61話 比べることのできない美しさ
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本日六話目。
アイリーンが泣き止む頃には、レイは膝枕から解放されており、ソファで横に並んで佇んでいた。
泣き止んでからしばらくの間も静寂は続き、頭と太ももと言う極度の密着状態から比べれば酷く可愛い距離で、お互いに気恥ずかしいのか、微動だにすることなく座っていた。
すぅはぁ、と息を整えたアイリーンは、隣に座るレイに泣き腫らした目を向け、待ちゆく人が振り返るような美貌にいつもと変わらぬ微笑みを湛える。
けれどもその笑みはこれまでとはまるで違う、どこか吹っ切れたような、憑き物が落ちたかのように清々しく美しい笑みだった。
レイが、今まで見た中で二番目に綺麗だと感じた笑顔にすっかり見蕩れていると、アイリーンは少しだけ照れ臭そうに頬を朱に染めて口を開いた。
「……ごめんなさい、みっともないところを見せたわね」
謝罪を口にするアイリーンに、謙遜を示すレイ。
事実、レイとしては思っていたことを口にしただけだし、アイリーンがこのまま諦めて後悔する姿を見たくなかったという、エゴの塊のような行動をとった次第。口にした瞬間は気持ちが良かろうとも、アイリーンが泣き止むまでの間ですっかり冷えた頭では、なんてことを口走ってしまったんだ、と内心では怯えていた始末。
心境を探れるシオは、感心したのも束の間に、すっかり呆れて本気寝に入ってしまった。こうなったらシオはお腹が空くまで起きてはくれないものだ。
相手の立たされている状況に寄り添う事もしない言葉の数々。
諦めたくて諦めるのではない、と言い返されてもおかしくない発言に、息を整えたアイリーンになんて言われるか冷や冷やしていた旨を、レイは包み隠さず伝える。
「――そう言う訳なんです、考えなしだったんです……」
そもそも膝枕されている状態でなにか考えのある事が言えるはずも無く、レイはただただ無様を晒しただけなのでは、とたちまち窮地に追いやられていく。
一人慌てふためくレイの様子を見たアイリーンは、目を皿のようにしてポカン、としたのち、お腹を抱えて笑い出す。
「ぷっ、うふふ、あははははっ!」
「あ、アイリーンさん……? 怒ってないですか?」
「怒る? 私がレイ君に怒る事なんて何もないわよ? ただ、おかしくてっ」
先ほどの涙とはまた違った意味の涙を目の端に浮かべたアイリーンは、もう一度呼吸を整えてレイに向き直る。
「――グレイのようなことを言ったかと思えば、急に自信が無くなるのね。そんなところまでグレイに似るなんて、面白くてつい笑ってしまったわ。……でもね、レイ君。私は嘘偽りなく、今のレイ君の言葉に気付かされた。励まされた。勇気を貰えたの。だからこれからも、私みたいな人にはそうやって、レイ君の思いの丈をぶちまけちゃいなさい」
その思いの丈が心に届くのだから、と満面の笑みで言ってのけるアイリーン。
先ほどまで励ましていたはずの相手に、逆にアドバイスを受けるはめになったレイは目を丸くして頷く。
「それとね、あの人ならこう言うと思うわよ。そんな時は、――嘘でもいい、見栄でもいいから、笑え! ってね」
「っ! に、似てます! 凄くグレイ爺っぽかったです!」
声はまるで異なるのだが、それでも尚余りある「っぽさ」でグレイ爺を演じてみせるアイリーンに笑顔を浮かべるレイ。
グレイ爺なら絶対にそう言うだろうな、むしろこう言った時に胸を張って我武者羅に笑って見せるグレイ爺の方が容易に想像できた。流石はグレイ爺の伴侶。レイの知らない一面を知っている。
一頻りグレイ爺の話題で盛り上がったのち、落ち着きを取り戻した空気の中、アイリーンがポツリと感謝の想いを言葉にする。
「……ありがとうね、レイ君。あのままだったら、きっと、間違いなく後悔していたわ。だからもう一度、セリカと向き合ってみるわ。それが、母親としての最後の仕事になるかもしれないから」
恐らく、アイリーンはレイが口にした内容を、誰かに言ってほしかったのかもしれない。背中を押してもらいたかったのかもしれない。それと同時に、自分が居てもいいと言われる逃げ場もまた、求めていたのかもしれない。
けれども、行き着く先の答えに決意めいたものを感じさせるアイリーンの言葉にレイは不安がよぎる。
そんなレイの胸中を知ってか知らずか、アイリーンは「だからね」と力なく微笑みながら言葉をつづけた。
「もし駄目だったら、一緒に笑って……、泣いてくれるかしら?」
「……もちろんですっ!」
願わくば、そうはならないようにとごちるレイに対して、アイリーンは長年詰まっていた胸のしこりが取れたかのように爽快感溢れる様子で伸びをして、ソファに目いっぱい体を預ける。
「……一緒に笑う、か。グレイもそう言って、良く励ましてくれたわ」
遠い過去を思い出すように天井を見上げるアイリーンの横顔は哀愁漂う様子で、昔を懐かしむ。
このソファで、グレイ爺と並んで時間を過ごしたことでも思い出しているのだろうか、アイリーンは神妙な面持ちでポツリとレイに尋ねるのだった。
「…………あの人の最期は、どんなだったの」
ソファに身を委ね、天井を見上げたままの状態で、アイリーンは静かに問うた。
お腹の前で組まれた手が微かに震えているのを、レイは見逃さなかった。
出会った初日にレイが伝えるよりも早くグレイ爺の最期に感付いたアイリーンは、それ以来レイの口に鍵をかけるかのようにグレイ爺の最期に関しては話題に上げていない。
それはアイリーンがわざと話題から避けているのと同時に、レイもまた、アイリーンとグレイ爺の二人の間には占有される特別な感情がるのだと思っていたから、深くは踏み込まなかった。それでいいと思っていたから、踏み込まないでいられた。
けれどもアイリーンは今、セリカに向き合うと決め、新しい一歩を踏み込むために、聞かないようにしていたグレイ爺の――愛した男の最期を知るべきだと判断したのだろう。
だが、そんな決意に泥を塗るかのように、レイは言い淀んでしまう。言っていいものなのか、と逡巡を繰り返す。
なぜなら、娘思いのアイリーンが、苦渋の決断として母であることを諦める道を選ばざるを得ない状況に陥らせたのもグレイ爺に原因があると知ってしまったから。アイリーンが母として必死で苦悩し生きてきた半生を思うと、口が裂けても「笑顔で逝った」と馬鹿正直に伝えられるはずも無かったのだ。
しかし、アイリーンは言わずもがな、セリカにもまた、グレイ爺の最期を知る権利がある。知らなければならないのだ。
「グレイ爺は――」
これ以上の沈黙が続いてしまえば、アイリーンは要望を取り下げるだろうと考えたレイは、自分の意見は他所に置き、アイリーンの願いを叶えるために語り始める。グレイ爺の最期と、伝えてほしいと願われた最期の言葉まで。
外の世界に踏み出した目的の一つでもあり、知りたいと願う相手に、知っている情報を話す。ただそれだけなのに、レイは想像以上に緊張した。
先のアイリーンに向けた言葉を放つ時よりもずっと緊張したのだった。
アイリーンの隣で背筋を伸ばし、グレイ爺の最期を語る。
――笑って逝った。妻達を愛していた、と。
「――最後まで、笑顔だったのね。何よりもあの人の人生らしいわ。……本当に」
全てを聞き終えたアイリーンが感慨深く呟くと、その頬に一筋の涙が零れ落ちる。
その一瞬だけ、アイリーンの姿が年相応に老け、目元に皺の刻まれた女性の姿が露になる。
その横顔は、正しくグレイ爺に人生を預け、共に歩んだ年の頃を感じさせる女性が佇んでいた。
しかしそれも、一瞬の瞬きで元の美女の姿に戻ってしまう。
一瞬だけ露になった姿こそがアイリーンの本当の年齢の姿かと思うも、どちらも比べることのできない美しさを誇っているものだ、とレイは黙って感嘆する。
グレイ爺の最期を知ったアイリーンは泣き崩れるでもなく、怒りに暮れるでもなく、一筋の涙で別れを済ませた。それを薄情だと罵る人間もいるのかもしれないが、レイにとってはその関係がとても温かく、眩く見える。
別れを済ませたアイリーンは、やがてぽつりとグレイ爺の思い出話を語り始める。
「あの人は、いついかなる時でも笑顔を絶やさなかったわ。それが素敵だと思う反面、不安に思う時があったわ」
「不安……?」
「えぇ、不安だったわ。……違うわね、少し、寂しかったんだわ。あの人はどんなに苦しくても、弱っていても笑顔。それが、とても寂しくって、不安だったのよ」
自分の感情を整理するかのように一つ一つ声に出して語っていくアイリーンは、あんなことがあった、と楽しそうに、そして同時に寂しそうに語る。
「弱みを見せない、苦しくても我慢する。その辛さは、本当に苦しいものよ。どんなに心が強くても、必ず限界は訪れるもの。それを繰り返していくと、いずれ自分の心が疲弊している事にも気付けない。気付いた頃には、取り返しのつかないところまで行ってしまう……。最後には、全てを放り出して逃げてしまいたくなるまで追いつめられるの」
それに気付いてあげられなかった、とグレイ爺を責めるでもなく、後悔として自分に言い聞かすように語るアイリーンの言葉に、レイは黙って耳を傾ける。
「だからね、レイ君とシオちゃんも、苦しい時は苦しいって、辛いときは辛いって言えるように、弱音を吐けるようになりなさい。周りの人は必ず助けてくれるから。存分に頼ってちょうだい」
ぱちり、と華麗なウインクを決めるアイリーンに、レイは照れ臭さそうに苦笑しながら首を縦に振る。
「当然、笑顔も大事だけどね、それと同じくらい、感情を表に出すことは大切だし、必要な事なの。辛かったら泣いてもいい、苦しかったら誰かに寄り掛かってもいい。その事は、忘れないでいてね」
「はいっ」
レイの手を取って優しく語りかけるアイリーンの姿に、母親と言うものを生まれて初めて感じた瞬間であり、憧れに近いものを抱くレイは、力強い首肯を返した。
レイにとって母親に最も近かった存在であるヒジリよりも広い愛情でもって包み込むアイリーンの腕は、抗いがたい魔力に満ちているようで、「レイ君のお陰で気づけたのよ」と言って慈愛に満ちた抱擁を受け入れるのだった。
ヒジリから受ける愛は、これまでの誰よりも深く、大きな愛であり、それが母からの愛かと聞かれればヒジリもレイも、揃って首を横に振るだろう。レイが抱く母親像としては、幻想の森のサオリおばさんに加え、村の食堂を営むジェニーの姿が思い浮かぶが、前者はアカリの母親であり、後者はメイラの母親だ。レイの母と呼べる人物に出会ったことがなかったのだが、今日この瞬間、レイは母なる存在を改めて理解することができたのであった。
ブクマ、評価等ありがとうございます。
誤字報告助かります。
アイリーンは多分、この作品の中で一番の美人です。




