47話 別れ
読んでいただきありがとうございます。
――ワシの本当の名は、グレイ・ラモラス・リル・アルハバート。人類至上主義を掲げる国、大陸の西を征服した王国の第一王子としてこの世に生を授かった。
幻想種を排し、亜人族を排し、魔物を排し、異端者を排す。
人間による人間のための、徹底統治。
それが『人類至上主義』国家。
息をするよりも簡単に人が死んでいくこの世界で、人が人を守るために城を築き、作り出した王国。
魔法の祖、リリアナ・マクギリスの力もあり、他種族に対抗する手段でもって大陸の半分を制した王権の中で生まれたグレイは、生まれながらにして魔力を保持していた。
故に、神童と持て囃され、王国の期待に応えるべく贅の限りを尽くした生活の中で人並みに努力した。
しかし、十の年を重ねても、十五の年を重ねても魔力の視認は出来るようにならず、グレイは王国の期待を裏切る形になった。
その頃、王国の各地で天才と呼ばれる子があちこちで発見され、王国の期待がそちらに目が移ったのもあり、グレイは間もなくして廃嫡されるとの噂が立ち始める。
第一王子であろうと、魔法の扱えない者は王族としての権利を失う。人類至上主義の世界で、魔法と言う明確な力こそが、人間の最新にして最高の発明を手にしてこそ、権利の象徴である、と王国建国時からリリアナ・マクギリスの影響が今も大きく残っていた。
この時グレイは贅の限りを尽くした王族としての生活からは遠ざけられ、そう遠くない未来、廃嫡されるだろうと理解していた。そんな未来を見据えて魔法一辺倒だった知識から生活に役立つ知識を身に着けようと様々な本を読み漁った。
魔法の使えない存在として廃棄されるとしても、王国の第一王子という生まれに感謝したのはこの瞬間だけだった。
知識を深めていく中で、王国の歴史と言うものに触れ、人類至上主義という思想に違和感を覚えた。
――亜人族が何をした? 幻想種が何をした? 異端者は異端ではない?
生まれながらにして植え付けられた常識を疑えたのは、既に王国に対して疑念を抱いていたから。
疑い始めてしまえば実の親さえも気味悪く見える王国は、立っているその足に怨念が纏わりついているように見えて仕方がなかった。
着々と廃嫡の話が進んでいく中で、グレイはなんの未練も残すことなく、自ら王国を捨てる決断を果たし、王国によって拾い集められた天才たちが王家の名の下に披露された祝典の日に、グレイは王国から逃げ出した。
だが、それもすぐに発覚し、王国の暗部に追い詰められる。
王国の内部の情報を少なからず握っているグレイが、敵対する帝国に亡命することを恐れたのか、それと初めから抹殺する予定だったのかは分からないが、捕まえる気のない、殺すつもりでかかってくる暗部相手に、グレイは追い詰められていく。
そんな時、グレイを救ってくれたのは、蟲の特徴を持った亜人の女性だった。
地図にも載らない森の小さな隠れ里に通され、献身的に支えてくれたその女性とグレイは恋に落ちる。
王国の人間と言うだけで忌避されていたグレイだったが、見目麗しく、礼儀正しいその姿から次第に打ち解け、恋人が妻になった。
だが、婚礼の儀式を執り行った初夜、グレイの身に惨劇が降りかかる。
疲れ果てて眠りについていたグレイの鼻が嗅ぎ取ったのは、燃える焦げ臭い匂い。
妻を起こして外に出てみると、一面は火の海。
その中に見えたのは王国の暗部の人間たちだった。グレイを見失った辺りに、手当たり次第に火を点けたのだ。
泣き叫ぶ妻を静かにさせて村を後にする。昨日まで笑っていた友が、子供が、老人が火だるまにされていく中で、グレイは妻を逃がすために後にせざるを得なかった。見捨てざるを得なかったのだ。
そうして命からがら逃げ延びたグレイに遺されたのは、グレイと亜人の妻、そしてやがて身ごもる双子の子どもだけだった。
「あなたは悪くないわ」
暗部の恐ろしさ、そしてこの事態を招いた自責の念に押し潰されそうになったグレイに、亜人の娘は告げた。別の亜人の村に妻を預けたグレイは、また一人、旅に出る。
この惨劇はまだ始まりに過ぎず、グレイはこれから先、長い月日をかけて王国の暗部、天才と呼ばれる者たちの襲撃を搔い潜りながら亜人の村を転々として過ごす。
力を求め、竜気を得たグレイは亜人の村に万が一王国が攻め込んできたときのために竜気に適応する者には竜気の使い方を教え込み、また行く先々の亜人の村で婚儀を結んだ。
数多の妻、中には子を孕んだ女性を置いてでも逃げなければならない状況も、当時は「分かってるから」と頷いてくれた妻達。だが、寂しかったはず、引き留めたかったはずなのだ。
それを見て見ぬふりをしたことこそ、グレイの後悔、未練であり、レイが気付かせてくれたものだった。
見えていなかったのは魔力の流れだけでなく、人の寂寥感もグレイには見えていなかった。否、見ないようにしていたのだった。
――亜人や争いのない世界は美しい。しかし、美しい世界など、これからレイが目にする世界の中でも一割にも満たない程に、限られた世界。人の世は、亜人の迫害、同じ人を人とも思わぬ所業、奪い奪われ、罵倒し罵り合い、争いの絶えない世界が永遠に広がり続けている。見るに堪えない世界ばかりが、レイを待ち受けている。可能であれば、レイとシオには、そのような世界は知らぬまま、この森で、ずっとひっそりと暮らしていて欲しかった。世界の醜さを知るからこそ、汚してしまいたくはなかった。そう強く願ってしまった。
「「……」」
グレイ爺の本音が綴られた文章に、レイとシオは黙って読み進める。
笑顔の裏に隠された半生は想像以上に過酷で、それを耐え抜いたグレイ爺の強靭な精神と、それを支えた亜人族に感謝の念すら湧いてくる。
涙で視界が滲む中、レイは手紙の二枚目に目を通していく。
――レイとシオをそんな悪意に晒すことを忌避すると同時に、レイの夢を聞いて、遠ざけたいと思う自分の気持ちよりもずっと強く、嬉しく思ったのも事実だ。レイに知ってもらいたい、見てもらいたい、聞いてもらいたい世界の美しさは、文字では、言葉では言い表せない、足りないのだ。故に、世界が醜かろうとも、世界が二人に牙を剥こうとも、そこに光る一輪の花の美しさを、レイとシオには知ってほしかった。そして、自分の目で、耳で、肌で感じたもの全てを己の糧とし、レイの夢を存分に叶えてほしいとも願った。
かつてグレイ爺が見せてくれた、自分だけの景色。
森を、その遥か先に聳える山脈を、雲を衝くような建造物を見せた時、レイよりもシオよりも、グレイ爺が見せた喜びの方がずっと大きかったことを思い出す。
少なからずグレイ爺の影響も受けているレイの夢はいつしか、ヒジリとレイの二人の夢ではなく、シオも、ラナも、グレイ爺も加わった、みんなの夢に変わっていた。
――そんな中で、醜い願いを託すのは心苦しいが、爺の些細な願いを頼まれてほしい。世界を回るついでで良い。ワシの愛した女性に、ワシは最後まで愛していた、と伝えてほしい。
「はっ、爺さんらしいぜ……」
「うん、本当にね」
その願いの後ろには、グレイ爺と関係を持った女性の名前がずらりと記されていた。
その数、全部で、二十人。
ギンが良く『色ボケ爺めが』と口にしていた意味がようやく分かったような気がして、小さな笑みが零れる。
醜くなんてない、グレイ爺らしい素直な願いじゃないか、と笑って目を細めると、涙が零れそうになる。
レイとシオはそれを必死でこらえて「最後に」と書かれた文章を読んでいく。
それはレイとシオに向けて記されたグレイ爺からの最後の言葉であり、背中を押してくれるエールでもあった。
――最後に、ワシが死んで悲しむのは良いが、それは一日限りだ。男が涙を見せるのは、その瞬間のみ。次にワシの事で涙を流すのは、世界を回ってきた後だ。その後は、美味い物をお腹いっぱいになるまで食べたら、熱い風呂に入って、良く寝ること。そうしたら、腹抱えるくらい笑って前を向け。お前たちの夢は、俯いてばかり、下を向いていたって叶う夢じゃないはずだ。困っている時だろうと、悩んでいる時だろうと、全力で笑ってシオに丸投げすると良い。レイの笑顔は、ワシが世界で一番好きな顔だからな。そしてシオ、お前も同じだ。困ったら笑って、レイに任せると良い。これから先、使命だなんだと言ってくる奴が現れたとしても、耳を貸す必要はない。シオはシオのやりたいように、好きなように、お前の考えで生きる権利を持っている。どうせ、レイの為に動くんだろうがな。
――レイ、シオ。ワシは、最後に二人に出会えて本当に幸せだった。永遠に愛しているぞ、ワシの子供達よ。
「――っ、グレイ、爺……!!」
最期の一文に込められた思いは、まるで目の前にグレイ爺が蘇って、その手で頭を撫でられたかのような温かさを感じる一文だった。
大粒の涙が遂に堪えられなくなって手紙に落ちては、インクを滲ませる。
それでも、レイとシオは鼻をすすって頭を上げる。
今も溢れてくる涙に構うことなく、泣き腫らした目でお互いに頷き合って前を向く。
顔中を涙と鼻水でぐずぐずにした二人は、惑うことなく庭に出て、森の中を進んでいくと、モウちゃん達のお墓の傍で佇むギンの姿が見えてくる。
『……もう良いのか?』
「……うん。これ以上くよくよしてたら、グレイ爺に怒られそうだし」
手紙の通りに、泣くのは今日限り。
それでも、別れを前にして、絶えず涙を流したままのレイとシオの姿にギンは触れずに『そうか』と小さく返すに留まる。ギンもまた、涙が零れないように空を見上げていたから。
レイとシオ、それからギンも加わっての穴掘りは、モウちゃんの倍近い深さまで掘って手を止めた。
途中、何度も何度も涙を拭うレイとシオだったが、それでも最後まで決して手を止めることなく、グレイ爺の墓穴を丁寧に掘っていた。
やがてシオがシーツにくるまれたグレイ爺の遺体を丁寧に運んでくる。
『良い顔で眠っているな』
「……うんっ」
穴の一番深い場所にグレイ爺を静かに横たわらせると、三人で土を被せていく。
モウちゃんの一件から、これが本当のお別れなのだと知るレイとシオは、その間も涙を流し続けながらも、最後まで、グレイ爺が眠る場所を丁寧に整えるのだった。
『……グレイは、幸せ者だろう。本来ならば、レイとシオに出会った時点でヤツの肉体は既に死へと向かっていた。それが五年、六年と延ばし、最期はお前達が傍にいた。……後悔の残る人生だったとは言うが、グレイにとって、お前たちに看取られた事こそが何よりも幸福だったのは、あの死に顔を見れば疑いようのない事実であろう』
最後の土を被せる瞬間、ギンがレイとシオに投げかけた慰めの言葉は、二人の最期の堰を破壊するには十分なほどに優しかった。
『これは、我からの手向けだ』
ギンを中心に風が吹いたかと思うと、グレイ爺が眠る大地の上に一本の苗木が植えられ、周囲に緑が満ちる。
レイとシオは並んで、首飾りを固く握って、長い長い別れの挨拶を告げる。
朝日が真昼の日差しに変わる頃、最後まで祈り続けていたレイがシオとギンを振り返って穏やかな笑みを浮かべる。
「ご飯にしよっか」
グレイ爺の死を乗り越え、言いつけ通りに美味しいご飯と温かいお風呂が待つ日常へ、戻っていくのだった。




