02 親睦会スタート
玄関ホールから螺旋階段を登り、二階の談話室へと案内された鈴音は物珍しい内装に目を丸くさせた。十六畳ほどの広さの部屋の床は黒を基調とし、隅々まで花の文様が織り込まれた絨毯が敷かれ、草花模様の壁紙が貼られている。窓には色硝子がはめ込まれており、外から取り入れた日光をより鮮やかな色にしていた。
部屋の中央には黒檀の机案が設置されており、その上には見たことのない食べ物や飲み物が並んでいて、中性的な少年——否、少女だろうか?——と並んだ幼い子どもが楽しそうに菓子らしき食材に目を輝かせていた。
(この方たちが婚約をした華族と妖魔の長……)
窓の前に設置された長椅子には四十代と思わしき男性が二十代前半の女性と並んで座っている。女性は和装に似た服装に身を包んでおり、覗く首筋や頬、手足は艶やかな鱗に覆われていた。
(私たちとは違って、仲が良さそう)
鈴音と真宵の間には、彼らのような甘い空気は存在しない。いつも肌を刺すようなひりついた空気だ。
(……仕方ないわ。旦那さまはお忙しいから、私のわがままに付き合わせるわけにはいかないもの)
自分だけが婚約者と仲良くできない事実に打ちのめされながら、鈴音は空いた席に腰を下ろした。その後ろに薪田が控える。隣に座るように促すが「従者だから」と断られてしまった。
「お待たせしたわね。では、自己紹介から始めましょうか」
同じく空いた席に腰掛けた潔子は、両手を胸の前で合わせながら楽しそうに微笑む。
「あたしは三条潔子。こちらが婚約者の」
隣で腕を組む蘭丸を手で促すように示した。
けれど、蘭丸は答えない。野生的な顔貌は黙っているだけで、恐ろしさを感じる。潔子がわざと「こ、ん、や、く、しゃ、の」と間を作りながら大きな言葉で促すとやっと口を開いた。
「……鬼族。蘭丸だ」
「もっと声を大きくなさいな」
バシッと鋭い音が聞こえた。潔子が蘭丸の肩を思いっきり叩いたのだ。
婚約者、それも妖魔相手に暴力を振るう潔子に鈴音は驚いた。力じゃ絶対に敵わない相手にこんな行動をとるなんて、薪田の言っていた〝奇想天外〟という言葉がよく理解できた。
蘭丸は怒るでも悲しむのでもなく、呆れたように叩かれた肩をさすっている。鬼という種族は特に短気で粗暴だと聞いていたが、実際は違うようだ。
ある意味、空気が変わった部屋にくつくつと喉を鳴らす音が響く。音の方向を見ると幼子を抱き抱えた少年が袖で口元を隠していた。
「鬼ともあろう者が人間の婚約者相手に右往左往する様子を見るのは面白いな」
そんなに面白いのか少年はまだ笑うのをやめない。目尻に溜まった涙が頬を滑りおち——氷の粒となり、床へ落ちた。笑った拍子に前髪が滑り落ちる。細かな雪の結晶が纏う白銀の髪を耳に掛け直すと、少年はにこりと美しいが、どこか作り物めいた笑みを浮かべた。
「僕は雪童の氷織。この子は婚約者の来栖川雅臣。よろしくね」
雅臣と呼ばれた幼児は、おずおずと手を振り、すぐさま氷織の胸に顔をうずめた。どうやら恥ずかしがり屋のようだ。
続いて、椅子から男性が立ち上がると一礼した。
「久遠寺家、当主をつとめる陸朗太だ。こちらは私の婚約者である」
男性——陸朗太が目配せをすると鱗の女性も立ち上がり、小さく膝を折る。
「人魚の千姫と申します。よしなに」
艶のある透き通った声が歌うように言葉を紡ぐ。
「綺麗な声ね」
ほう、と潔子は息を吐く。
鈴音も同調するように首を縦に振った。今まで聴いてきたたくさんの〝音〟の中でも、千姫の声は特別美しい。不安な心を軽くさせて、いつまでも聴いていたくなるような不思議な響きを帯びていた。
褒められた千姫は、ぎこちなくはにかむと陸朗太と共に椅子に腰掛けた。
そして、次に鈴音に周囲の視線が集まった。
「えっと、鷹司鈴音と申します。婚約者である真宵さまは、お仕事のため私一人で参加しました。本日は、よろしくお願いいたします」
「鈴音さまの主治医を務めます、薪田と申します」
薪田と共に深く頭を下げる。
「自己紹介はこれで終わりね。今日は外国のパーティというものを参考にしてみたの。中央には色んな料理やお菓子を用意したから、好きなだけ食べてくださいな」
緊張が滲む空気の中、親睦会が開催された。
※
「鈴音ちゃん、これ食べれそう?」
差し出された陶器の皿には加須底羅に似た、色鮮やかな菓子が乗せられている。受けとって不思議そうに小首を傾げると薪田は「ケーキ」という洋菓子だと教えてくれた。
「すみません。ありがとうございます」
「いいってことよ。あと、チョコレイトにマカロン、甘いのばっかじゃ飽きるからサンドウィッチっていうのも持ってきたよ」
次々に円卓に乗せられていく料理はどれも見たことがないものばかり。もの珍しくてまじまじと見つめていると頭上から影が差した。
「失礼。挨拶してもいいかな?」
耳に馴染む低音に、鈴音は面を持ち上げた。
そこにいたのは久遠寺陸朗太と千姫だった。二人の姿を確認した鈴音は皿を円卓に置くと、急いで立ち上がった。
「は、はい。こちらこそ、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません」
社交の場の規則は知らないが、本来は年少である鈴音が挨拶に伺うべきなのだろう。物珍しい料理や菓子に目を奪われて、失念していた。謝罪を含め、深く頭を下げると陸朗太は焦ったように口を開いた。
「顔をあげなさい。そうやって華族が軽々しく頭を下げてはいけない」
「す、すみません」
「謝罪もいい。とりあえず、顔をあげるんだ」
硬い声に命じられて、鈴音は姿勢を正した。
(なにか怒らせるようなことをしてしまったのかしら)
内心、怯えながら陸朗太の様子を伺った。
人間にしては長身で肩幅は広く、鍛え上げられた胸板は分厚い甲冑のように盛り上がっている。黒々とした濃い髭は頬まで覆っており、顔立ちは厳つく、まるで熊のようで恐ろしい。
「もし、陸朗太さま」
硬直する鈴音を一瞥すると千姫は陸朗太の袖をくんっと引っ張った。
「そんなお顔をしては、怖がらせてしまいますわ」
「むっ。私は怒ってなどいない」
千姫に指摘されて、見るからに陸朗太はたじろいだ。三歩ほど後ろに下がり、口元にはぎこちない笑みを浮かべて、改めて鈴音に視線を向けた。
「本当に怒ってはいない。ただ、君に聞きたいことがあるだけだ」
笑顔は苦手なようで、目元をぴくつかせながら陸朗太は意図的に穏やかな声音を発した。
「えっと、なにがでしょうか?」
「体調はいいのか?」
体調? と鈴音は首を傾げた。熱を出した件は自己管理の甘さが出たからであって、実家にも国にも報告はしないで欲しいと夕霧や薪田に頼み込んだ。彼らが鈴音の意思を無視して、報告しているとは考えにくい。
どうして体調を問われたのか分からず、更に首を傾げると陸朗太も真似するように首を傾げた。
「君は鷹司家のご令嬢であっているか?」
「はい。鷹司景義が娘、鈴音でございます」
「景義どのにはいつもお世話になっているんだ。彼から君は病弱で臥せているといつも聞いていた。だから、慣れない場所に長時間いて大丈夫なのかと心配したんだ」
「……それは」
鈴音は言葉に悩む。おそらく、父が陸朗太にそう伝えたのは忌み子である鈴音が外にでないことを疑われないようにするためだ。
(お父さまがそう言っているのなら、守らなきゃ)
陸朗太と父は普段から親交がありそうだ。ここで病弱な娘を演じなければ、陸朗太から父に伝えられてお叱りを受けるかもしれない。……恥をかかせたとまた打たれてしまうかもしれない。自分を守るために鈴音は嘘を演じることにした。
「はい。今、住んでいるところが自然豊かなのもあって、体調は大丈夫です」
「そうか。その狐面は、婚約者どのの命令で着けているのか?」
「これは、……病で目の色が異なっているので、自分の意思で着けています」
「見えないわけではないのだろう?」
陸朗太は伺うように薪田に視線を向けた。
意図を察した薪田は「そうですね」と顎を引く。
「鈴音さまは体調もいいですし、視力も問題ありません。もし、なにかあれば私が着いていますのでご心配はいりませんよ」
「主治医どのが言うのなら心配はいらないな。だが、無理はするな。もし違和感を感じたらすぐにいいなさい」
「ご心配をおかけします」
と鈴音がまた頭を下げようとした時、左から強い衝撃がした。あまりの出来事に身体を支えることはできず、鈴音はぶつかってきた人物共々、絨毯の上に倒れ込んだ。
「鈴音ちゃん!?」
「大丈夫か!?」
「潔子!! お前は!!」
薪田と陸朗太の心配そうな声に重なるように、蘭丸の怒声が耳をつく。
「鈴音ちゃん、もっと食べなきゃ駄目よ。すっごい細いもの」
鈴音の上に覆い被さりながら潔子は悪戯っ子な笑顔を浮かべた。その手は鈴音の腰や腹に添えられている。恥ずかしさや驚きから鈴音が硬直していると駆け寄ってきた蘭丸が潔子の襟首を掴みあげた。
「ちょっと、離しなさいよ!」
「走るな、飛びつくな、失礼なことを言うな!!」
「いいじゃない。今日は無礼講だもの」
「お前はいつも無礼講だろうが」
言い争いを始める二人の横で、薪田に抱き起こされた鈴音は自分を落ち着かせるために胸に手を添えた。布越しでもわかるほど、心臓は速く脈打っている。これは落ち着くまで時間がかかりそうだ、と思いつつ潔子を見た。
蘭丸から説教を受けているのに潔子は我関せずな態度で千姫に絡もうとしている。そこに反省の色は見られない。更に蘭丸が語気を荒く、大声で叱っても彼女はどこ吹く風。
その姿が不可解で、同時に眩しくて、鈴音は両目を細めた。
(どうしたら、ああやって話せるのかしら)
真宵を前にすると蛇に睨まれた蛙のように身体が強張ってしまう。頭で考えていた言葉すら喉奥に張り付いて、簡単に出てこない。
はあ、とため息をつくと薪田が心配そうに顔を覗き込んできた。
「疲れた?」
「少し」
けど、と鈴音は前を見た。米神に血管を受けせた蘭丸が潔子を止めようとするが、潔子は止まらない。そんな潔子から逃げるように千姫が陸朗太の背に隠れている。
「どうしてでしょうか。楽しい、と思ってしまうのです」
「それは良かった」
薪田は心底嬉しそうに笑うと包み紙からチョコレイトを取り出すと頬張った。甘いものが好きなのか、その顔はみるみるうちに幸せそうに蕩けていく。
そんなに美味しいのだろうか、と鈴音が見ているとその視線に気がついたらしく、小さな銀の包みを差し出してきた。受け取った鈴音は薪田の真似をして、包みを解いて、チョコレイトを口にした。
「……不思議な食感ですね」
体温で溶けると苦味と甘味が同時に舌の上に広がった。昔、口にした餡子とは違った触感と味だ。
「苦手?」
「甘いけど、食べたことがなくて」
「無理なら残していいからね。……それにしても、本当に噂通りだな」
誰を指しているのか聞かなくても今なら分かる。鈴音が「頼もしいです」と感想を言うと薪田は頬を掻いた。
「妖魔相手でも物怖じしないのは頼もしいというより、見ていて恐ろしいよ」
「……でも、蘭丸さまはそんな潔子さまを尊重しているように見えます」
鬼という種族は恐るべき怪力と耐久性を持っていると聞いたことがある。彼らが好むのは人肉で、古来より人里を襲っては人間を攫い、食していた。
それなのに蘭丸は潔子に対して暴力は決して振るわず、話し合いで解決しようとしていた。妖魔と人間でありながら対等の関係を築く二人の姿は意外であり、少し羨ましくもある。
(私も旦那さまと話し合えれば、少しは仲良くなれるのかしら?)
そんな未来は想像つかないが、夢見るぐらいはいいだろう。




