うだけの性格を、張りぼてでもいいから作り上げるべきだな。……まぁ、性格の矯正はワシの仕事ではないからの、まずは茶でも飲みながら、その化け物について聞かせてもらうとしようか」


 案内された先は、陣営の中でも一際大きな天幕。

 そこは紛れも無く司令官室、この場で言う統括騎士長が構える居城であるが、エルルソン特等審問官はなんの許可も得ることなく天幕の中に入っていく。

 それがさも当然であり、特等審問官としての当たり前であった。


 だがしかし一介の騎士であるだけのアルフォンゾがそんな真似をしては即刻首を刎ねられてもおかしくはない以上、アルフォンゾは入室の許可を求めてからエルルソン特等審問官に引きずり込まれるようにして天幕に入っていくのだった。








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