286 地下牢の攻防
イレ皇子は、恐らくアギレスタ皇子を通じてアルヘオ文字のことを知っている。
これについてはしらばっくれても仕方ないか。
だがこの様子では……タロットについて話すわけにはいかない。
「文字については存じています。それに……それについてはきちんと研究して皇室に献上するつもりだと皇立庭園で申し上げたはずです。それ以外のことは存じません」
皇立庭園でガブリエラに襲われたときに、私はアギレスタ皇子とそう約束した。
こいつはそれを、きっとアギレスタ皇子の「中」で見ていたはずだ。
そう言うとイレ皇子はあっさり頷いた。
「うん。あの時、君がそう約束したから俺は引き下がった。その方が確実だと思ったからね。……でも、事がタロットとなれば話は別だ」
ぐっと顎を掴まれる。
「あれは戦略級の兵器だ。それを知っているかもしれない、というだけで罪に問える。まぁこの国のポンコツな裁判官はタロットの事なんて知らないんだけどさ」
……知っているだけで罪に問える?
裁判官は知らない? だとしたら、イレ皇子自身は?
「貴方は」
勇気を出して問う。
「貴方は知っているのですか? そして、皇室の人間なら知っていても罪に問われないということですか?」
「そうだね」
「……っそれに、こんな誘拐だの拷問だのって、そんなことをするのも……まさか皇室の人間だから許されるというのですか?」
イレ皇子が無言で微笑む。
それは、答えるまでもなく「当然」と言う様な顔だった。
そして何かを口にしかけた、その時。
──イレ皇子がはっと顔色を変えて飛びすさった。
その瞬間に私の後ろの方で、シュッと鋭い音がして。不審に思って振り向く。
「……え?」
まず、石壁や建材の“断面”が見えた。
そしてここは地下だったのか、地層のようになった土の断面も見える。
まるで鋭利な刃物かレーザーで切り取ったように滑らかな断面。
そこから……場違いなほど綺麗にきらめく星の夜空が見えた。
あったはずの天井の一角が綺麗に消失していたのである。
惚けていると黒い影が三つ、するりと猫のように降りて来た。
「アベル、様?」
──現れたのは、仮面を外したアベル様だった。
差し込んできた月の光で逆光になり表情が見えないが、見間違えようもない。ドラちゃんとハディも一緒だ。
そう認識した瞬間、ハディが弾丸の様に飛び出してきた。
ハディは私とイレ皇子の間になめらかに滑り込んで来て、その牙で天井から繋がる私の鎖を思い切り引きちぎる。
そのまま服の背中側を咥え、アベルさんの元へ持ち帰られた。
するとイレ皇子が笑った。
「これはこれは、まさか貴方が出て来るとは!」
「……」
アベルさんは黙っている。
足元から見上げるが、感情が読めない。だが恐ろしいオーラを感じた。
天体観測の夜に感じたものに近いが、それよりももっと硬質で恐ろしい雰囲気だ。
「天井の穴は一体どんな呪文で? ……いや、何のタロットで?」
「知らないな」
アベルさんが底冷えするような声で答えた。
「魔獣は貴方の言うことを聞いているようですが?」
「そういう気分だったんじゃないか」
イレ皇子の言葉にまともな返事を返さず、アベルさんは私をひょいっと抱き上げた。
「あ、え、ちょ……っ」
急展開すぎてしどろもどろする私に構わず二人の会話は続く。
「引き籠もりの貴方がこんなところまで来るとは。ここには絶対に近寄らないと思ったのに」
「散歩したかっただけだ」
「そうですか。魔獣と一緒に夜空の散歩とは羨ましい……是非ご一緒したいのですがね」
二人が睨み合う。
するとイレ皇子が作った笑顔を止めて、凍るような目でアベルさんを見た。
「──その技術は、お前ごときが持っていていいものじゃない」
皇子の口調ががらりと変わる。馬鹿丁寧だったそれが、真に迫ったものになった。
「奪えばいいじゃないか」
アベルさんがそっけなく言うと、イレ皇子は忌々しそうに苦笑した。
「それが出来たらあの時にしている。拒否で暴走されても、枷で死なれても困る。まったく……やり難い」
はぁと溜息を吐いたイレ皇子は、一拍置いてからあーあと投げやりな溜息を吐いた。
そして一転していつもの軽そうな顔に戻り、くるりと背中を向ける。
「ばいばいアリスちゃん。またお話しようね」
背中越しに手をひらひらと振ったイレ皇子は、ぐったりしたガブリエラをひょいっと回収すると奥の階段へ姿を消していった。




