三話 - プロローグ③
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田舎を思い出すような、高く突き抜けるような空が広がっていた。
大学入学が決まり上京して久しく。空を気にしたのはいつぶりだろうと懐かしさが過ぎる。風景だけでなく、むせ返るような土の匂いや草がざわめく音も郷愁を刺激しているのだろう。
寝過ごした時のようにもやが掛かった意識で空を眺めていたが、段々とクリアになってくると違和感に襲われる。
ここはどこだろう? と。
気付いた瞬間、思わず飛び起き――られなかった。
「ぁ……なん、すか?」
身体の重さに起き上がろうとして再び地面に背を付けてしまう。声も反応が鈍く、かすれていた。
見覚えのない風景に我が身の異常。
原因を探るべく直近の記憶を手繰り寄せ、美優の口からもれたのは「ああ」と納得したようなものだった。
(これがパスホールっすか……)
パスホールとはVRデバイスのアイドリングモード中に稀に起こるバグだ。
待機中にサーバー側、あるいは回線など何らかの問題でメンテナンス中のソフトにログインしてしまう現象。正規のログインルートでないため、キャラクターデータが反映されていない、知らない土地にいる、時間が止まっているなどなど、大抵は一目で分かるような異常が出ている。
原因が複数あるため、アイドリングモード実装から現在までなくなっていないメジャーなバグである。
流石にこれでログアウトも出来ないとなるとまずい状況だが、もちろん対策は設けられている。
VRデバイスの緊急のシャットダウンコードを宣言するとどのような状態であれ強制ログアウトが可能なのだ。でなくとも、異常を感知するサーチプログラムが作動しているので十分と経たずに強制ログアウトさせられるのだが。
二つの対策で間に合っているのはアイドリングモードが現在も導入して稼働を続けている事が証明している。
「……ふふん」
にやりと美優の口角が上がる。
強制ログアウトを待っている、という顔ではない。そもそもシャットダウンコードは「VRシステムコール」から「シャットダウン」というだけのもので忘れるほど難解ではない。
美優が嬉しそうなのはパスホールにまつわるある噂を聞いていたからだ。開発段階のプログラムがのぞけてしまう、という。
Flowering Libraryという情報を宝とするギルドにいてその価値が分からない美優ではない。でなくとも、先んじて情報を得るというのはトップゲーマーにとって必須技能なのだから。
気づけば声も普通に出るし、身体の重さも感じなくなっている。身体を起こしてぐるりと見渡すが山々に囲まれた草原地帯しかない。
(エリアフラッグがないっすね。やっぱり開発段階のマップ?)
エリアフラッグはVRMMOでよくある迷子防止の目印だ。Periodheim Onlineではエリアフラッグの下に町やセーフティポイントを設定している。
開発中のエリアだとしても面白みのない平原エリアでは得られる情報はない。多少がっかりはしたが、気になったのは五感の精度だ。
VRはもはや視覚、聴覚は限りなくリアルに重なると言われている。しかしながら、そこから一歩踏み込んだ部分ではまだまだ、というのが世間的なVRユーザーの認識だろう。
VR業界では先陣組に属するPeriodheim Onlineですら感覚のバランス調整は二度だけだ。それも体感ではほとんど感知出来ないほどの微調整。
五感の同期については政府から交付されているVRパッケージ規約の中でも厳しく制限されている項目だ。
詳しい議論については数あるが、一言にまとめるなら脳に高いストレス負荷を与える可能性が高い、という点でフルに五感を接続する事は出来ないのだ。
技術的に不可能ではない、という話は聞きかじっていたが、この精度は本当に現実そのものだ。手から伝わってくる土の触感、匂い、温度、それらに何一つ違和感がないというのはVRが長い美優にとっても覚えがない。
開発段階データとはいえ、ここまで作り込むのはそもそも容易ではないはず。
(Periodheim Onlineっすからねー)
が、そこはその一言で解決してしまう。
ただでさえリアリティの高いグラフィックに加え、いつかPeriodheim Onlineの世界は地球サイズになる、と言うくらいの作り込みをする運営だったのだから。
「お、おぉ……?」
地面の感触を確かめていると指先に石とも違う硬い感触。滑らかな棒状のそれを目の前に持って来る。
身の丈ほどもある黒銀の杖。杖の先は螺旋になり、それはやがて羽根の飾りへと変化、頂点で収束して刃となっている。そして螺旋に包まれた赤い宝石が怪しげに輝きを放つ。
禍々しくも引き付けるような美しさを持つ意匠を一言に表すなら、魔性というのがぴったりだろう。
「カドゥちゃんじゃないっすかー!」
ゲーム内で美優が愛用している杖だ。銘を"カドゥケウス"という。
ギリシア神話で神々の伝令であるヘルメースが持つケーリュケイオンという杖。その別称だ。二匹の蛇とヘルメースの翼をモチーフにされる事が多く、螺旋や羽根飾りはそれを模したものだ。
大抵のプレイヤーが一ヶ月、長くとも三ヶ月もするとメイン武器が代わるものだが美優はカドゥケウスを半年以上愛用している。
Periodheim Onlineでは上位素材による武器のアップグレードが可能なので新素材が発見されたからメイン武器がすぐに型落ち、という心配はない。
しかしアップグレードにも限度がある。当時一級品の中の一級品だったカドゥケウスも強化限界に達してしまっている。
それを知っていながら武器に付加出来るエンチャントを拘りに拘りぬき、戦術を武器に合わせるというプレイスタイルを取ってしまうほどカドゥケウスへの愛着は強かった。
(じゃあ、やっぱり……)
身体を見下ろすとこちらも覚えのある黒ローブ。
飾り気のないただひたすらに黒いだけのローブだが、"ディアリルローブ・Ⅷ"という一級品だ。トッププレイヤー達でも安定して攻略法が確立していない、複数パーティ推奨のレイドボスから落ちるレア素材を使ったものだ。
なお、名前の後に付いたⅧというのは毎回同じような黒ローブに凝った銘を付けるのが面倒だと見放された結果である。
製作者はAsliy。どれだけ良い素材でも飾り気の欠片もない黒ローブに仕立て上げるのは職人殺しだ、と彼女は常日頃から美優に愚痴っているのだが、こればかりは譲れない。
Periodheim Onlineにおいてはこれがトレードマークで、そこからもらった魔女という通り名も気に入っているのだ。
ちなみにローブの下はえらく可愛らしい服装だ。
ベアトップの緩い黒のブラウスにフリルをふんだんに使ったスカート。腰にワンポイントの大きなリボンが結ばれている。
銘は"ウィッチ・ゴシック"セット。しかし魔女は魔女でも魔女っ娘というタイプのそれはAsliyの趣味だ。ゴスロリ系のそれに初めは美優も引いたものだが、堂々と着ていれば上品なドレスにも見える。……と、自分に言い聞かせている。
製作者の趣味が全開ではあるが、性能は文句が出ない代物なのでメイン装備にしている。
装備を確認してローブに土が付いてしまっているのに気付き、立ち上がって不満げに汚れを払う。
「こういうとこまでリアルにしなくたっていいっす。何にせよ……装備品はそのまんまなんすね。コール、メニュー」
右手をかざしてメニューウィンドウを開こうとするが、いつもの画面は出てこない。
「ダメっすか。うーん、じゃあ、《Dクイック - ダーク・ロップイヤー》」
即座に発動するクイックコマンドのうち、登録した装備に代えるコマンドを口にする。
すると来ていた服が光の粒子になって弾け、再び収束すると大きな兎耳をたらしたフード付きの黒いパーカーに短パンという身軽な服に変わっていた。
「クイックコマンドならアイテムの出し入れ出来るんすね。バグでアイテム消失とか笑えないっすからねー」
ドレスチェンジのモーションがいつもと違う事に内心少し首を傾げながらも、アイテムがちゃんと残っているのにはほっとする。
「じゃ、ログアウトさせられる前に上から見渡してみるっすかね。スキル使えるといいんすけど……《ウィッチ・ロッド》」
カドゥケウスを前に構えてスキルを唱える。
するとカドゥケウスは手を離れ、美優の膝元あたりに乗れと言わんばかりに浮き上がっている。
「スキルもおっけーっと」
《ウィッチ・ロッド》は杖を得意するマジシャンやエレメンター、ネクロマンサーだけが覚えられるジョブツリーの飛行スキルだ。
効果は童話の魔女のように杖に乗って飛べるというもの。これがやりたいがために職を決めるプレイヤーも当初は数多くいた。
一応、浮遊系スキルでは《エア・ステップ》や《レビテーション》も存在するが、中でもマジックポイントの消費が少なく移動の自由度が高かったのがこの《ウィッチ・ロッド》だ。
が、愛用するプレイヤーはそれほど多くない。
というのも《ウィッチ・ロッド》は他の二つと違ってほぼ移動専用だった。武器の杖に乗っているという時点でアタックに制限が掛かってしまう。
加えて自由に飛ぶのはかなり練習が必要だ。いくらゲーム内とはいえ、グラフィックがリアルな故に苦手な人は5メートル付近まで浮き上がれば高さにびびってしまう。
命綱もないのに支えのない棒一本に身体を預けて高所にいる、というのは本能的恐怖を感じさせるものだ。運営側も自由度に拘って《ウィッチ・ロッド》中の体勢に縛りも設けなかったために、補正はあるものの落下もあり得る仕様だった。
意識を向けた方向に飛ぶとはいえ、これもまた感覚的で初めは誰もがふらつきながら飛び上がって落ちるもの。
戦闘向きではないのに安定して飛ぶだけでも難易度が高い。それが《ウィッチ・ロッド》の実状だ。
「よっと」
そんな事情は美優はとうの昔に克服している。またがったりしなくとも腰掛けている状態でバランスは取れる。
ふわりと杖が浮き上がり、足が地を離れる。
「んー? んー……むぅ。スライム一匹いないっすね」
木々の頭を飛び越すほどまでぐんぐんと上昇する。風を感じながら、ぐるりと周りを眺め渡すが町らしい町は見当たらない。エリアフラッグがないので期待はしていなかったが、これではそもそも既存のエリアと繋がっているかも怪しいものだ。
そしてフィールド上でありながらモンスターの気配もない。感覚系のテストエリアなのだろうか、と予想を立てる。
「ダメ元でおびき出してみるっすか。――《グラビティ・コラプス》」
《グラビティ・コラプス》は威力が第三位クラス――十段階評価なのでかなりの高火力スキル――の闇魔術ツリーのスキル。
あくまで評価は総合的な威力のみを現したもので習得自体はツリーレベル100台とさほど高くない。理由としてはこのスキルの特徴が広く浅く、だからである。
ダメージそのものは第八位クラスといい勝負だがとにかく効果範囲が広い。加えてモンスターに鈍重の状態異常を付加する。評価はむしろその範囲と状態異常を評価されてだ。
味方を巻き込むフレンドリーファイアの可能性も高くそう頻繁に使えるスキルではないが、広範囲に鈍重の状態異常を与えられるのでモンスターの引き付け役としてパーティプレイでは重宝するスキルだ。
何が出てくるか分からないエリアでは無差別に敵を集めて自滅しかねないが、どうせダメ元、倒せないモンスターが出てきた所で強制ログアウト待ちなのだから構わなかった。
「あれ、エフェクトが出ないっすね?」
近くの森に向けて打ったつもりだった。いつもなら赤い光がその一帯を包むのだが、発動する気配がない。
攻撃スキルは制限されているのかと思ったのだが。
ガサガサガサッ! ミキミキッ! バキッバキッバキッ! と森の木々が悲鳴を上げ始める。
次の瞬間――不可視の面に押しつぶされるように一斉に木々が地に伏せられ森の中に開けた空間が出来た。
「ふぁっ!?」
変な声が出た。




