7話 他の大勢を救うためには、少なからず犠牲はつきもの。
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歓楽区は本日も盛況。
上級区が誇る商業区のような、奇跡を実現させる道具や神秘の力が宿る道具が並んでいるわけでもない。
ただその日を生きるのに必要な品々を吟味するだけなのに、行き交う人々で賑わいを見せている。
そんな光景を窓から見下ろしながら、幻想部隊の部隊長、最強の幻想師たるガリウスは部下からの報告書に目を通していた。
「……また、一人逝ったか」
『東部からの魔物が絶えないのであれば、あなたが行くべきだった』
ガリウスの声に反応したのは、感情の乗らない冷淡とした声。
それはおよそ声帯から発したものとは思えないように部屋全体に響くも、耳を劈くような不快感は与えない。感情の乗らない声に不安を与えるが、その心地よさは不満を消し去る自然の音色だった。
声の主は、ガリウスの半身、牡鹿の幻想種である。
「後継が育たぬ地に未来はない。俺かて不死身ではないのだからな」
『優秀な人材と主より賜った幻想種を失って、後継が育ったと言えるのか』
「俺の予想では、少なくとも五人は死ぬと考えていた。だが結果はどうだ。損害は僅か一人に抑えられた。このまま強化していくことができたなら、いずれ外界……、外の世界へと侵攻することができるだろう」
『……私たちはまだしも、子らが生きていける環境とは限らない』
「そのための強化だ。力をつけ、外の脅威に耐えうる肉体と精神、そして圧倒するだけの力が必要なのだ。足りないのだ。……このままでは幻想の森に未来がないことを分からない連中が多すぎる。外界の魔物の発達具合、それらが生きる中で暮らしているであろう外界の民。交渉ができるのであれば、外界の豊かなはずの資源も未来に引き継ぐことができると言うのに、それを、聖区の老いぼれ共は分かっていない」
『そのどれもが憶測に過ぎない。分かっていないのは貴方ですガリウス』
「ふん、貴様が言ったのだろう。遠くない未来、幻想の森が崩壊すると。生涯で一度だけ見せると言ったあの景色……。今も夢に見るのだ。俺の前に立つ女が何者か、今も分からないままだ。……あの日から三十と余年。ようやくこの地位に立てた。それとも何か、また別の未来を教える気にでもなったのか?」
『…………そのためには、御子すらも利用すると』
「当然だ。今回の撃退戦でも無事生き残った。俺の意志を継ぐ者として、存分に生きてもらう」
『そうやって、これまで何人もの御子を使い捨てたのか』
「聞かずとも、貴様には未来が見えていたはずだ。それを止めることもしなかった貴様が今さら声を上げたとて、とうに遅きよ。貴様は――俺たちは既に、引き返すことのできないところまで来ているのだからな」
ガリウスの言葉に、幻想種の牡鹿は黙り込んでしまう。
返す言葉が見つからないのが事実な上、長い年月を経ようとも変わらぬ未来に、そっと瞼を閉じるのであった。
シン、とした部屋の空気が凍る直前、タイミングを見計らっていたかのように扉をノックする音が響いた。
「――入れ」
「し、失礼いたします! 聖区よりご報告でございます。お時間よろしいでしょうか!」
「何事か」
「奥方様が産気づく兆候に入った、との知らせにございます! 本日中か明日、もしくは近日以内にはご出産とのことでございます!」
「――そうか、分かった。下がれ。……この家の家族を呼んできてくれ」
「は、はっ!」
音を立てないよう、使いの幻想部隊員が部屋を去った後、ガリウスは一人悔し気に歯噛みする。
当初の想定を大きく外れる事態に、悔しさを露にするガリウス。
本来ならば、既に確保してあった幻想の実を使って女を回復させた後に、時期が来るまで飼い殺すつもりだった。
それが一丁前に生に縋りつくなど、上級区で生き、恵まれた生活を送ってきた以上はそのお役目を果たすのが義務だと言うのに。
――幻想の森では、命が竜気として循環している。
エネルゼアと言う真祖の龍が作った幻想の森。
外界と森を閉ざす霧の結界によって竜気は幻想の森全体に行き渡って森を満たす。
そして、エネルゼアの体内と変わらない竜気の濃度に対応すべく、生まれる人間には竜気を使って生み出した幻想種が与えられる。
そして人と幻想種が息絶える時、その命は竜気となってエネルゼアに還され、また新たな命として芽吹く。
これが幻想の森での命の循環であった。
人が増えすぎても、減りすぎてもいけない。そんなバランスを調整してきた秩序の守り手であり、汚れ役こそが幻想部隊の面々であった。
お迎えは、死に瀕した人間を竜気に変換することを指す。
死してからは、自然に竜気が還ってしまうがゆえに、最も効率の良い竜気の回収方法こそが、お迎えと言う機構なのであった。
その肉体が死ぬ直前にエネルゼアが竜気を蓄えた人と幻想種を食らう事で、また新たな命が幻想種として、赤子の半身として生まれるのであり、ガリウスはそれを利用ようと考えていた。
――生まれてくる我が子に、上級の幻想種を授ける。
そうして生まれた子供を、自分を守るために育てる。
いつか来る未来に備える盾として育てようと考えていた。
もう二度と、自分の子に下級の幻想種が与えられるなどと言うことが無いように。使える駒は多ければ多い方がいい、と。
このやり方は聖区の人間からは批判を食らったが、機構には反していないの一点張りで対すれば、倫理だなんだとの精神論、道徳論でしか語れない老人は黙らざるを得なくなる。
しかし、数多いる子を孕んだ妻の産気と、有力な上級の幻想種を持った人物のお迎えが重なることは滅多に無かった。そして今回、ようやく見つけた死に瀕した、寿命を迎える神性竜種の幻想種。実際には人の体が竜気に耐えられずに死に向かう状況であるが、ガリウスが待ち望んだ機会がようやく奇跡にも近い確率で機会が巡ってきたのだ。
――だと言うのに。
その苦労も知らない、来る崩壊も知らぬ癒し手ごときがガリウスの意志をあろうことか拒否するなど。そうして計画に支障がきたされたことが何よりも腹立たしかった。
古きしきたり、秩序に則り四週もの間手を下さずにいたことを称賛されてもおかしくないくらい、ガリウスの内心は荒れていた。
しかし、そのガリウスの苦労を嘲笑うかのように、その女は生き永らえる。
あの時広場で目にしたとき、四週も持たずしてくたばるはずだと判断できるくらい竜気が薄かったからこそ、苦しむであろうと言葉を残したに過ぎないが、三週経った今でも生きているなど、到底信じられない生命力であった。
ガリウスの意図を汲んで歓楽区全域で爪弾きにされているというのに生き永らえる下級区民に、妻の産気の知らせを聞き、ついに動き出す。
ガリウスは、ここまで整えられた舞台を台無しにするような真似をする輩には、例え聖区の人間であろうと叩き切る所存であり、たった一人の小娘相手に固執しなければならない程に追い込まれていた。
再び扉をノックする音が聞こえ、ガリウスの許可に続いて姿を見せたのは、下級区で最も上級に近いと豪語する商店を営む男とその家族であった。
ガリウスにとっては扱いやすいと言うだけで自ら近づいてきた相手を利用しているに過ぎず、下級区の人間の差など、毛頭興味がなかった。
呼び出されたシュウの家族はガリウスを前に、引きつった媚び売る笑みで顔色を伺う。
レイにあれだけ嘲笑をとばしていたシュウも、借りてきた猫のごとく縮みこんでガリウスの背を覗いていた。
「お、お呼びでしょうか……?」
「お前たちの息子の幻想種……。その力を今示してもらうことに決めた」
「まぁ……! で、では、その結果次第で……?」
ガリウスの言葉に沸き立つシュウの一家は、シュウに期待の声をかける。
汚らしい家族の意思を幻想部隊に入れるのは御免被りたいが、使える手段は全部使うと決めたガリウスに退くつもりはない。
「して、いかように力を示しましょうか。魔物を狩りに行かせますか? それとも、幻想師様と手合わせでも――」
「――幻想種の力でもって、お前たちが愚か者と呼ぶ女を抵抗できなくしてもらう」
「…………はい?」
「お前の幻想種、マンティコアの毒ならば容易いことだろう。期限は今日中。良いな?」
その時、シュウは初めてガリウスの眼差しを直接受ける。
この日まで、何度も何度も両親ともども幻想師への入隊を希望し続けていたものの、ガリウスがその目をシュウに向けることは一度足りとてなかった。
それが、今日、生まれて初めて感じた腹の底から沸き立つ感情に、自身の影に潜む幻想種までもが充てられて「チキチキ」と鳴いた。
「そこにいたのか、マンティコア。では、話は以上だ。下がれ」
「き、今日中、ですか……?」
ガリウスさえも欺いた隠密からして、シュウの幻想種の実力は確かなものと言えるが、シュウは生まれてこの方、その能力を扱ったことがない。
レイに言い放ったハンデも、自分が使えないことを棚に上げたに過ぎず、ましてやそれを人に使うとなると練習も含めて数日は時間が欲しいところだった。竜気と幻想種の力を引き出すのとは、また話が別なのであった。
下がろうとした両親の間で疑問の声を口にしたシュウに対して、父と母は肝が冷えるあまりシュウの体を引きずり下ろす。
「……できないのか? できぬと言うなれば、また別の者を使うまで。良いか?」
「め、めめめめ滅相もございません! シュウは、息子は急な抜擢に気が動転しているだけでございます故、本日中にガリウス様のお気に召す結果を御覧に入れて差し上げます! では、失礼いたします!」
バタン、と音を立ててガリウスの視界から去った家族は、部屋を出てすぐの廊下で期待の息子に言い聞かせる。
「いいか、シュウ。お前は優秀な子だ。ガリウス様の願いを叶えたとあれば、それなりの地位を優遇してくれるに違いない。絶対に成功させるんだぞ」
「そうよ、シュウ君ならできるわよ。絶対に失敗できないのだから、気を引き締めて向かいなさい。昨日のような失態は許されませんからね」
「は、はい……、お父様、お母様……!」
レイと賭け試合をして、見事打ち負かして店に近寄れなくして帰ったあの日、傍から見れば泥に塗れて辛勝といった姿に、母は失望した様子で「みっともない」とつぶやいた。
その言葉、声が今も脳裏に焼き付いたままのシュウにとっては、汚名を返上する上に名誉を得るまたとない機会を与えてもらえたのだ。二人の期待を背に、シュウは頭を上げて前を向く。
「愚か者に、エネルゼア様の罰を――」
その日の日暮れ、シュウは自身の半身が作り出した丸薬を手に、レイに近付く。
「お、おい、レイ――」
その醜い心根を隠すかのように、仮面の如き笑顔を張り付けたシュウは、レイに近付いては、死神の鎌をその首に添えるのだった。
『マンティコアの毒は万物を殺す。同族を殺したとなれば、罪は――』
「その程度の罪であれば、俺がいくらでも被ろう。お迎えなど、体のいい犠牲者選びだと、何万という数をその手で葬った真祖を責めれるのであればな」
『主を愚弄するは、半身とて許しはしない』
「……だが、マンティコアが俺の手に入るとなれば、もっとやりやすくなる、か。これはいわば実証実験に過ぎない。他の大勢を救うためには、少なからず犠牲はつきもの。当時の俺にそう教えたのはお前だっただろう」
『…………』
――幻想の森は、夜を迎える。
暗く、長い、明けない夜を、迎えてしまう。