ナージャは外に出た
休日。
ナージャは自室で溜め息を吐いた。いつもなら本を読んだりなどするのだが、どうにも憂鬱でそういう気分にもなれやしない。
……疲れました。
今週はやたらとヴァレーラが教室に襲撃してきたから。
あの騒がしさ、そして他人を一切気にしず自分の意思を貫こうとする辺り、苦手極まりないタイプ。声が大きくて暑苦しい性格なのも無理だ。名前も覚えていないクラスメイトが妨害して助けてくれるから良いものの、そうじゃなかったら。
……というか、特待生があっちの味方をしてるんですよね。
お姉様お姉様と、辟易する程に慕うリーリカ。
そのリーリカがヴァレーラに味方して謝罪作戦を成功させようとしているのは、そういうシナリオだからである。けれどナージャはそれを知らない。知らないが故に、思い込みによるお節介なのだろうと思っていた。
……トラウマを乗り越えて、とか、言いそうです……。
両親もそういうタイプなのでよくわかる。
正直ナージャはトラウマなど抱いていない。ヴァレーラよりもなによりも、まずパーティ自体が苦手なのだから。トラウマを抱くなら、どちらかといえば華美で気を張り続ける必要があり物凄く面倒くさくて堪らないパーティの方。
けれどそれを理解してくれる親ではない。
パーティとは楽しいものだという先入観がある為、両親に訴えても聞き入れてもらえない。だからナージャが偶然ヴァレーラに泣かされた事を一诺はこれ幸いと策に利用してくれた。
ナージャがパーティに連れて行かれず済むように。
……正直、多少申し訳ない気持ちはありますが……。
それでも、苦手な相手。
赤マフラーの迷惑な人で、主人公の攻略対象なのだろう相手。つまりまったくもって関わりたくない。一诺にも下手に会話するとパーティに参加させられる危険性がある為、あれと関わらないように言われているくらいだ。
関われと言われても拒否するだろうくらいには関わりたくない相手だが。
「ナージャ様」
「はい?」
もういっそ寝間着に着替えて今日一日寝てしまおうかと思うくらいにぼんやりしているナージャに、一诺が声を掛けた。
「気が滅入るようでしたら、外にケーキでも食べに行きますか?」
「……わかります?」
「それはもう」
気が滅入っている事について問えば、一诺は目を細めて苦笑した。
「溜め息が多いのもそうですが、上手く力が抜けていないようでしたので。休日は回復の為にゆっくりする事が多いとはいえ、それは心を休ませる為のもの。ですが、今日のナージャ様は」
「休まってない、ですよね」
「そのように見えました。私の勝手な判断ですが」
「いえ、その通りです」
頭を下げる一诺に、ナージャはへらりとした笑みを浮かべた。
あまり浮かべる気分では無いそれ。表情筋を動かすのも億劫なそれは、何とも中身の無い笑みだった。
「何というか、こう、疲れているというか……気力が疲れてる、みたいな感じなんです」
膝を抱えながら、ナージャは言う。
「特待生の熱量についていけなくて消耗が激しくて、マイナスを回っちゃったみたいな……」
「接触禁止でも言い渡しますか?ナージャ様が辟易していると告げれば当主様も奥方様も味方になる事でしょう」
「さ、流石にそこまでは、うん、無いです」
……でも最終手段としてキープしておきたい案ではありますね。
そのくらいには、疲れていた。
「あれはいっそそのくらいした方が理解すると思いますが……」
「でも、それをしたら特待生がやりにくくなっちゃいます」
ナージャは三年生であり、来年卒業。対するリーリカは一年生であり、まだ通うのだ。
「先輩に公的に接触禁止を言い渡される、なんて……変な噂がついちゃったら、申し訳ないですし。私が我慢すれば、来年には終わる事ですから」
そう、だから。
「良いんです」
「そうは思えません」
一诺はナージャに跪き、親指で軽くナージャの目元をなぞる。
「……酷い顔色になっていますよ」
そう言う一诺は酷く心配そうな、不安そうな表情をしていた。
「…………あは」
その心配が何だか嬉しくて、触れてくれたのが嬉しくて、ナージャは触れている一诺の手に顔を擦り付けた。家事をしているとわかる手。皮がしっかりしている硬い手。けれど荒れてはいない手。
その感触と温もりに安堵し、ナージャは先程までに比べて多少緩んだ微笑みを浮かべた。
「じゃあ、そうですね」
温もりに頬を寄せて目を伏せ微笑みながら、ナージャは言う。
「気分転換に、ケーキ、食べに行きたいです」
「希望のものはありますか?」
一诺は目を細め、優しく微笑んだ。
「それがある店に向かいましょう」
「品物、把握してるんですか?」
ナージャは知識なら覚えていられるが、記憶力には自信が無い。要するに他人に対する興味が無いから他人の名前が覚えられないだけなのだが、記憶力が無い事には変わりなかった。
故にお店のメニューを店別に把握しているらしい一诺の言葉に驚き、目をパチクリさせる。
「勿論です」
その言葉と共に一诺は目の奥に何か深い色を灯しながら、より一層目を細めた。すり、とナージャに触れている手指が再びナージャの目元をなぞる。
「知っていて損はありません。それに、こういう時に知っていればナージャ様のお役に立つ事が出来ます。あらかじめ把握しておけば、ナージャ様が望む店に直行出来ますから」
「……えへ、嬉しいです」
一诺の言葉に、ナージャはへにゃりとした笑みを浮かべた。
「じゃあ、あの、その、ナポレオンケーキがあるお店……わかりますか?」
「勿論。近い距離になら二店舗あります。ナージャ様好みの味であれば、ここから近い方の店でしょうね」
「わあ……!」
……ナポレオンケーキ、小説で読んでから気になってたから嬉しいです……!
本で読んだところ、ミルフィーユのようなケーキらしい。
しかしナージャはパイやタルト系を好むので、丁度良かった。小説に出て来るケーキはどれも美味しそうで食べたくなるが、実際に食べるとなるとどうしても生クリームが強い系はキツイのだ。
……味覚を前世から引き継いだ……のかもしれませんね。
つまり貧乏舌。
安いお店のさっぱりした生クリームケーキならイケる辺りお察しだ。高級な生クリームケーキは生クリームの味が濃くてどうにもこうにも。胃の中に生クリームという油の膜が出来ている気になり、食べ切るのが厳しいのである。
貴族に出されるケーキもまた必然的にそういった系統なので、ナージャはそれらが苦手だった。
……時々お母様がケーキとかを一緒に食べないかって誘ってきますけど、苦手なケーキばっかりだから困っちゃいます。
まあ好きなケーキでも苦手なタイプである母と一緒に食卓を囲むというプレッシャーとストレスで味を感じなくなりそうなので、どっちにしろ断るのだが。
やはり心を許せる一诺と一緒にケーキ屋へ行き、個人的に好みだと思えるパイなどを食べる方がずっと良い。ナージャは心からそう思った。
・
それぞれ外出着と使用人服に着替えてから屋敷を出て、目的のケーキ店へとやって来た。
時間帯の問題かナージャからすればありがたい事に客が少なく、端の人気が無い席へ座る事が出来た。注文すればすぐにナポレオンケーキが用意され、それを食べた瞬間ナージャは思わず笑顔になる。
……美味しいです!
一诺が作ってくれる甘い点心も好きだが、どちらかというと安心の味。こういったものは時々しか食べないからこそ、気分転換に最適だ。
オセロの駒が黒から白に反転するように、一気に引っ繰り返る気がする。
「……好みの味でしたか?」
「はい!」
向かいに座る一诺の問いに、ナージャは笑顔を浮かべて頷いた。
「でもこれ、私好みの味だって一诺わかってましたよね。食べた事があったんですか?」
「まさか」
一诺は目を細める。
「この店の傾向から、ナージャ様好みの味だろうと推測しただけですよ。色々な人と話をするとその人の嗜好、味覚は大体把握出来ますからね。そしてその人達の好みを把握した上でどこの店のケーキが好みだったか、好みじゃなかったか。それらを覚えておけば、必然的にナージャ様の味覚に合うだろう店を割り出すくらいは出来ます」
「……何というか、一诺って本当にすっごく凄いですね」
感心のあまり目をパッチリ開いてゆっくり頷きつつそう言うナージャに、一诺はニッコリと微笑んだ。
「私はナージャ様の専属の使用人……従者ですから。ナージャ様に過不足が無いよう、そして憂いも無いよう動くのが私です。……あと」
「あと?」
一诺は一诺が注文したプティチエ・モロコを口にして飲み込んでから、フォークを持った手でさり気なく口元を隠しつつナージャから目を逸らす。
「……つい、殆どの事をナージャ様に関連付けて考えてしまうという、そういう癖があるので、つい、ですね」
そう言う一诺の耳と首は、赤く染まっていた。
「えと……ついで、ずっと私の事を考えててくれてるんですか?」
問えば、一诺の表情が強張った。
「申し訳ありません」
「え、や、あの、怒ったりとかは全然してないですよ?」
突然謝罪した一诺に困惑しつつ、ナージャは即座にそう返す。けれど一诺の表情は晴れていない。
「……ですが……常にナージャ様を考えるのも仕事とはいえ、最早仕事など関係無く生活の基盤になっているというのは酷く気持ち悪い事でしょう」
「……一诺」
「申し訳ありません」
「一诺、ちゃんとこっちを見てください」
申し訳なさそうに目を逸らす一诺に、不機嫌そうに眉間にシワを寄せ頬を膨らませたナージャがそう言えば、一诺は恐る恐るといったゆっくりな仕草でナージャの顔を見た。
「一诺はよくそうやって、気持ち悪がるんじゃないかって言いますけど」
……どうしてそんな事を不安に思うのか、わかりません。
「私は、一诺に私の事を考えて貰えるの、嬉しいです。今だって一诺がずっと私の事を考えてくれてたってわかって、嬉しかったですよ」
「ですが……」
「……それはまあ、一诺が私から離れている時とかは私の事を考えたりしたくないって思ってるなら、申し訳ないですけど。でもそれなら謝罪するのは私の方であって一诺では」
「そんな事はありえません!」
思わず大声を出した一诺は、慌てて周囲を確認した。
動きにつられるようにしてナージャも確認すれば、店内は閑散としていて他に客は数人程度。大声が聞こえようとも寝ている人や本に夢中になっている人、そして何かをひたすらに書き連ねている人だったのでまったくもってこちらへ関心を向けていなかった。店員も丁度居ないタイミングだったらしい。
大声を出した事で注目を集めたり注意されたりを想像した二人は、同じタイミングで溜め息を吐いて胸を撫でおろす。
「……とにかく、それだけはあり得ません」
声のトーンを通常に、大きさは比較的控えめにしつつ一诺はそう言った。
「私はナージャ様を大事に想っています。想っているからこそ、考えてしまう。厭う事などありません」
「なら私だってそうです。私も一诺の事が大好きなんですから。一诺が私の事を想ってくれる事の何を厭えば良いのかもわかりませんし」
そう言い、ナージャはナポレオンケーキを口にする。
「……一诺はもうちょっと、私からの気持ちを信じてください」
「信じてますよ」
即答した一诺のその微笑みは真実のようだが、ナージャはやはりいまいち通じていない気がした。
「そんな顔をしないでください、ナージャ様」
苦笑した一诺に、ナージャは首を傾げる。
「……どんな顔してるんですか?私」
「不満そうな顔を」
「むぅ……」
フォークを置き、ナージャは頬を揉んでみる。
ナージャは傍から見れば、否、ナージャの表情変化を見慣れている一诺から見ればわかりやすく不満げな顔をしていた。けれど鏡でも無い限り、頬を揉もうと本人にはよくわからない。
「ふは」
その動きが面白かったのか、フォークを持ったまま手の甲で口元を隠し、一诺は気取らない笑みを零した。
「不満げな顔をさせてしまい、申し訳ありません」
そう言う一诺はいつものような申し訳なさそうな、苦しそうな顔では無い。気取っていない、力を抜いた優しい目だった。
「良ければお詫びとして、こちらのケーキも食べてみますか?ナージャ様には少々甘すぎるかもしれませんが」
「……いただきます」
指先でサイドの髪を軽く押さえつつ、差し出されたフォークに乗っているケーキを口にする。
「んむぅっ!?」
プティチエ・モロコを口にして舌に乗せ潰した瞬間広がった味に、ナージャはビックリして口元を手で押さえた。味わいつつ飲み込んでから、紅茶を口に含んで味覚をリセット。
リセットされた口の中に一息つきつつ、ナージャは言う。
「……とっても甘いんですね、これ……!」
「はい」
言いつつ一诺は残りのプティチエ・モロコを食べていた。
「ですが私は、これの食感が好みでして」
「ああ、成る程」
一诺の言葉に、長い付き合いの中で一诺の嗜好をそれなりに把握しているナージャは頷く。
「一诺、白くて食感が柔らかい物を好みますもんね」
「……特に自覚は無いのですが、そうでしたか?」
「私が知っている限りでは」
きょとんとする一诺に、ナージャはクスクスと微笑む。
「マシュマロなどを好んでいる辺りから、そういう系統が好きなんだろうな、と」
「……そういえば、そうですね」
そう頷く一诺の耳はほんのりと赤く染まっていた。
・
帰路につきつつ、ナージャは溜め息を吐く。
「大丈夫ですか?ナージャ様」
「一诺が守ってくれましたから。ただちょっと、ビックリしちゃって」
……まさか怖い人に絡まれるだなんて……。
明らかにナージャを狙って来た相手。
誘拐犯なのだろう四人組は二人が一诺の足止めをし、もう二人がナージャを誘拐しようとしてきた。幸い一诺が即座に迎撃したので問題は無かったが。
護衛をするだけはあり、一诺にはチンピラ崩れ四人に対しナージャを守りながらでも余裕で戦えるくらいの実力があるのだ。
「……顔色があまりよくありませんね」
一诺はナージャの頬に手を添え、心配そうな表情で覗き込んだ。
……守ってくれた人に心配までかけさせちゃ、駄目ですね。
そう思い、ナージャはへにゃりとした笑みを浮かべる。
「すみません。折角気晴らしに付き合ってもらっちゃったのに」
「いえ」
ナージャの笑みを見て一诺は返事をした後無言と共に目を伏せ、考えが纏まったのか周囲を見渡す。
「ナージャ様、あちらにベンチが。すぐそこの屋台でドリンクを購入してきますので、少々そこで休んでいてください」
「すみ……ううん」
……謝り過ぎると、相手からしたら謝らせてるってなっちゃうかもしれませんよね。
一诺の気遣いを、ここはちゃんと受け取るべきだろう。チョーカーがある為、誘拐されかけた直後に少しだけ離れるというのもそう恐ろしくは無い。
「……ありがとうございます、一诺」
「私がそうしたいだけですよ」
ナージャのお礼に、一诺は目を細めて微笑んだ。そのハイライトが入っていない黒い瞳の奥にはとても温かな熱のようなものを感じたが、ナージャにはよくわからない。
好意はわかれどそれが親愛か恋愛かわからないナージャには、愛おしげな目というのがわからなかった。
「…………ふぅ」
ベンチに座り、息を吐く。
登校下校の際に歩いているので体力が無いわけでは無いが、どうにも心の方が疲れた。突然誘拐犯に狙われたのではさもありなん。
……うん、でも、外出する前よりは感情が生きてます。
ケーキのお陰か、一诺と一緒にお出掛けした喜びのお陰だろうか。
心へ掛かる疲労のあまりナージャの感情はいまいち動かなくなっていたのだが、今はそれが正常に稼働していた。感情が動かなくなるというそれは、これ以上の負荷を拒絶する為の防衛本能のようなもの。しかしその状態が続けば感情が死んでしまう。
故に心労と肩の力を抜く事で感情が戻って来てくれた事に、ナージャは安堵した。
……あ、氷の結晶。
下に向けている視界の中に、誰かの足とその足に飾られているアンクレットが入って来た。氷の結晶が繋がったようなそのアンクレットが揺れる。
「……あのぉ、大丈夫ですか~?」
「え」
声に反応し顔を上げれば、目の前には銀髪の男性が立っていた。
ナージャよりは年下だろうその男。心配そうにナージャを見るその顔には、見覚えがあった。
……紡の持ってたゲームのパッケージに載ってました……!
妹の紡が気に入っていたゲームのパッケージ。確かそこに、こんな感じの銀髪が居たような気がする。正直言ってそこまで興味を持っていたわけでも無い為うろ覚えだが、見覚えがあると思える顔である事には間違いない。
他人の顔も名前も碌に覚えようとしないナージャがその顔を知っている気がする以上、間違い無く攻略対象なのだろう。
「……え、と、大丈夫、です」
……関わりたくないです……!
主人公の攻略に関わりたくはない。
ゲームのキーキャラクターである自覚が無いナージャは、強くそう思った。だって本編に関わるとなると面倒事が多そうだから。そして何より今は一番重要な問題として、これ以上リーリカに関わるような要因を作りたくないのだ。
彼女は酷く苦手なタイプで、関わった分だけ心労が募るから。
「でも、凄く顔色が悪いですよ。僕は氷魔法を得意としてますから、良かったら出しましょうかぁ?少し冷やした方が良いかもしれませんし~……」
「あの、その、ほん、ホントに、大丈夫、です」
心配してくれているのだろう彼……ゴーシャ・ボーンに、ナージャはそう返す。
「いー……えと、使用人、が、ドリンクを買ってきてくれ、くれる、ので。お気遣い、その、ありがとうございます」
「でも本当に顔色が~」
「失礼」
「!」
いつの間にか、両手にドリンクを持った一诺がゴーシャの斜め後ろに立っていた。突然背後から低い声を掛けられた事にゴーシャが驚き振り返ると、一诺は目を細めて笑みを浮かべる。
けれどその笑みに、優しさという温もりは無いように思えた。
「私の主に何かご用でしょうか」
「いえ、そういうわけでは無いのですがぁ……具合が悪そうだったので」
「ご心配、感謝いたします。ですが私がおりますので結構です」
「あ、あの、えと……!」
ゴーシャに対しピシャリとした拒絶をわかりやすく示している一诺に、ナージャは手をわたわたさせながら口を開く。
「その、すみませ、あの、さっき私が、ゆ、誘拐、されかけて、それで彼、あの、ちょっとピリピリしてて、ごめんなさい……!」
「誘拐」
ナージャの言葉に、ゴーシャはきょとんとした表情になる。
「ああ、だから具合が悪そうにぃ……それなら僕が不審者に見えてしまうのは当然ですね~」
ふむふむ、とゴーシャは納得したように頷いた。
「では何だか強くて怖そうな護衛が居るから大丈夫でしょうと思い、この場は失礼します」
頭を下げて去ろうとして、あ、と思い出したようにゴーシャはナージャに再び向かい合う。
「僕はゴーシャ・ボーンです。貴族って高飛車だったりやたら睨みつけてきたりして苦手ですがぁ、あなたはそうじゃないので~……個人的にはまたお話してみたいですねぇ」
「え」
……私は関わりたくないのですが……。
それを察してかどうなのか、ゴーシャは言う。
「ああいえ、今のはただの僕の気持ちです。ちょっと思った事を言い過ぎるというか、間がおかしいとよく言われるので~。混乱させてしまったなら申し訳ありません。それではぁ」
不思議な雰囲気のまま、ゴーシャはそう言って去って行った。
……なんというか、よくわからない人でした……。
「……ナージャ様」
「はい?」
見れば、一诺はまだ少し周囲を警戒する様子を見せていた。
「………………」
何かを言いたそうな目でナージャを見つめ、けれど何も言わずに頭を振る。
「……いえ、何でもありません。それよりもお待たせしてしまいましたが、ドリンクです」
「ありがとうございます」
……あまり、聞かない方が良いでしょうか。
誘拐を警戒してか気を張り詰めているらしい一诺に問いかけ、追い詰めたりはしたくない。何気ない質問も、気を張っている時は地雷になり得る。
だからナージャは素直にドリンクを受け取り、お礼を言うだけに留めた。
……良かった。
ナージャは胸に広がる安堵と喜びに、そう思う。
一诺がすぐに駆け付けてくれた事。とても心配してくれた事。自分が無事だった事。先程話し掛けて来た人が悪人では無かった事。
そして一诺がナージャの分だけじゃなく、ちゃんと自分の分も買ってきた事。
……前に言った事、覚えててくれたんですね。
何年か前に一诺が屋台のドリンクを買ってきてくれた時、一诺はナージャの分だけを買ってきた。一诺も喉が渇いていたのに一诺自身の物を買わなかった事に対し、ナージャは言った。
「そういう事をしてもらうと……いえ、されちゃうと、私は一诺が心配になります。大丈夫なのかな、って。それに私一人だけで飲むよりも、一緒に飲んで味の感想を言ったりとか、したいです。だから、あの、私の為にも、ちゃんと自分の分も買ってください……!」
その事をしっかり覚えていて守ってくれている事が、何だかとっても嬉しかった。




