166 秘密の小部屋
……ん?
見えるかって……。普通に見えてますけど。
頭にハテナを浮かべまくっている私の間抜け面を見たアベルさんは、一瞬逡巡して、それから勝手に納得した様子で「そうか」と顔を逸らした。
えっ。実はアベルさんは幽霊です的なことはないよね?
さっき受け止めてもらったし、私だけに見えるイマジナリーフレンドとかじゃないよね?
「……珍しいな。見えていて、何も言わないのか」
何も言わない私をどう捉えたのか分からないが、アベルさんは感情を感じさせない声でそう言った。
イマフレ感やめて超やめてと思ったが、真面目に捉え直す。
恐らく、自身の特異な瞳の事だろう。
緩いウェーブの前髪は片目をやや隠すようにしており、もう反対の目にはモノクルをかけている。そのどちらの目も、血のように深くて真っ赤な色だ。
どうかと言われると、この色……。
とても、懐かしい。
コスプレが趣味の友人が、よくこんな色のカラコンをしていたからだ。
苺姫とかいう吸血鬼キャラにハマっていた学生時代の友人が、意気揚々と十字架ネックレスと共にカラコンを学校にしてきて、呼吸困難になるほど笑ったのは実に良い思い出だ。他人の黒歴史は蜜の味。
半分現実逃避にそんなアホな事を考えていたために、「うーん、懐かしいですね。苺飴みたいで美味しそうですね」という、再び脳を通っていない感じの言葉がするっと出てしまった。
いやいやいや……。お腹を空かせた幼女かよ?
いやまぁ幼女なんだけど。
ポンコツな頭を抱えていると、優しく降ろされた。
「……出口まで連れて行こう」
そう言ってくるりと踵を返したアベルさんを、慌てて飛行具の残骸をかき集めてから追いかけた。
◇
アベルさんがゆっくりと歩く。それについて屋上から階段を降りていくと、狭い部屋に出た。
昼間だというのに薄暗く、明り取りのための細い窓から、申し訳程度の明かりが射し込んでいる。
いくつかの本棚に並べられた本以外は、ベッドと机、椅子、最低限の生活用品があるのみで、生活感がほとんど感じられない。
しかし、この閉鎖的な空間が彼の唯一の家であることは、なんとなく察された。
それにしても。
やっぱりこの人、見れば見るほど……あのアベルだよなぁ。
さっきは色々な驚きが一緒くたに襲い掛かってきて全くまともな反応ができなかったが、世間が恐れ、忌み嫌うという真紅の瞳がなによりもそれを物語っている。
赤に似ているからと虐げられたスーライトお姉さまの濃桃の瞳も、この鮮烈さに比べたら可愛いピンクに見えるほどだ。やはり、少し怖いものがある。
そして藤の木を燃やしたように白く、上質で艶やかな髪。私と同系色に見えるが、私の青みがかった重い銀とは違う、彩度のない軽やかな白灰だ。
後ろの髪は短いが、前髪がやや長い。その緩いウェーブは、苺飴みたいな瞳を片方隠している。
……うん、見れば見るほどやっぱ苺飴だ。
後ろをてこてこと歩いて追うのだが、アベルさんはその長い脚による歩調を、どうやら私に合わせてくれているらしかった。
こーいうところ、やっぱ根が悪者じゃない救済対象のラスボスっぽいよねぇ。……なんて思いつつ、目の前の相手をさらに観察する。
屋上でのやり取り以来、アベルさんは喋らない。目も合わさないし、出口とやらに向かって一直線らしい。
アベルさんの私室を抜けると、ガランとした広い石造りの部屋に出た。
恐らくここは、資材塔としての本来の用途の部屋なのだろう。先ほどの狭くて暗い部屋は、元々は貴重品を扱う部屋か、管理人部屋か。……あるいは緊急時に何かを隔離するための監禁室か。
しかし、広い方の部屋には出口と思われる場所が無かった。
「え、と……?」
疑問を口にした私に、アベルさんが律儀に回答をくれた。
「左隅に、魔術で壁に偽装した通路がある。今は許可がなくともそこから出られるから、行くと良い」
ははぁ、そうなんだ。確かに良く見てみると、そこだけ空間に揺らぎがある。
そしてアベルさんはどういう訳か、そこには行かないという訳か。ぴたりと止まって、この私室区域から足を踏み出さない。
そんなことを思ったために、おもむろに聞いてみた。
「こちらの広くて明るい部屋は、使っていないのですか?」
「……? ああ、特に使う用事もない」
それを聞いて、直感的に思った。
……これは思ったより重症なのではないか? と。
普通、生きていれば物は増えていく。
それは生活道具や生きるための備蓄だったり、趣味の道具だったり、思い出の品だったり、いらなくなったものだったりと様々だ。
ミニマリストでもない限り、年月に応じて少しずつ物は増えていく。
しかし目の前の青年は、収納もろくにない僅か数畳の小さな部屋に、最低限の生活道具と本を置いただけで、開け放たれた隣室を当然の様に一切使っていなかった。
言い方から察するに禁止されたわけでもなく、ただ「必要がないから」と、すぐそばにある広い空間を使っていなかった。
そして、唯一の出入り口を「今は許可がいらない」と表現する。
そんな状況を、なんと呼ぼう。
詳しいことは知らない。だから勝手に彼を取り巻く状況をどうと決めたり、憐れむような資格は私にはない。
無いが、何とも言えず物悲しい気持ちになることだけは、止められなかった。
「あの、助けて下さってありがとうございます。……お名前を聞いてもいいですか?」
試しに聞いてみると、アベルさんは不思議そうな顔をした。しかし丁寧に返事をくれる。
「アベルだ。アベル・フィデリタス・ジャーヴィス」
「アベルさん、ですね」
……君は誰、とは聞かれない。
だから勝手に名乗ることにした。
「私はアリス。アリス・リヴェカ・オーキュラスです」
「……さあ、行くと良い」
そう言って速やかに私室の扉を閉めようとしたアベルさん。
私は咄嗟に、扉に片足をつっこんで止めた。
「なっ! きみ」
「次は、お礼にお土産を持ってきます。……ではまた!」
それだけ言って反応を見ずに、私は思い切り走って左端の魔術の壁へと突っこみ、その場を離れた。
黒髪赤目や白髪、謎めいた青年、悲しい過去のラスボス……。
テンプレって、どうしても好きなんですよねぇ( ´∀`)ハハハ




