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引きこもり魔女と硬柔騎士様の幸福論  作者: 段数マーカー
3/33

ようこそ

 


 ⁂


 真っ暗闇から突然に意識が戻った。見慣れない天井を見上げて、瞳を瞬かせた。

 初めて見る部屋だった。一抹の不安を覚えるものの、部屋に充満する焼き菓子の甘い匂いが、妙に懐かしい心持にさせた。

 助けてくれたのは誰だろうか、考えを巡らせてみる。否、巡らせるというより、期待した、というほうが正しいか。とても淡く、そして強い願いでもあった。

 しかしながら、答えを出すには情報が足りない。今わかっているのは、この焼き菓子のにおいと暖かな寝具と静かな部屋だけだ。だがアランにしては珍しく、こんなことを推測していた。悪人が甘い焼き菓子を焼くまい、と。


 体を起こし、改めて部屋を見渡した。

 素朴なベッド、洗いたての強張ったシーツ。ふわふわの毛布と民族柄の織物が掛けてあった。

 部屋の壁は石積みで、天井には立派な梁が渡っている。

 ぐるりと見渡していたアランは、火が入った小さな暖炉の前で目を止めた。否、釘付けになったというほうが正しい。なぜなら、尾を引く彗星のような形の毛玉が、こちらを見ていたからだ。

 毛に埋もれてほとんど見えない瞳と、アランの目がかち合った刹那。弾かれるようにベッドに立った。魔王退治に長年費やした体は、考えるよりも早く臨戦態勢を取ってしまうのだ。

 あの毛玉は魔物だ。混乱するガスを吐くやっかいなやつだ。武器はないが何とかなるだろう、相手は一匹だ。

 一方、本気のアランを歯牙にもかけない毛玉はといえば。気が抜けたように「ふ」と鳴いて、手がないのに、器用にドアを開けて部屋を出て行ってしまった。


 くねくね這っていった毛玉を見送っても尚、臨戦姿勢を崩さずに開きっぱなしのドアを睨みつけていた。

 人に害をなす魔物は駆除の対象である。そう認識していたし、魔物は人を見れば襲ってくる厄介な相手だ。

 (だが……殺気が感じられなかった)

 なぜだろうと考えはしたのだが、それも一瞬のこと。漂う焼き菓子の甘い匂いと、この部屋の雰囲気と、気の抜けた毛玉の、どれもが優しさを纏っていて。自分でも気づかないうちに、肩の力が抜けていた。


 ほどなくして毛玉は戻ってきた。

 再び無意識の臨戦態勢を取ったアランだったが、その後ろに人が付き添っているのを目視したため、訝しがりながらも構えた腕を下ろした。

 やってきたのは、黒いローブを纏った小柄な女性だった。

 フードをかぶり、目元は黒い布で覆っていた。ローブの袖は手が見えないほど長く、裾も引きずっている。凛とした佇まいで、丸みを帯びた鼻は愛らしさを、引き締まった口元は聡明さを感じさせた。

「気分はどうだ」

 可愛らしい声だった。判断するに、若い女であることは間違いなさそうだ。しかし言葉や表情に感情がなく、冷たい印象を受けた。

「お陰様で、悪いところはなさそうだ」

 自分の体を確認すると、見覚えのない手編みの靴下を履いていた。赤や桃色で編みこまれた民族柄の靴下はアランの足には少々小さく、柄が広がってしまっていた。

「色が少女趣味なのはご愛嬌だ」

 アランは驚いて顔を上げた。目元を布で覆っているのに、どうして靴下に気を取られていることが分かったのだろう。

(まさか、魔女の長)

 背筋に寒いものが走る。確信めいた直感だった。

 アランは内心で大いに興奮した。目覚めたときに感じた、期待と淡くて強い願いが頭を過ぎった。魔女の長を探す旅の最後に訪れた森で、まぼろしの存在だと思っていた魔女の長に出会えたのだとしたら何たる幸運だろう!

 王に良い報告ができるかもしれない。などと考えるアランに、女は言った。

「眺めはいいか?」

 しゃくるように見上げられ、気が付いた。ベッドに立ったままであることを。

「行儀が悪かった、すまない」

 用意されていたルームシューズに足を入れていると、女は言った。

「旅人。茶会に招いてやる」




 ⁂


 ドアを出ると、そこは広い部屋だった。

 山小屋の趣があり、リースのかかった大きな玄関ドアがあった。

 太い梁には薬草が所狭しと干されている。壁はほぼ全面が書架になっており、天井付近まで本が納められている。

 長方形のテーブルには椅子が六脚。大きな暖炉の前には安楽椅子とベンチ。それから魔物が一匹、毛布の下で丸くなって眠っていた。

 アランはギョッとした。あれはゴブリン族で一番体が大きい種である。筋肉質で、体重はアランの二倍は軽くある。

 ゴブリンを警戒しつつ、女に言った。

「吹雪から救っていただいて、感謝する」

 すると女は、足元の毛玉へ、そしてゴブリンに顔を向けた。

「このフゥがお前を見つけ、そこのヤァがお前を連れてきた。礼はフゥとヤァに言え」

 毛玉が得意げに「ふ」と鳴いた。どうやら、この魔物がフゥらしい。

 アランはキツネにつままれたような心持であったが、とにもかくにも、礼を言わねばならない。

「……礼を言う、ありがとう」

「ふっ」

 嬉しそうにフゥは体をくねらせるが、毛玉がうねる様は少々不気味だ。

「好きなところへ座れ」

 女はドアのない隣の部屋に消えた。どうやらキッチンらしい。食器がぶつかる高い音が聞こえてくる。


 視線を戻すと、いつの間にか肘枕でこちらを見上げているゴブリンと、がっちり目が合った。

 暖炉の炎が逆光になって異様な容姿を際立たせていた。

「お……お前がヤァ、なのだな」

 魔物に人の言葉など通じない。アランは戦いの中で学んできたことだ。

 しかし、ゴブリンは気だるげな瞬きとともに、口を開いた。

「ヤ」

 牙がちらりと覗く。

 魔物が言葉を理解しているなどありえないと思いつつ。性分で、状況を素早く理解し、冷静に俯瞰していた。

「吹雪の中を助けてくれたそうだな。礼を言う、ありがとう」

「ヤ」

 お尻をポリポリ掻きながら。ヤァは丸まって目を瞑った。


 女は、大きな皿をテーブルに置いた。何カ所も施されている金継がアートのような風情を醸していた。

 クッキーとカップケーキが盛られていて、焼きっぱなしの素朴な菓子は、山小屋の雰囲気と相まってとても美味しそうだ。

 その後ろからティーセットのトレイを頭に乗せたフゥが、にょろにょろやってきた。

 女はそれを受け取ると、愛おしげにフゥの頭を撫ぜてやる。その時、長い袖から一瞬だけ見えた手が人の色ではないのを、アランは見逃さなかった。


 茶を淹れる様子を、アランはじっと観察していた。

 女は目元を布で覆っているが、もしかしたら見えているのではないかと考えていた。

 手編みの靴下に気を取られていることを知っていたから、もしかしたらと疑っていたが。今度はどうだ、茶葉をすくって適当にポットへ放るから、茶筒からこぼれるわ、ポットに入らない時もあったりで、テーブルは散々な状況である。

 続いて豪快に熱湯を注ぐから、こぼしやしないか心配だった。

 戦々恐々見つめているアランの予感は的中した。熱湯がポットの容量を超えたのだ。

 ポットの注ぎ口からお湯がビュンッと飛び出した。これはさすがに危険だ。女がやけどをする前に止めさせようと腰が浮き上がったその時だ。椅子の上でのんびり眺めていたフゥが「フ」とひと鳴き。すると女は注ぐ手を止めた。

「ありがとう、フゥ」

 まるで見えているかのように、フゥの頭に手を乗せて撫ぜていた。


 結局、代わろうかと言い出す好機を見つけられないまま。カップに注ぐ様子を、アランはハラハラしながら、固唾を飲んで見守っている。

 カップに注ごうとしても、熱湯のお茶は暴れてテーブルクロスに染みていく始末だった。


 カップもポットも温めない、蒸らす時間も置かない……茶の淹れ方は論外だったし、目が見えないのに熱湯を扱うのは危険である。代わろうかと何度言おうとしたことか。しかし、何とか堪え切った。

 テーブルは目も当てられない惨状なのだが……フゥが散らばった茶葉を掃除機のように吸っている光景が、なぜだろう、アランを愉快な心持にさせてしまうのだった。


 提供されたカップにはちょうどいい量が注がれていた。

 アランは感心する一方、不安を覚えはじめていた。女の行動が不気味すぎるからだ。

(あの目は見えているのか、いないのか。袖口から見えたあれは手か、否か)

 考えに耽るあまり、いつの間にか女を見つめてしまっていたアランへ、女は冷ややかな声で言った。

「薬草茶だ。よく温まり、足のけがも治りが早くなる」

 目元の黒い布越しに、湯気がくゆっている。

「けが?」

 アランはオウム返しをしてしまった。体に異常はないと自覚していたからだ。

「しもやけ程度だが。一応軟膏を塗った」

「それは気が付かなかった。重ね重ね感謝する。改めて礼を言わせてくれ。俺はアラン。プロメテウスから来た」

 アランも茶をすすった。甘い芳香のする、少々スパイシーな茶で、なかなかアラン好みだった。

 すると、女の言葉が少々強くなった。

「ここは入らずの森だ。わかっていてわざわざプロメテウスからやってきたのか」

「侵入が禁止されているのは知っていた。古の王がお決めになったと」

「承知の上ということか……スーツに水筒をお供にして」

 軽装備で森に入ったアランを、女は揶揄したのだ。

「あなたの言う通りだ。甘く見ていたと言わざるを得ない。だが、今は天候が安定している時期だ。吹雪に見舞われるまで、森は新緑が溢れ、美しく穏やかだった」

 アランはカップを置く。その柔らかい所作はアランの性質をよく表していた。

「揚げ足を取るつもりは全くないが、一つお聞きしたい。入らずの森で暮らすのは、罪に問われるのではないか」

 少々意地悪な問いを投げかけたのには、訳があった。

 神話には、入らずの森は古の王が魔女のために用意した土地であること、魔女のほかは住むことは許されない場所であると書かれていた。神話を引き合いに出すのは現実的ではないとは思えど、目の前に疑惑の存在がいる以上、聞いておかねばならない。

 とすれば、この質問は『あなたは魔女か』と問うているのと同じであった。


 女はすぐに答えなかった。

 お行儀のいい毛玉が心配そうに女を見上げている。

 そんな毛玉を撫ぜながら、女は、ややあって口を開いた。その口元は意地悪気に微笑んでいる。

「悪意のある問いも素直に答えたくなる語り口だ」

「では、答えてもらえるだろうか」

 アランの期待が、にわかに募る。女は何と答えるのだろうかと。

 女は十分な間を置いた。

 考えに耽っている様子でもなく、ただ黙っている。始終凛としていて、隙がない。布越しにアランをじっと見つめているような、違う何処かを見ているような。アランには見当がつかなかった。

 小さな溜息をつき、女は言った。

「見ての通りだ。私は森の奥に引きこもって暮らしている魔女……そして私は、お前の探している魔女の長だ」

 正体を知り、アランは生唾を飲み込んだ。期待通りであった!

 しかし次の瞬間、アランの背筋は凍りついた。まだ、この森に来た目的を話していない。にもかかわらず、言い当てられたのだから。

(なぜ、魔女の長を探していると知っている?)


 目元の布が恐ろしく見えた。その奥で眼がカッと見開かれているのではと、錯覚してしまうのだ。

 内心で冷や汗をかくアランに、魔女はにやりと笑いかける。

「魔女の長の家へ、ようこそ」


 アランはひゅッと息を飲む。

(無事に帰れるだろうか――)

 額に妙な汗が浮かんだ。




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