46話 自惚れ
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体から熱が引いていく。
その感覚を、レイは今まで一時も忘れたことは無い。
繋がれた手の先から失せていく体の熱。
それはまるでヒジリの命が手のひらから零れ落ちるようで、ただひたすらに恐怖する事しか出来なかった。
そんな無力な自分を恨み、変えたいと願い、グレイ爺の元で六年にも及ぶ鍛錬をし続けた。
――もう二度と、奪われないように。
一日たりとも休むことなく、幼い体に鞭打って鍛え続けた結果は、果たしてどうだったか。
グレイ爺の命が尽きる瞬間でも、レイとシオにできることは何ひとつとして無いまま、グレイ爺の命は尽きていくのをただ見守る事しか出来なかった。
ヒジリの時と、何一つとして変わることのない結果を前に、レイはただ、泣き叫ぶ事しか出来ない。
グレイ爺が息を引き取った悲しみよりも、自分には何も出来なかったという現実に打ちひしがれる自分に嫌気が差すように、生命活動を停止させたグレイ爺の体に縋りついて泣き叫ぶのだった。
だが、怒りも悲しみも、激しい感情と言うのは一過性のもの。
かつて復讐という怒りに身を委ねた時に、自傷を繰り返しても尚耐えきれない程に、激情を抱え続けると言うのは苦痛を伴うもの。並大抵の精神力では簡単に自我が、肉体が崩壊する。
明朝を過ぎ、一日の始まりを告げる朝日が昇ったころ、レイとシオはようやく落ち着きを取り戻す。
泣き叫ぶ行為は思いのほか体力を使い果たす。
そのお陰か、レイの腹が空腹を訴えることで、ようやく現実と向き合うことができるように泣き止むのだった。
『……朝食の時間だ。気が進まないのは分かるが、グレイの言葉を忘れるな』
黙ってレイとシオを見守っていたギンが、二人が落ち着いたのを見計らってそんな言葉をかけてくる。
今日一日、グレイ爺の傍から離れるつもりも無かったレイにとってギンのその言葉は癪に障った。
グレイ爺の最期を知らせるだけ知らせて、助けようともしなかったギンを、レイは一時の感情に任せて睨みつける。ギンの長い年月で積み上げられた知識は豊富で、ギンならばもしかしなくとも助けられたのではないかと疑いかかるその目を見ても、ギンは動じることなく、黙って佇んでいた。
その怒りがお門違いであることを理解しているシオもまた、レイの勘違いを止められずにいた。
ギンならばきっと……。そう思わざるを得ない程に、二人はギンを信頼していた。
それを裏切る形でただグレイ爺が死にゆく光景を眺めていただけという事実が、許しがたい状況を生み出していた。
俯き、黙り込み、拳を握ったままのレイとシオを見て、ギンは冷たく言い放つ。
『腹を満たし、身を綺麗にしてからまた戻って来い。その時にまた、話を聞いてやろう』
「「――っ!?」」
瞬間、部屋の中だというのに突風が吹き荒れ、レイとシオの体を連れ去っていく。
木組みの小屋など簡単に吹き飛んでしまうような突風だというのに、周りの家具には一切の影響もないままレイとシオの二人だけがグレイ爺の部屋から吹き飛ばされ、そのまま閉め出されてしまった。
「ギン! 開けて! くそっ、このっ……!!」
「――レイ! 落ち着け! 喧嘩している場合じゃねぇだろ!?」
「離してっ! グレイ爺が、グレイ爺がっ……!」
「そのグレイの爺さんの為だ、一旦落ち着け……。ギンのやつも、話をする気はあるみたいだった。それに、グレイの爺さんの言葉を思い出してみろ。こんな時は、どうすりゃいいか、思い出せ」
固く閉ざされた扉の前で竜気を纏い身体強化を使おうとするレイを見て、それは間違っている、と声高に叫んで引き留めるシオに対して、レイは牙を剥く。
このままでは自分の行動を抑制する者を認めない暴走龍が爆誕してしまう、と周りも何も見えていないレイの姿に、微かな恐怖を抱きつつも、ギンが伝えたかった事を噛み砕いてレイの耳元で伝えると、やっとの思いでレイは牙を収めるのだった。
ヒジリが奪われた瞬間と酷似した場面に遭遇して、頭が真っ白になって恐慌状態に陥っていたことを自覚したレイは、グレイ爺の言葉を思い出す。
『――気分が落ち込んだ時は、腹いっぱい美味いものを食べて、あっつい風呂に入って良く寝る。これが一番だ。なにかを考えるのはその後でいい。笑えなくなる状況に陥ることを、何よりも恐れろ。笑顔でいれば、怖いものだろうと、どんなに強い魔物だって裸足で逃げて行くに決まっているからな』
いつだって笑顔。それを語っている時も、グレイ爺は満面の笑みを浮かべていた。
対して、今のレイの表情はどうか。
泣き腫らして充血した目元には、連日グレイ爺よりも遅く寝て早く起きる生活をしていたせいか隈が残っているし、目の前に立ちはだかる扉のように一文字に固く閉ざされた口元は笑顔のえの字の欠片も見せていない。
それを自覚した今、レイは胸の奥から溢れる涙を目尻に浮かべながら無理に微笑む。
「……っ、ごめん、ごめん、シオ……!」
「俺も、悪かった。後でギンにも謝ろうな……。その前に、飯にしようぜ。腹いっぱいにしたら、風呂入って、それから、また戻って来ような」
ヒジリも、グレイ爺も、最後には同じ願いを口にする。
だが、最期の願いを、レイは一度も叶えることができずに、ただ泣き続けてきた。
シオの言葉に背中を押され、グレイ爺の寝室を後にして朝食とお風呂に入ったレイは、シオと共に再び寝室の前に立ち、扉を叩く。
すると、さっきまではびくともしなかった扉はドアノブを回すだけで勝手に開いていき、清かな風がレイとシオの二人を撫でた。
「さっきは、ごめんなさい」
開口一番、レイは窓の外に黙って佇むギンに頭を下げる。それはシオもまた同じで、グレイ爺の元に駆け寄るよりもまず先に謝るべきだと決めていた。
あのままではギンを無用に恨む羽目になることを、レイもシオは疎か、グレイ爺も望んでなどいなかった。
道を踏み外さずに済んだのもギンとシオのお陰だ、とレイは朝食時とお風呂でその身に刻み込むかのように繰り返していたのだった。
対するギンは『良い』と一言口にするだけで、厳かな雰囲気を崩すことなく佇んだままであったが、窓枠の隅にちらちらと横切る白銀の尻尾がギンの気持ちを代弁しているのを、シオだけが気付いていた。
そんな中でレイはと言うと、ギンの佇まいを見て、本当に許してもらえたのか不安げにシオを横目で見て、シオの反応でもってホッと一息吐くと、ギンが改めて言葉を紡ぐのであった。
『一つだけ言わせてもらうならば、我は人の生死を操れる程優れた精霊ではない。――そして、もし仮に操れたとしても、天寿を全うしたグレイの人生を否定するような真似はできない。レイ、シオ。グレイは持ちうる全ての命を余すことなく燃やし尽くしたのだ。それを助けようなどと思う事は、その者の生を否定する、礼を失する行為だ。……忘れるな、お前たちは決して特別な存在ではないことを。自惚れるな、自分たちが優れている存在だと勘違いするな。これから先様々な人の生き死にをその目にするだろうが、救える者は限られる。目についたもの全てを救えるほど、お前たちは優れてはいない、特別ではない。グレイと我から授かった力は何のためにあるのかを考え、忘れることのないように。……あぁそれと、グレイからの最期の伝言だ。机の引き出しを見てみると良い』
一つだけ、と頭に添えたは良いものの、長々しく説教じみた事を垂れ流したギンのそれが照れ隠しだと気付いているのはシオのみで、レイは真摯な様子でギンの語る言葉一つ一つを聞き逃さないように正座をして、背筋を伸ばして耳を傾けていた。
照れ隠しと言えども、レイとシオの真に迫るような内容にレイは深く頷きを繰り返す。
そんなレイの態度に気分を良くするギンが長々と説教を垂らすという構図は、グレイ爺が元気だった頃から良く行われていた光景であった。
『――長く生きたやつってのは、話が説教臭くなるもんなんじゃよ。ワシらのような爺は特にの!!』
ギンの背に手をまわして、キハハハ! と笑うグレイ爺に『爺は貴様だけだくたばり損ないめが』と毛を逆立たせるまでがセットの一連の流れが目の前で起こったようで、レイとシオは懐かしく思うと同時に小さな笑みが零れる。
「最後の伝言だけでも十分だったが?」
「そんなことないよ。ギンの言う事は、いつもタメになるものばっかりなんだから」
『いいか、レイ。人は、死して尚、愛した者の中で生きると言われている。その者が、誰からも忘れられたその時こそ、本当の死が訪れる。故に、レイのお陰で姉は生きている、グレイもまた、レイとシオの中で生き続けるからな』
「それじゃあ、ギンもグレイ爺の事、忘れないんだね」
『…………』
案の定、レイの言葉に気分を良くしたギンがしたり顔でまた別の話を始めるも、返すレイの言葉に黙秘権を発動させ、背を向けて去っていこうとするのを慌てて引き留める。
「な、何かまた変な事言っちゃったかな!?」
「放っておけよ。グレイの爺さんとギンの関係なんざ、最初から謎のままなんだ。今さら聞いたところで教えてくれるかよ。とりあえず、机の引き出しは一番上から探していこうぜ」
結局、レイに引き留められたギンは窓枠に顎を乗せて見守る形で落ち着く。
グレイ爺が遺した伝言を信じて、グレイ爺が夜寝る前に頻繁に向かっていた作業机の引き出しを上から順番に探っていくと、一番下の段の引き出しを開いた時、三つ折りにされた紙の束と一緒に、首飾りが置いてあることに気が付く。
「これって……、グレイ爺の首飾り、だ」
その首飾りは、グレイ爺が片時も外すことがなかった代物。
食事の時も、風呂の時も、片時も体から離さなかった首飾りは、グレイ爺にとって命よりも大切なものだった。
『グレイがかつての妻から唯一贈られた品、だな。手紙と共に、レイに渡してくれと頼まれた。……ふん、この神性精霊たる我を伝言役に使うなど、贅沢なものよ』
責務は果たしたぞ、と言わんばかりに、もう二度と目が覚めることは無いグレイ爺を見下ろして言い放ったギンは、やがて森の奥へと姿を消していく。
――それって魔道具なの?
――これは、ただのお守りじゃ。……魔力は込められてはおらんが、思いが込められた大切な物なんじゃよ。
そんなやり取りをしたのを思い出すレイは、大事そうに首飾りを持ち上げる。
グレイ爺が言うには、かつての妻から贈られた唯一の品であり、角人が示す最大の愛の象徴なのだと言う。
細かな木彫りは相手への愛の深さを示し、相手をイメージした色付けは清廉な愛を意味する。
長い年月を経て、木彫りのトーテムは色が剥げ、傷つき欠けていても尚形を保っており、グレイ爺の妻の愛の大きさと言うのが分かる。
そんな大事なものをレイに渡すという事は、グレイ爺なりの親愛の証明なのだろう。
首紐の装飾には、グレイ爺が仕上げたレイとシオをイメージした二つの宝石があしらわれており、死を受け入れ向き合ったグレイ爺が二人のために遺したものと言えるだろう。
「グレイ爺……」
首飾りを抱き寄せ、祈るように思いを強く込める。
グレイ爺の親愛に応えるように、返しきれない恩に惜しみない感謝と親愛を叫ぶ。
今度は涙を流さずに顔を上げることができたレイは、待ちに待った手紙を震える手で開いては、目を通していく。
『レイとシオへ。この手紙には、ワシの人生を綴る。それは、人の愚かさ、醜さ、業の深さ、そして、後悔ばかりを記すことになる。もしこれがレイとシオ、二人の重荷になってしまうようであれば、読まずに燃やして捨てて欲しい』
一行目には「レイとシオへ」から始まる文章と文字は、レイとシオが知るグレイ爺そのもので、正しく手紙の中のグレイ爺と対面して会話しているようだった。
躊躇いを生ませる始まりに悩む素振りを見せることなく、レイとシオは読み進める。
会いたくてたまらない、話したくてたまらない、今すぐにでも乱暴に頭を撫でまわしてほしいレイとシオにとって、手紙を使ったグレイ爺との会話を止めるなどと言う選択肢はあるはずも無かった。
癖のある字体、丁寧で物腰柔らかな文体は二人が知るグレイ爺の文字、言葉であるが、その手紙に記された、今まで語られてこなかったグレイ爺の半生はレイもシオも知らないものばかり。
『ワシの本当の名は――。




