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父の話

同ペンネームで別サイトにも載せている一次創作の小説になります。

異世界ものファンタジー路線の物語ですが、しばらく主人公は現実世界で行動しています。主人公くんのお父さんが何でお家にいないのかなど、やっと少し分かりますがまだ秘密のこともあります。

引き続きよろしくお願いします。

 キーンコーンカーンコーン……

「はい終了ー鉛筆置けー」

「わーっ!ちょっと待って名前書くの忘れた!」

「おいこら試験何日目の何教科目だと思ってんだー?まあいいや、他の人は後ろから答案集めろー」

 試験監督の先生の一声で、最後尾の生徒は列ごとに粛々と答案を回収する。名前を書き忘れた生徒含めて全員分が集まったのを確認すると「よし解散。お疲れー」と言ってさっさと教室を出ていった。

 扉が閉まった瞬間、教室中から安堵の溜め息が聞こえた。そして、喜びに溢れたお喋りであっという間に部屋中が賑やかになる。

「お、終わったあ……」

 かく言う僕もその内の一人。緊張の糸が解けるままに大きく息を吐き、ぐったりと机に突っ伏した。


 とうとうやってきた、期末試験の本番。

 三日間かけて主要の5教科と他の数教科の筆記試験が組まれ、今日でやっと最終日だ。最後に立ちはだかったのは数学と化学、どちらも僕が苦手としていた科目で、正直かなりしんどかった。

 でも、中間試験の時よりもはっきりした手応えがあったし、何よりやれることはやったんだ。不安は残るけどあとは運を天に任せるだけ。

 それよりも、やっと勉強漬けの日々が終わったという解放感と喜びの方が大きい。これで、僕は、自由だ……!

「よう、お疲れさん」

 早速テルが手を振って近寄ってきた。言わずもがな、その表情は実に晴れやかだ。

「お疲れー!やっと終わったねー」

「長かったよなあ……んで、出来栄えはどうよ」

「まあまあかな。でも自信無いや」

「雨宮せんせーが自信無いなら、たぶんオレはもっとやべえな……赤点かも分からんなこりゃ」

「だ、大丈夫だよきっと!ていうか今回なんかやたら難しかったし、そもそも平均点低いんじゃないかな?」

「だったらワンチャンあるかもな……頼む、平均30点とかであれ」

「それは低すぎ!」

「やっぱダメか」

 へらりと笑ったテルに、僕もつられてくすくす笑う。さっきまで肩周りがカチコチに緊張していたのに、一気に緩んでいく気がした。

「でも、テルはすぐに部活再開だよね」

「まあ流石に今日はミーティングだけだと思うけど」

 かったるいなあとぼやきつつ、その表情はどこか嬉しそうに見えた。テルは昔から座学よりも体を動かす方が生き生きするタイプだからなあ。

 そういえば、以前テルから「夏休み中に三年生の最後の大会がある」って聞いたっけ。きっと今日以降、テルのスケジュールはいっぱいになる。夏休みに入ったら、大会が終わるまで会えなくなってしまう。

(大会も勝ち進んだら、夏休み全部使うかもって言ってたな)

 スポーツそのものと縁遠い僕は、試合とか大会とかそういうものへの理解が浅く、漠然と「いつも大変なんだろうな」という捉え方しか出来ない。

 けれど、テルが時々話してくれる部活の話や、その時に見せる真剣かつ熱の籠った朱色の目を見ていると「きついけど、心が燃え滾るほど楽しい」というポジティブな想いが目に見えるようで。

 だからこそ「夏休み中に会えないのは寂しい」という気持ちの何倍も「存分に頑張って、報われてほしい」という気持ちが大きくなるのだった。

「————渚、今度の日曜空いてるか?」

 大会頑張ってねと言おうとした矢先、テルの提案に僕はきょとんとした。

「え、空いてるけど……テル、部活じゃないの?」

「テスト明けだからって部員全員そこだけ休みなんだよ。まあ、大会に向けた強化期間前のご褒美ってところか」

「でも、体のメンテナンスとか、大会に向けた準備とか……よく分かんないけど、そういうことにお休み使わなくていいの?」

「それも大事だけど……ダチと過ごして英気を養うのも同じくらい大事だし」

 そう言って、テルは歯を見せてにししと笑った。はっきり言わない中にも会いたいと思ってくれている気持ちが垣間見えて、たちまち喜びが胸の中で波紋のように広がっていった。

「つうかお前、オレが一日丸ごと体のメンテナンスに使ってるって思ってたのか?」

「スポーツやる人の相場、分かんなくてさ……筋肉痛とか疲れとか凄そうだから、てっきり一日丸々使ってケアしてるのかと」

「まあ人によるけど、オレは少なくとも違ぇから。スポーツ知らん奴が余計な気ぃ遣うなっつーの」

「えへへ、ごめーん」

 呆れ顔のテルにおでこを指でつつかれながら、顔がにやけていくのが自分でも分かった。

 集合場所と時間を軽く話し合ってざっくりと決めると、テルはそろそろ部活の時間とのことで荷物を手早くまとめた。

「んじゃ、そゆことで。また日曜になー」

「うん、じゃあね。部活頑張れー」

「うーっす」

 軽く手を振り合って別れると、僕も鞄を肩に掛けて教室を後にした。


 試験日の学校は早く終わるので、お昼頃には自宅に着いた。ただいまーと一声、中に入ると母さんが台所から迎えてくれた。今日は確か母さんもシフトが早く終わる日だったはずだ。

「おかえり。試験の出来はどうだった?」

「自信はあんまり無いけど、中間試験の時より手応えあったよ」

「うんうん、ならきっと大丈夫ね。お疲れ様でした」

「えへへ、ありがと!」

 母さんは満足そうに頷いて笑うので、僕も笑顔を返した。

「そういえば、何作ってるの?」

 台所を覗き見ると、コンロには大きめの鍋がぐらぐら煮立っている。

「試験お疲れ様ってことでお昼は蕎麦にしようと思って。仕事終わりに天ぷらも買えてね」

「ほんとに!やったあ!」

「ほら、手を洗ってきなさい。あとはもう蕎麦を入れて茹で上げるだけだから」

「はーい」

 天ぷら蕎麦は大好物だ。僕は鞄を一度玄関に置いて、いそいそと洗面所へ向かった。

 手洗いとうがいを済ませ、食卓にランチョンマットやお箸などを用意する。二人分のめんつゆを作りながら待っているうちに、蕎麦と天ぷらを持った皿がそれぞれ運ばれてきた。席に着き、二人でいただきますと声を合わせてから、さっそく蕎麦をつゆに付けてすすり、海老天を齧る。

 丁度お腹が空いていたのはもちろん、試験というしがらみから解放されたおかげか、普段よりずっと美味しく感じる。むしゃむしゃといつもより早足で食べる僕を、母さんはにこにこと楽しそうに見ていた。

 完食後、食べ終えた食器を片付け、よく冷えた麦茶で喉を潤しながらこの後はどう過ごそうかな、と思いを巡らせる。ああ、そういえば一つやらなきゃいけないことがあった。

「母さん、もう少ししたら出かけてくるね」

「どこ行ってくるの?」

「図書館。借りてた本をそろそろ返さないとだから」

「なるほどね。分かった、あまり遅くならないようにね」

「うん。夕方になる前には帰るよ」

 麦茶をぐいっと飲み干し、着たままだった学生服から普段着へ着替える。簡単に出かける用意を済ませると、母さんへ「行ってきまーす」と一言、早速自転車を漕ぎ出した。


 図書館に到着後、まずは借りていた本を返却した。

 例の本は、試験勉強の息抜き時や寝る前に読み進めていたおかげで、借りて5日程度で読破していた。その後は試験勉強で気を取られていたけど、読み終えたのだから忘れないうちに返さないと。

 その後、返した本の続きが無いか探してみる。ファンタジージャンルの棚、目当ての作品名をくまなく探してみると、普段は隙間が空いているそこには何冊かの背表紙が見える。確認すると、それは正に探していた作品のすぐ次の続巻。奇跡的に返却されていたらしい。内心小躍りしつつ、早速手に取って受付へ向かう。手早く貸し出し手続きを終え、適当な席を探していると、不意に本棚間の通路から声をかけられた。

「こんにちは、渚くん。平日に会うなんて珍しいねえ」

「叡彰おじさん、こんにちは。実は期末試験があってさ。今日で最終日だったから、学校も早終わりなんだ」

「そうかそうか、それはお疲れ様だ。手応えはどうだい」

「けっこう頑張ったよ。まあ、苦手な教科だったから自信は無いけどね……」

「おやおや。でも自分では頑張ったと思っているんだろう?それで充分だよ。結果が良かろうと悪かろうと覚悟を決めて努力した結果には、いずれも価値があるものだからね」

「えへへ、だとしたら頑張った甲斐があったかも。ありがとう、おじさん」

「いえいえ。どんな頑張りも無駄なことなんて無いからね。すぐには分からなくても、きっといい形で渚くんに還元されるさ。兎にも角にも、まずは最後まで頑張れた時点で渚くんは百点満点だよ」

 そう言って、叡彰おじさんがにこにこしながら撫でてきたので、照れ隠しに笑って頬を掻く。昔から彼はこうして、家族のような温度感で慈しんでくれるのだ。

「もう、叡彰おじさんは相変わらず僕に甘いなあ。何か親戚の人みたい」

「私にとって、君はそれくらい大切な存在なんだよ」

 そこまで言うと、おじさんは一呼吸置いた。ほんの数秒だったけど、その表情は何だか言葉を探して慎重に選んでいるように見えた。何だろう、と内心首を傾げつつ、次の言葉を待つ。

「……何せ、君は私(・)の(・)古(・)い(・)友(・)人(・)の(・)息(・)子(・)だからね」

 ————古い友人の息子。

 その言い回しにハッとして視線を上げると、叡彰おじさんは懐かしいものを見る時のような、慈愛と寂しさが入り混じったような微笑みを浮かべていた。

「ねえ、その友人って……」

「……少し、場所を移して話そうか」

 僕が皆まで言う前に、叡彰おじさんがやんわりと遮る。そして、受付の司書に「ちょっと外すね」と一声かけると、僕を促して歩き出した。


 この図書館には、一階フロアから出られるテラススペースがある。せり出した屋根の下、木目調の円形テーブルと数脚の椅子が置かれたそこは広めの日影なので、読書する人や休憩に来る人が多い。尤も、今は七月のお昼時。目が眩むような日差しの下、賑やかさを増し始めた蝉がひっきりなしに鳴いている。涼しく静かな館内ではなく、わざわざここを利用する人が少ないのも仕方がない。でも、だからこそ叡彰おじさんはここに僕を案内したのだろう。

 案内されるまま座った席は、一番影の範囲が広い隅っこにあったおかげか、思っていたほどの暑さではなかった。これから少し話し込むには丁度いいかもしれない。

「さて……と」

 僕の対面に座って、叡彰おじさんは咳払いを一つ。そして、少し席を動かして、完全な向かい合わせから少しずらした形にする。僕を過度に緊張させないようにだろうか。けれど、いずれにせよ僕の鼓動は速まる一方で、叡彰おじさんの言葉の続きを聞きたいような、聞きたくないような、そんな矛盾した気持ちに挟まれて揺れていた。

「……まずは、戸惑わせてしまってごめんよ。唐突でびっくりしたろう」

「叡彰おじさん……もしかして、僕の父を……時雨(しぐれ)父さんを、知ってるの……?」

 はやる鼓動を抑えようと、膝に乗せた両手を握りしめる。質問の答えを求めて叡彰おじさんをじっと見つめれば、柔らかく落ち着いた光を湛えた黒い瞳が、穏やかに僕を見つめ返す。

「ああ、知っているよ。それも、彼が若い頃からね。隠しているつもりはなかったんだが……重ねて申し訳なかった」

 深々と頭を下げるおじさんに、僕は頭(かぶり)を振る。

「そんな、謝んないでよ。きっと言わないでいた訳があるんでしょ?」

 尋ねると、叡彰おじさんは困ったように苦笑いして頷いた。

 小さい頃からお世話になっているからこそ、僕は知っている。叡彰おじさんはいつでも誠実で正直で、決して悪意のある隠し事はしない。そんな彼が今まで積極的に父さんのことを言い出さなかったのも、きっと僕を気遣っていたからだ。僕にとって、父さんの話題は良くも悪くも特別なものだから。

 

 

 僕の父、雨宮 時雨(あまみや しぐれ)。 

 父さんとは現在、一緒に暮らしていない。単身赴任や海外出張のような事情で会えないのではなく、そもそもどこにいるのかすら分からない。確かに一緒に暮らしていたはずの父さんは、気が付けば僕の前から忽然といなくなっていたのだ。いなくなったのがいつ頃なのかは覚えていない。でも、いなくなったことに気が付いてから少なくとも8年は経っていると思う。

 懐かしめるような思い出は記憶にほとんど無く、顔が分かる写真や似顔絵のような物も手元に無い。その上、父さんが傍にいない生活が少なくとも8年以上続いた弊害だろうか、声は薄っすら思い出せるのに、顔はよく思い出せない。最近見ている例の夢で、最後まで父さんの顔がはっきり確認できないのも、ゆえに父さんだと判断する材料が声頼りなのも、きっとそのせいだ。

 ただ、母さん曰く僕は父さんと髪や目の色がお揃いらしく、髪型の雰囲気も似ているのだそうだ。とはいえ、僕の目鼻立ちはほとんど母さん譲りなので、鏡を見たとて父さんの姿で想像が付くのは、あくまで全体的なぼんやりとした雰囲気だけだった。

 ————僕が把握できている父さん像は、これが全てだ。

 改めて確認すると、把握している情報の何と少ないことだろう。僕は父さんの消息どころか、どんな人だったのかも、どんな仕事をしているのかも、何が好きで何が嫌いかも、知っていることは皆無に等しいのだ。

 

 

「ねえ、おじさん……僕の父さんのこと、知ってるなら教えてよ……!父さんはどんな人だったの?どうして急にいなくなっちゃったの……!?」

 思わず身を乗り出す。父さんを知っている人がこんなに身近にいたなんて。話が聞ける確信を持った途端、さっきまで揺れていた気持ちの天秤が一気に片方に傾いた。

「まあまあ、とりあえず順を追って話させておくれ」

 おじさんの困ったような笑みを見て我に返り、そっと席に座り直す。テラス席にまばらにいた客が、こちらの会話など意に介してなさそうだったのが幸いだ。頬がちょっと熱く感じたのは、きっと夏の昼下がりだからというだけではない。

 

 

 ————叡彰おじさん曰く。

 父さんは、おじさんが今より若い頃にこの図書館に新人司書としてやってきた。当時はまだ独身だった父さんと長年一緒に働くうちに、気付けば奥さんや息子……つまり母さんや僕とも交流が出来て、家族ぐるみで仲良くしていたのだという。

「時雨くんは口数が少なくて、あまり愛想のいい方ではなかったけれどね、とかく真面目な人だったよ。賢く優しい、でも少し不器用な人だったから、他人より悩みも多かったんじゃないかな」

 当時の様子を思い出しているのか、懐かしそうに、でもちょっとだけ寂しそうに、叡彰おじさんは話を続ける。

「でもね、ここの司書たちは皆知っていたんだ。時雨くんが誰よりもここの本や訪れるお客さんを大事に想い、真摯に向き合っていることを。だから、彼を手助けしない人はほとんどいなかったよ。もちろん、私も含めてね」

 叡彰おじさんの話を聞きながら、思いを馳せてみた。

 今や通い慣れたこの図書館で働いていた父さん。僕のように本が好きだったのかな。いや、きっと大好きだったんだろう。そうでなければ、司書として図書館に関わるものに対し真面目に向き合うなんて、なかなか出来ないはずだ。

「渚くんを見ていると、いつも時雨くんを思い出すんだ。見た目はもちろんだけど、性格もよく似ているからね。真面目で、頑張り屋さんで、優しくて、でもちょっぴり不器用で、賢いゆえに悩みが多くて……若い頃の時雨くんを見ているみたいだよ」

 黒い瞳が優しく僕を見つめる。まるで僕の姿に、在りし日の父さんの影を見ているような眼差しだった。

 

 

 「父親がいる」という実感が薄れていく感覚は、僕の心の埋まらない穴に何度も隙間風を吹かせた。

 例えばそれは、小学校に上がってからのこと。

 運動会や授業参観といった、母親だけでなく父親も子供の晴れ舞台を見に来るようなイベントの時に、僕の父さんはいない。

 幼心に寂しく感じて、母さんに「どうして父さんは帰ってこないの」と疑問をぶつけたことは何度かあった。でも、尋ねるたびに母さんは困っているような、悲しそうな微笑みを浮かべて「渚がもっと大人になったら教えてあげるね」とはぐらかすのだった。もちろん納得なんてしていなかった。けど、母さんの今にも泣きそうなのをこらえるような笑顔が無性に苦しくて、これは聞いちゃいけないことなんだと学んだ僕は、いつしかその疑問を胸の奥に押し込んで見ない振りを決め込んだ。

 例えばそれは、日常の風景の一場面。

 父親らしき男性と仲良く手を繋ぐ小さな子供とすれ違った時や、公園でキャッチボールを楽しむ父子を見かけた時。

 カメラのピントが合うように、小さい頃からそんな光景が特に目につきやすかった。楽しそうな親子の様子が目に映るたびに、胸の奥がちくちく刺されるように痛むから、毎回そっと目を逸らすのが常だった。そうやって、どうやったって手に入らないだろう幸せに対する羨ましさや遣る瀬無さに耐えていたのだ。

 

 もっと子供だった頃は「どうして父さんは僕を置いていったんだろう」という純粋な疑問だけがあった。

 でも、成長するにつれて複雑な感情が身に着くと「僕が悪い子だったからだろうか」とか「理由はどうあれ、黙っていなくなるなんてひどい」とか「ひょっとしてもう生きてすらいないんじゃないか」とか、そんなネガティブな考えや感情が混ざるようになっていた。

 加えて、父さんがいない時間の方が長くなりはじめたせいか、思い出が乏しいせいか、最近は父さんがいたという実感すら曖昧になりかけていた。どうでもよくなったわけではない。父さんと僕が、確かに今でも親子として繋がっているのかどうか確信が持てなくなっていたのだ。

 その反動だろう。頻繁に父さんが夢に出てくるようになってから、渇望は加速度的に増していった。父さんの顔が分からない。一緒にいたはずの時間も思い出せない。だから会いたくて、知りたくて、確かめたくてたまらないのだ。

 だからこそ、先程叡彰おじさんがくれた「僕と父さんが似ている」という客観的な感想は、解けかけていた僕と父さんの繋がりを、そっと縒り直してくれる言葉のように思えた。

 


「……叡彰おじさん」

「何だい」

「父さんは……僕のこと、愛してくれてたのかな……?」

 俯いて怖々と尋ねる。膝の上で再び拳をきゅっと握った。

「そりゃあもちろんだとも。君が生まれてからというもの、真面目な時雨くんが仕事中も君の話ばかりしていたんだから。君の成長を私に逐一報告してくる時の時雨くんといったら、頬が緩みっぱなしだったんだよ」

 返ってくる声は明るくのほほんとしている。きっと、語られたことは事実なのだろう。でも……だったら何で……

「何で、父さんは未だに帰ってこないの?今、どこにいるの?」

 僕のことが愛しいなら、僕が今でも父さんの息子だというなら、どうして連絡の一つもくれないのだろう。そもそも、父さんの安否はどうなっているんだろう。父さんが僕を想ってくれていると、そんな確信を持てる手掛かりが欲しいのに。この手に掴めるものが皆無に等しいのが堪らなく心細くて、切ない。目の前に移る自分の拳と膝がじわりと滲みだす。

「……」

 数秒間、沈黙が降りた。

 叡彰おじさんがどんな顔をしているかは分からない。けれど、恐らくとても困った顔をしているのだろう。当たり前だ、こんなにも答えづらい質問にすんなり返事が出来るわけがない。困らせると分かってはいた。それでも訊かずにはいられなかった。僕は俯いたままで、おじさんの次の言葉を待つ。

「時雨くんが未だに戻らない理由は……申し訳ないが教えられない。今、彼はとても難しい仕事を任されていて、役目を果たす為にとても遠い場所に行っている、としか言えなくてね……これ以上詳しいことは話せないんだ。ただ、これだけは確信を持って言える」

 続けられた言葉に、僕はふっと顔を上げた。

「時雨くんは、渚くんの手が届く場所にいる。君がこれから知ることになる世界で、君を待ってくれているんだ」

 目に映る叡彰おじさんは、変わらず優しい微笑みと視線を送ってきていた。

「それからもう一つ、確実なこと。時雨くんは、間違っても君がどうでもいいから連絡を寄越さないわけじゃない。彼は、君と、君が生きる世界のために今も頑張っているんだ。いつか、君に晴れやかな気持ちで会えるようにってね。だから、今は焦らずに、もう少しだけ待っていておくれ。もうたくさんだと思っているだろうけど、時雨くんと会える日は必ず来るから」

 ……何だか要領を得ない言い回しだ。目を瞬(しばたた)かせ、どういうことかと問いかけようとして、やめた。

 叡彰おじさんの微笑みがほんの一瞬、切なさを押し殺したように曇ったのが分かったからだ。母さんに、父さんのことを尋ねると決まって見せていたあの顔に、そっくりな笑顔だった。だから、半ば反射的に疑問を呑み込んでいた。今は追求するべきではない、と咄嗟の電気信号が頭を駆け巡りブレーキをかけたように。

「……長話になってしまったね、ごめんよ」

 会話の切れ目、叡彰おじさんは静かに告げて席を立った。

「おいで、お詫びにジュースでも奢るよ」

 お詫び。それは暑い中しばらく話し込んでしまったことか、それとも何かとはっきりしないまま話が続けられなくなったことか。いずれにせよ、僕は手招きするおじさんに黙って頷き、後をついていくしかなかった。


 外にあった自動販売機で、よく冷えたりんごジュースを一本買ってもらった。しばらく何も飲まずに行動していたので、気が付けば喉はカラカラだった。持って帰る発想が浮かぶ前に、その場で一気にごくごくと飲み干してしまった。

「……それじゃ、今日は帰るね。バイバイ、おじさん」

「うん。気を付けて帰るんだよ」

 それ以上図書館に留まる気にはなれず、僕は叡彰おじさんに一言、自転車に跨った。振り向くと、叡彰おじさんは相変わらず穏やかに微笑んで、こちらにひらひらと手を振ってくれていた。僕も頬を緩め、軽く手を振り返すと、すぐにペダルを漕ぎ始めた。

 

 ————叡彰おじさんにしてもらった、父さんの話。その一つひとつが、自転車を漕ぐ間ずっと頭の中をぐるぐると巡っていた。

 教えてもらった話だけで、父さんの全てが知れたわけでは決して無い。むしろ、釈然としないことの方がまだ多い。きっとあの場で語られなかった話もあるのだろう。

 それでも、昨日よりもずっとずっと父さんに近づけたことは紛れもない事実だ。曖昧に思えていた父子の繋がりという紐に、ほんの少し手応えが生まれたような。覗けど見えない心の穴に、仄かな光が灯ったような。そんな確かな安心感と、静かな期待が生まれていた。

 仰いだ先に広がる夏の空は、どこまでも青く青く澄み渡っている。その遥か彼方に父さんがいるような気がして、僕は微笑んだ。

(どんなに時間がかかったって、少しでも望みがあるんなら、僕はいくらでも待つよ。いつかきっと……いや、絶対に会えるよね、父さん)

 気が付けば、立ち漕ぎで強くペダルを踏み込み、家路を急いでいた。上気した頬に、自転車の切る風はひんやりと涼しく、穏やかに熱を冷ましてくれるようだった。

更新は気まぐれかつ遅筆ですが不定期に続けていくつもりです。次の更新は未定ですが、10月が終わる前には1エピソード分は進めたい所存。

興味がある方は引き続きよろしくどうぞ。

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