62話 来訪
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母は強し、騎士は悪。
外の世界、主に王国と呼ばれる世界での話を聞かされた日の翌日、早朝。
アイリーンもセリカも起きてこない時間に、レイとシオは二人で川辺に出て軽く汗を流す。
軽くとは言え、体が鈍らないよう、全力で鍛錬に取り組む。
空中に舞い上がった石の礫の数は十を超え、その全てをレイが放った矢が中心を捉え、穿ち抜く。
百発百中の精度もさることながら、シオによって常に動き続けなければならない状況でその成果となると、誰が見ても息を飲み両手を挙げて称賛する技量だった。加えて、木の板では無い頑丈な石の群れも、落ちて見れば全てが砕かれているのを見ればそれなりの威力が出せるようになっているのが分かる。
ただ、それでも納得がいかないのか、レイは石を穿ち抜き潰れた鏃の矢を回収しながら溜め息を吐く。
「どうした? まだまだ足りないか?」
「あ、いや、トレーニングに不満は無いよ。ただ、アイリーンさんの言葉が気になってて」
あの後、レイとアイリーンは日がな一日中話し合った。セリカが帰って来るまで時間を忘れて、お互いにグレイ爺の事で笑い合ったり、泣き合ったりした。思いの外アイリーンもレイ同様に涙脆く、シオは「ずっと泣いてんな」なんて思いながら傍で欠伸をしていた。主にアイリーンの話にレイが耳を傾けることが多かったが。
グレイ爺の話に興味は尽きず、お返しにとばかりにギンと絡むグレイ爺の話を提供するとアイリーンもまた食いついてくる。こんなに楽しい時間があっていいものか、と盛りに盛り上がったものだが、セリカがいつものように部屋に閉じこもった後に、聞こえないよう声を抑えて口にした内容が、翌朝になってもまだ気がかりになるくらい尾を引いていたのだ。
『――騎士にも魔法使いにも強い恨みがあるのは事実。だからこそ、グレイも私も、現実から逃げたの。けどね、レイ君は間違わないでほしい。レイ君自身が見て、聞いて、感じたことで、判断してほしい。私達にも綺麗な面があれば醜い面があるように、どんな人にも必ず表と裏があるわ。私たちは騎士と言うだけで恨んでしまったけれど、レイ君がどの面を見るかは自分で判断するの。私たちの恨みや憎しみを、レイ君が背負う必要はないんだからね』
これまでの情報を聞いて、レイが騎士のことを恨むな、と言うのは難しい話だ。
だと言うのに、アイリーンは騎士を恨むな、と言う。軽い夕食を済ませても尚、頭の片隅に残ってモヤモヤする感情を、シオと二人きりの今、初めて口にするのだった。
「どうすればいいんだと思う?」
「さぁな。俺に聞かれても分からねぇよ」
「もっと真面目に――」
「――レイのやりたいようにやればいい。間違えているようなら俺が教えてやる。アイリーンの言葉の通り、レイは思ったまま、感じたままに動けばいい。全身で世界を感じ取ってみろ」
レイが頬を膨らませて不満を口にするよりも先に、シオはふてぶてしくも頼もしい声音でそう言い放つ。それは、アイリーンの言葉にあった若かりし頃のグレイ爺のようで、弱っているところにこんな人物が目の前に現れたのなら、頼りたく、縋りたくなってしまうのも道理だろう。
得も言われぬ寂寥感がレイの胸を押し上げ、じわりと瞳が潤んだのをシオは目ざとく指摘する。
「泣くなら見ててやるぜ?」
「な、泣いたりしないから!」
シオに背を向けてぐしぐしと乱暴に涙を拭うレイに、愉快気に笑うシオ。
涙と一緒に悩み事も流れ出たのかその背はきちんと伸びており、レイの言葉通り、シオの知る夜な夜な泣き喚いては泣き止むまで自分を固く抱きしめてくるあの幼く泣き虫なレイはもういないのかと、シオは晴れ晴れすると同時に、寂しくなるな、としみじみ思う。
「……外の世界って、思ってたよりもずっと窮屈だよね」
「他の国、ってのを知らねぇから何とも言えねぇが、レイの言いたいことは分かるぜ」
「みんな、どこか窮屈そうで、退屈そう。自分の生活に満足している人がいないって言うか……」
「村の連中も、遠目から見ている限りじゃ、常にピリピリしてるもんな」
「うん……。それってなんか――」
「幻想の森みたい……、ってか?」
かつて生まれ育った幻想の森での生活を思い出すと、村人の様子と幻想の森に住む人々の様子が同じに思えてならなかった。
生きるために働き、働くために生きる。
ただひたすらに苦しい生活の中で、心潤す時間は他者を見下す時間のみ。
当然、それ以外に楽しみを見出す人物、レイに手を出さなかった人物もいたが、大半は異端者を痛めつけることで快楽を貪る人間が多かった。
外の世界に出た今も、全く同じ空気を味わうことになろうとは、気分が悪いを通り越して呆れてしまえる。
そんな中でも笑顔を忘れずに生きてこれたのも、ヒジリが常に傍にいたから。ヒジリもまた、生きる意味を見失わずにいられたのも、レイが傍にいたから。
そして外の世界でもまた、アイリーンが最後の最期まで諦めないでいられたのは、愛する娘を守るためだった。
そう言った立場の人を蹴落とし、辱め、見下す人間が存在することが、レイにとっては不愉快極まりない。アイリーンがどれだけの辛酸を味わってきたかを知ったレイは、そんな彼女から尚も奪おうとするこの世界が酷く歪んで見えて仕方がなかった。
「……アイリーンさんを、幸せにしてあげたい。もっと、笑顔にしてあげたい」
真剣な眼差しで振り返ったレイの言葉に、シオは僅かに目を瞠ったのち、体の底から這い出てこようとする疼きを抑え込みながらニヒルに笑う。
「――それは、レイの得意な魔法だろ?」
「うんっ!」
レイは、じっとりと纏っていた汗も弾け飛ぶような爽快な笑顔が浮かべる。
それに応えるように、呵々、とご機嫌に笑うシオを体に巻き付けて家に戻ると、今日も黙って外出しようとするセリカに信じられないくらい驚かれて怒られるのだった。
その話を起き掛けのアイリーンにすると、その顔に早速笑顔が生まれるのであった。
朝から良い気分で家事手伝いを終えたレイは、今日も今日とて村に降りる。
出かける直前にアイリーンとシオからは口酸っぱい程に「騎士に気を付けろ」と言われたため、レイはいつも以上に慎重に村に立ち入る。
慎重に、とは言え、村に入って早々にレイを監視する視線を受けることに辟易しながらも食堂に直行すると、いつもは閑古鳥が鳴いているはずの食堂に人影がある事に気が付いた。
村人に配慮して離れた席でジェニーさんが顔を出すのを待とうとしていると、その人影は慌てた様子でレイに駆け寄ってくる。
駆け寄ってきた人影は青年で、それはレイにとって見覚えのある人物だった。
「ちょ、ちょっと君!? な、ど、どうしてここに!?」
関りのない村人の顔をいちいち覚えてなどいなかったレイだが、その青年の顔は見覚えがあった。
レイが不用心にもシオを連れて村を訪れた際に、その目の前で責任感溢れる表情をして立ちはだかった青年だった。ここ一週間でアイリーンやジェニーから聞いた話の記憶を探って名前を思い出す。
「えーっと……、ジーク?」
「っ! お、覚えていたのか。こうして会うのは二度目、いや三度目なんだが……、ってそんなことを言っている場合じゃなくて!!」
青年の反応を見る限り正解であると判断したレイが机の下で小さくガッツポーズをする。
こちら側に寛容な人間であるジェニーやアイリーンとは別に、敵視する人物ともまた話してみたかったレイが喜びを露にする横で、ジークは口元に手を当てて何やら葛藤する様子を見せる。
出入口、時計、そしてレイ。
その三つを順繰りに見回す行為を繰り返しながら、じわじわと額に汗を浮かべていたジークは、とつぜんレイの腕を引いて叫んだ。
「――こっちに来て!」
余りにも鬼気迫る様子から、レイは素直に腕を引かれるまま着いていく。
抵抗する素振りのないレイに思わずたたらを踏んでつんのめりそうになったジークだが、焦った様子のままジェニーのいる台所までレイを引っ張っていった。
「なんだいなんだい!?」
「すみません!」
レイがやって来たことを察して一仕事終えてキッチンから出ようとしたジェニーとすれ違うも、謝罪を繰り返しながらレイをキッチンの奥へと押し込んでいく。
「ここで隠れていてください!」
必死な形相の青年の顔には『悪事を働いてしまった』と書かれており、そんな青年から頼まれてはレイも断るに断れない。何が何だか分からないまま、レイは青年の言う通りキッチンの陰に隠れることに。
ううう、と自己嫌悪に陥りそうなジークの横で、なはは、と笑うジェニーが揶揄うように言を走る。
「なんだいなんだい、うちは連れ込み宿じゃないよ!」
「ち、違いますよ!?」
そう言って思わず立ち上がって否定するジークの顔から一瞬にして影が取れたかと思うと、直後に出入口の扉が開く音と共に明るい声が全体に響いた。
「お母さーん! 騎士様たちがいらっしゃったよ~、ってあれ? なんでジークが台所に立ってるの?」
朗らかな声と足音に続いて、金属が擦れる鎧の足音が続く。
騎士、という言葉に警戒を強めるレイだったが、台所を覗き込むジェニーの娘メイラからはレイの姿は見えていなかった。
「や、えっと、いや、その……」
「――お客さんがこんなに来るなんて久しぶりでね、ジークには手伝ってもらってたのさ。ほら、料理は粗方出来上がってるからね、持っていきな。手伝いご苦労様、ジーク」
ちらちらとレイが隠れる方を横目に見ながら変な汗をかくジークをフォローするようにジェニーがなんら違和感のない説明をすると、メイラは疑うことなく信じ、肩を竦めた。
「あっそう。じゃあジーク、騎士様のお相手してよね。仕事でしょ? 後はあたしがやるからさ」
ジークと入れ替わりで入ってこようとするメイラに、再びジェニーが声をかける。
「――ジークのお陰で料理はほとんど完成してるよ。あんたはそれを持って行ってくれればいいからね」
「本当!? それじゃ、ついでに……?」
「いいよ。騎士様の話をよぉく聞いてくるんだよ」
「やったぁ~!」
アイリーンの言う騎士に対する印象とは異なり、メイラの反応こそが王国国民の騎士に対する反応なのかと思うと複雑なものを抱くレイ。
村人の、ひいては王国国民の守護者たる騎士への信頼と憧れの現れを体現するかのように喜び舞い踊り、母親に感謝のキスをしたのちレイに気付くことなくジークと共に上機嫌で騎士の元へと向かって行く。
「……ジェニーさんはいかないの?」
「あたしかい? 行かないよ」
騎士達の会話は雑音にしか聞こえず、レイは身を潜めたまま調理を続けるジェニーに尋ねる。
調理中だと言うのに酷く冷たい空気を放つような声音で否定する様子は、アイリーンに近い騎士への感想を抱いているようだった。
「あの騎士たちは、最近キナ臭くてね。街道の魔女の調査と言う名目で村に留まっているようだけど、何かする様子もないんだよ。本気で魔女を探してくれる気があるのかどうか……。村ではアイリーンが魔女なんじゃないかって噂が立ち始めているんだ。あたしも出来る限り火種を消しては周っているけど、もし騎士様の耳に入りでもしたら、なんて考えると恐ろしいね」
はぁ、と溜め息を吐くジェニーの言葉に、レイは違和感を抱く。
(……騎士の耳に入っていない? いや、実際にアイリーンさんの元に騎士が来たことに変わりはないし、それはシオが確認してくれた。村での騎士に変わった様子が見られないということは――)
それはつまり、アイリーンの想定しうる事態のまま進んでいっていると言う事だった。
騎士は一度は退いたものの、それでも魔女という存在を見て見ぬ振りは出来ずにこの村に留まったまま。それは援軍を持っている訳でもないのだとすれば、騎士たちが次にとる行動は限られているだろう。
村人とアイリーンの間に明らかな矛盾がある事に気が付いたレイは思考を巡らせる。
(騎士がアイリーンさんにかかりっぱなしであれば、その間街道の魔女を捜索する手が緩む。であるならば、騎士が何を企んでいようとも、その間に街道の魔女とやらを捕まえることができれば、これ以上アイリーンさんから奪われることも無い……、はず!)
かなりの比重で希望的観測が混じった思考を注意し添削してくれるシオは生憎この場にはおらず、レイの中ではそれで万事解決だと思い込んで動くことを決めてしまう。
目標が決まれば次は情報収集。
名前しか知らない街道の魔女についての情報を集めることが重要だと考える。
「この村で、情報が集まる場所って、どこにありますか?」
「情報? そうだね、普通の町であれば酒場だったり、ギルドなんだろうけど、生憎この村にそんな大層なものは無いからねぇ」
「食堂がすっからかんじゃそうだよね」
「お? 言うようになったじゃないか。騎士様がいなかったらあたしの自慢の拳骨が飛んでいたところだよ?」
「あはは……」
「ま、あんたじゃ隣町に行けたとしても、入れはしないだろうからね。町に入るには本人か家族の国民証が必要なんだよ。持ってないだろう?」
レイは同意の首肯を返すも、早速情報収集の手段が尽きたという事実を前に不服さを露にする。
「あっははは、ま、あんたがアイリーンの子供になるってんなら話は別だろうけどね。……それよりも、この村で最も情報が集まるとしたら村長のところだろうね。それに、聞くなら今がチャンスだと思うよ?」
「え?」
ジェニーが視線を外すと、数拍置いてからジークがキッチンに姿を現す。
料理が空いた皿を手に、突然視線に晒されて困惑する様子のジーク。
「ジークは村長が手塩にかけて育てたお孫ちゃんだからね。なよなよしてるけど、この村の馬鹿どもの中じゃ一番物分かりが良くて頭もいい」
「ば、馬鹿どもって、もしかしなくてもバードンとアルドのこと言ってます?」
「さぁね。この子が街道の魔女について聞きたいんだとさ」
「かっ!? ……お、教えられませんからっ」
「そうかい? じゃあ、この騎士様への飯代は村長に当てさせてもらおうかね。当然割増しで」
「ぐっ、爺ちゃんがドケチなのを知ってるのに……!」
こうして二人の会話を聞いているだけでもなんとなく情報が引き出されているのを、レイは耳聡く聞き漏らさないよう黙って耳を澄ませる。ジェニーがわざと引き出そうとしているのが分かる故に、勉強も兼ねて。
キッチンの向こう、ホールの方から戻って来ないジークを呼ぶ声が聞こえ、考える時間もない中で先に折れたのは当然、ジークの方だった。
「はぁ……。街道の魔女に関しては爺ちゃんや騎士様でさえほとんど掴めていないんだ。分かっているのは、その名の通り街道沿いっていうのと……、桃色の髪をしているとか、いないとか。奇跡的に助かった被害者の一人が朦朧としながらも見たんだとさ」
「……それだけ?」
「そうですよ! まったく……。いいか、お前、あんまり村の中を搔き乱すんじゃないぞ。お願いだから変な事はしないでくれよ」
ジェニーさんがあまりの情報量の少なさに呆れて尋ねるも、ジークはおっしゃる通りで、としか言えないとばかりに頷き返す。そして、キッチンを後にするさなか、レイに首を突っ込むな、と釘を刺して去って行くのだった。
「すみません、少しお手洗いに行って――」
ジークに礼を伝えることも出来ずにその少なすぎる情報を頭の中に記録するレイに対して、ジェニーはジークが去った方向、騎士たちが談笑する方を向いて溜め息を吐いた。
その情報量の少なさは、街道の魔女が痕跡を消すのに長けているのか、それとも騎士たちにやる気がないのか。何も考えていないような騎士の様子に後者だろうと判断して、ジェニーは視線を外す。
「悪いね、あんまり力になれなくて。これ今日のお弁当だよ、余り物だけどね」
「ありがとうございます。これ、お代です」
「あいよ。くれぐれも気を付けるんだよ」
ジェニーが案内する裏口から、森の中で極めた隠密術を行使し騎士に気付かれることなく、村人の監視も潜り抜けて、レイは村を後にするのであった。




