256 旧ジャーヴィス領
ヴィランデル家という言葉に反応したアベルさんは、なにやら苦い顔をしている。
「そういえばアリス、こちらさんは?」
レイ先生から「誰だ」と手でくいくい示されたので、こちらも慌てて紹介する。
「こちらはアベル・ジャーヴィス様です。私も深い事情は教えて貰っていないのですが……学園長の庇護下で、秘密裏にこの塔で生活なさっている方です。私と同じでタロットや文字に詳しい方ですよ」
「学園長の? ……タロットにも?」
学園長の関係者だと聞かされて、先生が訝しげな顔をする。
そしてアベル、ジャーヴィス……という名前を口の中で転がしたレイ先生が、一拍置いて「まさか」と呟いた。
「おい、まさか」
「……流石に教師は知っているか」
目を見開いて、レイ先生がアベルさんを見つめる。
アベルさんも、逃げないとでも言うようにじっとそれを見返す。
二人の目線が交差する。
しかし、先にアベルさんが目を伏せた。
「お前まさか、あの丘陵事件の」
「丘陵? 先生、なにを」
先生が一歩、かすかに後ずさった。
なんの話をしているのか。
……塔の窓から初夏の風が通り抜けてくる。
外は明るくて心地いい風が吹いているのに、ここは正反対。
そんなことを妙に鮮明に感じるほどに、異質な雰囲気。
――場は突然の酷い緊張と、警戒の気配で満たされている。
レイ先生が再び問う前に、アベルさんがゆっくりと名乗った。
「そちらの想像している通りの、ジャーヴィスだ。その子を連れて逃げたいならそうするといい」
「!!」
「えっちょ、先生!?」
レイ先生が私を小脇に抱えてばっと後ろに下がった。
待て待て待て、なにしてんの先生!?
「あの学園長、何考えてやがる……っ」
「ちょ、レイ先生!?」
離せとジタバタするも、しっかり抱えられており降りられない。
レイ先生がアベルさんをじっと見つめる。
「俺はあの事件に詳しくないが、医者のジジイから聞いたことはある。隣の皇国に近いラクタヴィス領……旧ジャーヴィス領で昔、事件があった」
先生が静かに語り始める。
それを、まるで罪を宣告されるように静かな顔でアベルさんが聞いている。
……その顔が、雰囲気が、なんだか見ているだけで痛く苦しくなるもので。
「その事件で」
「先生!!」
私は咄嗟に先生の言葉を遮った。
「それは、その話は今、絶対にしないといけませんか? 後でもう少し落ち着いて、話すことは出来ませんか」
なんとなく不味い気がしてそう言ったのだが、先生は今じゃなきゃダメだ、と言った。
異様に静かな、ともすれば出会った初めの頃のような、無感情に見えるアベルさんが気になって仕方ないのだが。
そう思うが、先生は「今だからだ」と首を振る。
「しなきゃ駄目だ。あの事件がどういうものだったのか、それが世間一般に言われているものと違うと言われない限りは……お前をこいつに近づけさせられない」
「なんなんですか……事件って」
そう戦きながら聞いた私に、先生は言った。
「昔、一夜にして辺境の街の人間が全員消失するという事件があった。……だがその街の中心には、膨大な魔力の残滓を纏った朱眼の子供だけが一人だけ残されていた」




