ナージャは手当てをする
ナージャは自室に戻り、ふぅ、と溜め息を吐く。
……ここ最近、酷いです。
何が酷いかといえば、刺客だ。
こういう時は長女よりも跡継ぎでもある長男を狙うだろうに、執拗にナージャの方を狙ってくる。
まあ女である方が誘拐しやすく、基本的に控えめな性格であるナージャだからこそ扱いやすそうに見えているのかもしれないが。
……お父様とお母様が私を溺愛してるのを公言してる、のも原因なんでしょうね。
溺愛と言いながらも、その愛し方は一方的な愛し方。相手の都合も考えない愛し方。わかりやすく言うなら自分の好きなタイミングで犬を思いっきりわしゃわしゃするようなものだ。
それがナージャは嫌だった。
外に行きたくないのに外に連れ出そうとするのも、疲れているのに興味もないパーティだのの話をしようと誘ってくるのも、行きたくもないパーティへの誘いを持ってくるのも、全て。嫌で嫌で仕方が無くて、ここ数年程ナージャから両親へ話し掛けた事は無い。
何か主張がある時は一诺に伝言を頼むなり、手紙などを持って行ってもらうなどの仲介を頼めばどうにかなるから。
……一诺は頼って良いって言ってくれましたけど、やっぱり頼り過ぎてる気がします……。
「大丈夫ですか、ナージャ様。顔色が優れませんが……」
「あ、えと、大丈夫、です」
一诺に声を掛けられたナージャがパッと控えめな笑みを浮かべると、一诺は眉を顰めた。
「……大丈夫ですかと言った私が言うのもなんですが」
「?」
手を伸ばし、一诺はナージャの頬、目のすぐ下あたりを親指で撫ぜる。
「無理をしないでください」
その表情は、心配だと雄弁に語っていた。
「襲われ、誘拐されかけたのです。私が撃退しましたが、それでも恐怖はあったでしょう。よくある事だとか、慣れたとか、心配を掛けたくないとか、そんな事は思わないでください」
ぐ、と一诺は悔しそうな顔で目を細める。
「あんなもの、慣れない方が良いものです。慣れてはいけないものなんです。怖かったら怖かったで良いんです。どうか無理をしないでほしい」
それはまるで懇願で。
一诺はまるでナージャに縋るように肩に手を置き、頭を下げていた。一诺の方がナージャよりもずっと背が高いというのに、それはまるで跪いて頭を垂れているかのよう。
実際は普通に立って頭を下げているだけだが、一诺の声がそう思わせる。
そう思わせる程にか細くて、懇願するようで、小さな声だった。それはもう、一瞬迷子を連想するくらいの。
「……私はあなたに無理をさせたくはないし、あなたが無理をしなくて良い人間でありたい」
……ん、んん、無理をしているつもりは無かったんですけど……そう見えてたんでしょうか。
「一诺」
ナージャは手を伸ばし、一诺の頬に指先でするりと触れて顔を上げさせる。
いつも一诺がやるような手つきを見様見真似でやっているだけだが、一诺は動きに合わせるようにして顔を上げた。
……前世で妹を相手にしている時は両手で掴んで顔を上げさせるって感じでしたけど、こういう方法もあるんですね。
こっちの方が首に優しくて良い気がすると頭の端っこで思いつつ、ナージャは一诺に自分の正直な気持ちを告げる。
「私は一诺が守ってくれるから、無事でした。確かに怖い思いはしましたけど、一诺がそばに居てくれれば私は何も心配しなくて良いんです。一人になったら、その、ちょっとは思い出して色々考えちゃうかもしれませんが」
……でも、
「一诺がそばに居てくれれば、私は怖いとか怖かったとか、そういう事を考えなくて良いんです。一诺なら絶対に私を守ってくれるって、わかってますから」
信じるとか信じないとか、そういうものではない。
ただ単に、そういう事実があるだけなのだ。
「は」
ナージャの言葉に、一诺は目を見開いてぽかんと口を開けていた。
「と、いうか、それよりも!」
「はい!?」
珍しいナージャの大き目の声に驚いてか、一诺はビクリと肩を跳ねさせナージャから手を離す。
そんな一诺に手を伸ばして、ナージャは一诺の肩をぐっと掴んだ。親指でぐりりと押せば、一诺の眉がほんの一瞬だが歪められる。
「……一诺、怪我してますよね」
「………………」
むすっとした表情をしているという自覚を持ちながらナージャがそう問えば、一诺は叱られた犬が耳を伏せているような雰囲気で目を逸らした。
「……お気づきでしたか」
「いいえ。一诺は隠すのが上手だから、気付いたのは本当についさっきです。私の肩に両手を置く時、左肩をちょっと庇うような動きをしてたから気付けただけで……それが無かったら、気付けなかったかもしれません」
……一诺は私の事にすぐ気付いてくれるのに、私は一诺の異変にすぐには気付けませんでした……。
それがとても申し訳ないというか、不甲斐無い。
一诺の事をいつも見ているのだから、もっとよく顔を見ていれば気付けたかもしれないのに。また刺客が来たという事に意識が向いていたせいで気付くのがとても遅くなってしまった、とナージャは思う。
……もっとちゃんと、一诺の事をよく見てないと駄目ですね!
他の人間に興味はない。
というか覚えようとしてもどうしても名前が覚えられなくて、弟だって特待生の横に居るイメージが強いせいで単体で居ると一瞬誰なのかわからない。姉さんと呼ばれれば「あっ」となるが、下手をすれば姉さんと呼ばれるだけで知らない人でも弟判定しかねないくらいにはガバガバである。
そのくらい、ナージャは一诺以外の人間の顔を認識していなかった。
……一応これでも、前世で接した人達の顔や妹が気に入ってたゲームのパッケージの顔くらいは覚えてますけど……。
一诺以外の人間に期待をする事を諦めているからか、顔も名前も覚えられない。まあそれで十八年間問題無く生きてこれたので別に良いのだが。
大事なのは、感情を隠しがちな一诺の変化をしっかりと見抜く事、だろう。
……でも、一诺が隠してたとはいえ、痛い部分に圧を掛けたのは駄目でしたね……。
「……一诺、その、ついぐりってやっちゃいましたけど、ごめんなさい、大丈夫です、か……?」
「軽い打撲程度ですので問題はありませんよ」
そう言って目を細める一诺の笑みは、本心からそう言っているように見えた。偽りだったらもう少し違和感があるので、鈍感なナージャにだってわかる。
もっともナージャは事実鈍感だが、一诺に関してだけはそれが適用されない為、ナージャにしかわからない程度の違和感なのだが。
「………………」
「?」
ふと、ナージャは違和感に気付く。
否、違和感では無い。その笑みは本物で、本当に問題は無いと言っている顔。そこは間違いでは無いが、一诺が自分の事をないがしろにしがちな性格だという事をナージャは知っている。
「……念のために聞きたいんですけど、あの」
「何でしょう」
「手当て、ちゃんとします、よね?」
一诺はニッコリとした笑みを浮かべて無言になった。
「…………軽い打撲なので、放置しても問題は無いと思いますが」
「問題です!」
ナージャはすぐさま部屋にある救急箱を手に取った。それをベッドに置いてから、一诺に向き直る。
「手当てしますから、ここに座ってください」
「……ナージャ様、まず私の意見を言わせていただきたいのですが」
「どうぞ」
「使用人がベッドに腰掛けるというのは」
「手当ての為ですし、私がお願いして抱き締めてもらう時だって座ってます」
「自分で手当てをする事くらい出来ますので」
「一诺、別に良いやって言って放置する事多いですよね、自分の怪我」
真っ直ぐに一诺を見つめながらナージャが言えば、一诺は気まずそうに目を逸らした。
「……ナージャ様の手を煩わせるわけには」
「私を守って、一诺が怪我をする事になっちゃったんですよ……!」
ぐ、とナージャは膝の上で拳を握る。
「私のせいで怪我をさせちゃって、それに、一诺、いつも自分の事は二の次で、だから、私、手当ての仕方だってわかってますから、その、手当て、ちゃんと出来ますし、私、が、一诺の手当てをしたいんです……!」
「あー…………」
一诺は顔を逸らし、何とも言えない表情で唸った。顔を逸らす事で見えたその耳と首は、赤く染まっている。
「……湿布を貼るくらいで大丈夫ですので」
「片手で貼るの、大変ですよね」
だから私が貼りますというナージャの強い主張に、一诺はへらりと笑った。
「では、お願いします」
「はい、お願いされました!」
ナージャが笑顔で頷けば、一诺は外出用である使用人服の上着を脱いだ。
ベストを脱いで中のシャツをはだければ、着やせするだけでしっかりとした筋肉がついている事がわかる体が現れる。その左肩は確かに軽度ではあるものの、打撲による痣でほんの少し変色していた。
「打撲にはひんやりする方の湿布、ですよね」
「よくご存知で」
「えへ、一诺が前に教えてくれましたから」
湿布を手に持って、ナージャはへにゃりとそう笑う。
……そういえば、一応治癒魔法もこの世界にはありましたね。
「ナージャ様?」
「ちょっと、失礼します」
ナージャはベッドに腰掛けながら、同じくベッドに腰掛けている一诺にずいっと近付く。そのまま左肩に顔を寄せ、変色している痣の部分に軽い口付けを落とした。
「っ!?な、なっ!?」
「…………やっぱり、あんまり治りませんね」
あまり変化しなかった痣にしょんぼりしながら、ナージャは出来るだけ優しい手つきで湿布を貼った。
「すみません、一诺。私が治癒魔法を得意としていれば、もうちょっと良い結果が出たかもしれなかったのに……」
「あ、ああ、成る程、治癒魔法でしたか……」
言いつつ、一诺はシャツに袖をしっかりと通し直す。
「……湿布を貼ってくださっただけでも充分過ぎる程だというのに、治癒魔法までしてくださったのです。既に身に余る程ですよ。これ以上は体が持ちません」
「でも…………」
ナージャは何かを言おうとして、一诺の耳と首が真っ赤になっている事に気付いて口を閉じた。
……結構よく照れているようですし、顔に出ないだけで恥ずかしがり屋なところがあるんでしょうね。
まさか自分相手にのみだとは思っていないナージャは、うん、と頷く。
「……でも、これからはもう少し、自分の身を大事にしてくださいね。私へ向かって来た攻撃から庇ってくれたのは助かりましたし、守ってくれたのは嬉しいですけど、それで一诺が怪我をするのは、悲しいです」
一诺はその言葉に目をパチクリさせた。
「…………どのタイミングでの怪我か、わかったんですか?私は言っていませんし、最初怪我にも気付いていなかったなら……」
「思い出せば、怪我をしていそうなタイミングはわかります。他の人なら会話も顔も碌に覚えてませんけど、ほかならぬ一诺の事なんですから」
「……な、成る、程」
「?」
……何だか一诺の耳と首の色がより一層赤くなってるみたいですけど、熱いんでしょうか。
自然と出た今の言葉で一诺が照れたとはまったく思っていないナージャは、室温が高いのだろうかという結論に至っていた。
尚これは鈍感系特有のアレというよりも、単純に自分の言動で照れさせているという発想が無いだけである。気付かないというより、理由が思い至らないだけなので。
「ですが」
すぐに漢服に着替えるからかベストと上着を腕に掛けた一诺は、まだ耳と首を赤くしながらも相変わらずハイライトが入っていない黒い目で真っ直ぐにナージャを見た。
「あの時は庇う以外にありませんでしたから」
「ありましたよ」
「え」
「その、確かに私は戦ったりとかは、申し訳ない事に無理ですけど。立場的にも私に怪我をさせないようにっていうのもあるのは、うん、わかってます。でもあの時、私を抱えて逃げるとか、そういう隙はあったと思うんです」
「…………成る程」
一诺は驚きときょとん顔の中間のような幼い表情で頷く。
「確かに、そういう手段がありましたね。どうせ家はとっくに割れているでしょうから、逃げ込めば良いという手もありましたか。ここなら手が増える分こちらの有利にもなるし、ナージャ様が傷つく可能性も格段に減る……」
……んー……。
納得してくれたのは嬉しいが、一番重要な部分が通じていないなとナージャは苦笑した。
……襲われる事自体嫌ですけど、可能なら一诺も私も無傷が良いっていう意味で言ったんですが……。
言葉での意志疎通があまり得意では無いせいか上手く伝わらない、とナージャは内心でちょっぴり落ち込んだ。
「わかりました、次からは出来るだけ逃げる事にします。事実応戦していては、どうしてもナージャ様を守るという行為に隙が出来てしまいますからね」
「わかってないです」
「へ、ぇっ!?」
ナージャはむすっと頬を膨らませながら、一诺の胸にもたれ掛かった。
「な、ナージャ様、今の私はその、湿布のせいで臭いと思いますし」
「知りません」
打撲している部分には触れないようにしながら、ナージャは頭をぐりぐりと押し付ける。
「これはお仕置きですからね」
「お仕置き……ですか」
「怪我をしてるのに隠そうとしたり、放置しようとしたお仕置きです」
「はあ……」
ナージャは俯いているので顔を窺えないが、一诺の声色からナージャの言葉の意味が理解出来ずに困惑している事を察した。
……お仕置きなんて、前世で無茶して怪我した妹をずっと抱き締め続けた時以来ですけど。
不機嫌に頬を膨らませた姉に長時間抱き締められるのが相当キいたのか、妹はそれ以来危ない事をしなくなった。
なのでそれはナージャにとってキツめのお仕置きと認識されており、流石にそれをやろうとはしなかった。でも、このくらいのお仕置きなら許されたい。ナージャとしては一诺に大事にされている自覚があるからこそ、一诺にももっと自分自身を大事にしてもらいたいのだ。
これはその主張だった。
……本当に嫌だったら引き剥がすでしょうし。
一诺の性格を思うと嫌だと思ってもナージャを引き剥がす事はしないだろうが、引き剥がそうという動きだけならするだろう。ナージャはそう確信していたし、引き剥がそうとする動きが無い事もわかっていた。
「一诺はもっと、自分を大事にしてください」
だから不安無くぐりぐりと頭を押し付けて、ナージャはそう告げた。
「……それなら、ナージャ様ももっとご自分を大事にしてください」
「私はちゃんとしてますよ」
……一诺が大事にしてくれるからこそ、私だって私を大事にするようになりました。
もっともそれは今まで自分をあまり大事にしてこなかったナージャから見た基準なので、優先順位が自分よりも一诺の方が上である事に変化は無いが。




