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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
皐月の頃

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03 勇気を貰う


(最悪だ)


 樒は心の中で何度も毒を吐いた。

 久しぶりに里に帰ってみれば、大勢の妖狐に囲まれて「真宵さまはどうした」だの、「婚約者はどんな雌だ」だの、「協定はいつまで続ける予定だ」だの、早口でまくし立てられた。里にいた頃は穢れた存在として話しかけてこなかったくせに、現状を知るためなら異物であろうと馴れ馴れしく接してくるのはとてつもなく苛立たしい。

 討伐への参加者を募ったところ、多くの妖狐が手を挙げたのはよかった。

 しかし、帰路に着こうとした時、樒の帰省を耳にした玉藻たまも直々の命令で近況報告をすることとなったのも毒吐く要因の一つ。


(玉藻さまがなにをお考えなのか分からない)


 御殿ごでんに足を運んだ樒を、玉藻は笑顔で迎え入れた。息子である真宵が婚約者と仲良くしているのか、討伐に関して文句をいわずこなしているのか、婚約者は妖狐族の嫁となることを受け入れているのか。

 矢継ぎ早に聞かれた質問に樒は丁寧に答えた。他の妖狐からの質問は無視できるが、玉藻は長くに渡り、一族を支配していた。年老いてもなお、研ぎ澄まされた妖力は樒とて敵わないのは明らかだ。できる限り、彼女の怒りは買いたくない。


(下手をすれば、この婚姻は失敗するだろうな)


 真宵が鈴音に対して酷い仕打ちをしていると暗に伝えても、玉藻は笑みを浮かべるだけ。息子に対して怒りを表すことも、婚約者に対して同情を表すこともない。

 その内心が読めなくて、樒は恐ろしさを覚えた。此度こたびの縁談は玉藻たち、妖魔の長がみかどに対して持ちかけたものと聞いている。息子である真宵が婚約者に無体を強いていると知ったら、縁談が破談にならないように焦るはずなのに、その様子は微塵も見られない。


(……いや、鈴音ちゃんなら問題ないとたかをくくっているのだろうか)


 玉藻に気に入られようと桔梗が頻繁に文を出しているのは知っている。内容までは分からないが、おそらく鈴音に対しての罵詈雑言と真宵への賞賛だ。あの女狐は短絡的なので思考が読みやすい。


(彼女は普通の環境で育ってはいなさそうだし)


 鈴音の生家である鷹司家は平安時代後期、中納言を務めた鷹司晴臣(はるおみ)とする一族だ。晴臣の娘が時の帝のきさきとなり、男児を産んだことで外戚がいせきとして栄えた。歴史も資産もあり、更に国への忠誠心の高さから今も帝からの信頼は厚いと聞いている。

 人間というものを詳しく知らない樒だが、その血筋ゆえに赤い瞳を持ち生まれた彼女が置かれた環境が〝普通〟から乖離かいりしていることは気がついていた。

 海の向こうでは樒たちのような色鮮やかな色をした髪や瞳を持つものは珍しくないが、この国では異端に分類される。華族——それも四大華族の令嬢なのに鈴音が自我をださないのは、幼い頃から抑圧された環境に身を置いていたからだろう。


「……ん?」


 深い森の中。屋敷の輪郭がおぼろげに見える位置まで近づいた時、樒は違和感を覚えて足を止めた。視界に映る光景はいつもと同じなのに、空気は張り詰めて息苦しさを覚えた。


 ——嫌な予感がした。


 樒は急いで肉体を女体に変化させて、夕霧としての仮面を貼り付けた。玄関をくぐり、周囲をぐるりと観察する。見たところ不自然な箇所かしょはない。

 そのまま鈴音の部屋へと向かおうと廊下を歩いていた時、桔梗と出会った。楽しげに揺れた尾も、嬉々とした表情も樒の姿をとらえると同時に不機嫌そうに垂れ下がる。


「あら、お戻りでしたか? 朝からいらっしゃらないので、熊にでも食べられたと心配していましたわ」


 本当に馬鹿だ、と心の中でののしりながら樒は微苦笑を浮かべる。


「実家に帰省していました。ご心配をおかけして、申し訳ございません」

「心配などしていません。人間如きに、わたくしが心配するとでも?」

「それは……」


 樒は悲しげに睫毛を伏せるふりをした。桔梗の物言いはしゃくに障るが、今の自分は夕霧というか弱い人間の女なのだから怒りを押し留める。


「はあ、本当に最悪ですわ。せっかくのいい気分が、あなたの顔を見たせいで台無し」


 わざとらしく桔梗は肩を持ち上げると樒の隣を通り過ぎていく。


(変化も見破れない下等のくせに偉そうだな)


 その背中を樒は睨みつけた。自分と同い年でありながら尾はたったの一本しか生えておらず、樒が変化していることも見抜けない一族の底辺のくせに、と表立って怒れない分、心の中で罵倒をする。


(桔梗はどうでもいい。今はそれよりも鈴音ちゃんのところに行かないと)


 罵倒の言葉はまだたくさんあるが心の奥底へ押し込んで、樒は鈴音の元へと急ぐことにした。

 鈴音が気付くようにわざと足音をたてて廊下を歩き、襖の前にくると努めて優しく話しかける。


「鈴音ちゃん、いる? ごめんなさい。時間がかかっちゃって」


 いつもなら笑顔で出迎えてくれるのに、一向に襖は開かない。屋敷全体の雰囲気といい、桔梗の喜びようといい、なにかがおかしい。

 樒が襖を開けようとすると中から「待って!」と声が聞こえた。鈴音が声を荒げるのも珍しい。震えを帯びた声音に樒は嫌な予感が当たったことを理解した。

 今すぐ、中に入って鈴音の安否を確かめたいが我慢する。ここで無理に押し入れば、せっかく得た信頼が泡となってしまうかもしれない。


「どうかしたの?」

「いいえ、なにもありません」


 中から布が擦れる音が聞こえた。わずかにだが別の音も混じっている。


(なにかを隠している?)


 聞こえる音のみで推測していると、襖がゆっくり開き、鈴音が顔をだした。表情は狐面によって隠されているため、読み取ることができない。

 樒は不思議そうに小首を傾げてみせた。


「どうしてお面をしているの?」

「その、最初に桔梗さまとお約束をしていたのを忘れていて」


 そんな約束結んでいないことは知っている。血のように濁った眼が気持ち悪いから隠せ、そう命じたとあの低脳は聞いてもいないのに自慢げにぺらぺらと喋ってきたから。


「私の前では着けなくても大丈夫よ」

「いえ、これは……」


 鈴音は言葉を切るとなにやら考え込む。どう答えるべきか迷っているのだろう。


(あの女狐は余計なことばかりしてくれる)


 ため息をつきたい衝動を我慢する。今は無理に詮索するよりも、いずれ鈴音自ら話してくれるまで待ったほうがいい。

 そう判断すると、会話を変えようと樒は鈴音の耳に唇を寄せた。


「今日の夕食はちょっと豪華にしてみない?」

「豪華?」


 内緒話をするように声をひそめると鈴音も真似をする。その様子が雛鳥のようで可愛らしくて、無意識に相好そうごうを崩した。


「ええ、旦那さまが留守だから今日はぱーっと楽しみましょう」


 落ち込んだ時は美味しいものを食べるに限る。鈴音の喜ぶ顔をみるため、腕によりをかけようと意気込んだ。







 ——夕霧は不思議な女性だ。

 彼女を見るたびに鈴音は思う。神が彫り上げたような美貌に、しなやか過ぎる身のこなし。登山には向かない和装のまま、険しい山道を一歩たりとも乱さず歩み続ける体力は細い身体のどこにあるのだろうか。


「味付け、濃かった?」

「いいえ、とても美味しいです」


 現に今もそう。カレイの煮付けを箸でほぐしながら、鈴音が夕霧を盗み見ていたことにすぐさま気が付いた。この勘の良さも彼女が〝不思議〟だと思う要因のひとつ。

 鈴音は幼い頃から母以外の人間が恐ろしかった。それゆえに、相手の様子をうかがい、感情の機微を察する能力に長けていた。父の機嫌を損ねないように、母を悲しませないように、周りから疎まれないように——それが自分の身を守ることに繋がるから。

 お面を着用していることもあり、鈴音が様子を窺っても誰も気がつくことはなかった。それなのに、夕霧は鈴音の視線にすぐ気付いてくれる。柔らかく微笑んで、「どうかした?」と聞いてくれる。


(夕霧ねえさまは、いったい何者なのでしょうか)


 彼女は人間のように振る舞っているつもりでも、些細な言動から鈴音は気がついてしまった。彼女は普通の人間ではない、妖魔——おそらくだが真宵や桔梗と同じ妖狐だと。

 けれど、真宵たちの味方かと言われたらよく分からない。鈴音が熱を出した時、しばらく夜伽がなくなったのは夕霧が進言したからだ。

 で、なければ真宵は無理に組み敷くに違いない。熱が下がり、体力が戻っても「無理しなくてもいい」と言ってくれた。桔梗からの嫌味に、盾となって守ってくれたのも一度や二度ではない。


(きっと、今のままじゃいけないわ)


 夕霧には鈴音の使用人としての生活の他に、妖狐としての責務もある。ふとした時にいなくなるのも、今朝のように用事と称して出かけたのもそのためだ。


「今度、作り方を教えてください」


 妖魔は恐ろしい。

 けれど、夕霧は恐ろしくはない。


(夕霧ねえさまを私に縛りつけるのは駄目)


 ずっとその優しさを感受していたい。鈴音が気が付かないふりをして、いつまでも殻に閉じこもっているのなら、優しい夕霧はずっと〝鷹司鈴音の使用人〟として側にいてくれるだろう。


(……それだけは駄目)


 自分が誰かを縛り付けるなど、許されるわけがない。


「私も作ってみたいです」


 さりげなく帯に手を添えて、形を指先でたどる。櫛は折れてしまったけれど、勇気をもらえたような気がした。


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