月神 ツキヨは笑う
「どういう事じゃ! ツキヨ!! お主、ゴドーを焚き付けおったな!?」
トキミはその部屋に入って来るなりそう叫ぶ。
「あらん? なんのこと?」
「しらばっくれるでない!! そうでなければ、エドとゴドーの結婚など、あり得ぬ!!」
そう叫ぶトキミにツキヨは笑った。流石に彼女の耳に入ったらしい。と。
今、神山の依り代達の話題はこれ一色なのだから。
「あり得ないなんて事はないんじゃな~い? 実際結婚したわ?」
「だから、お主が焚きつけたのだろうと言っておるのじゃ! エドはゴドーへの気持ちなど認めぬ! ゴドーもまたエドに嫌われるのが怖くて告白などするなずがない! そんな二人が付きおうたと言うことは、ゴドーが女になるしかない! しかし、そんな事あり得ぬ! エドがこの時期にゴドーを女にしたことはない! 当たりスキルが出た今、エドは女を抱くはずじゃ! もはや、ゴドーも用済みであろう! さっきも言うたが二人が付き合うのに、ゴドーが女になる事が絶対条件じゃ! ゴドーが自ら、女になるなどという願いを口にするはずがない! ヒノワではゴドーへのアドバイスなど無理じゃ! あの恋愛音痴に出来るものか! 出来る者はツキヨ、お前しかおらん!!」
怒鳴りつけられて、ツキヨは瞠目する。
「イヤだわトキミ、アナタ、アタクシ達が思ってる以上にエドちゃんの未来を覗いてたのね」
「はぐらかすでない!」
「ハァ。別に焚きつけたわけじゃないワァ。宣教師を頑張ってるあの子に願いはないかと聞いただけよ」
「願いじゃと!? それでゴドーは」
「いいえ、違うわ。女になりたいとはあの子言わなかったのよ。意外なことにね」
ツキヨもゴドーが願う事は、女になりたいという事だと思っていた。
ゴドーが女として現れればエドも無視は出来ないだろうと。
しかし、ゴドーの願いは別だった。
何故と思ったが、神に至る事がほぼほぼ確定していては、あの願いになるのは、当然だろう。
「まぁ、女性の姿をオマケでつけてあげたのは、アタクシだけど」
「何故!? 何故そのような事をした!? エドが誰のことを好きか分からぬお前ではあるまい!?」
「ええ、知ってたわ。だから、詫びもかねてたのよ」
「詫びじゃと?」
「ええ。アタクシが余計な事を言ったせいで、あの子達の関係が崩れてしまったからね」
それでエドも自分の気持ちを認めるだろうとツキヨは考えていた。
エドへの伝言は、ゴドーへの焚き付けもあったのだ。
しかし、エドは認めるどころか、頑なに自分の気持ちを無視し始めた。そうしなければならない何かがあったのだろう。そのシガラミから解き放たれた証が、あの姿であり、溺愛っぷりなのだと今なら分かる。
『愛の結実』は長期的に見ればエドには必要なスキルだから、ヒノワが当たりスキルとして入れるのに反対しなかった。
幸運を使うのなら自業自得だと思いもした。
しかし後で確認したが、確かに幸運を使った形跡はあったが、それも微々たるものだったし、幸運によって「アタリ」に変換したものが当たったわけじゃ無い事も分かっている。
ほぼ自力でアタリスキルを引いていた。
それになにより、贔屓してもいいと言われたのだ。
「何を考えておる! エドがこのまま神に至れば、我らの入る余地はない可能性があるのじゃぞ!?」
「ええ、そうかもね。残念だけど」
「姉が失恋してもいいのか?」
「姉様には良い経験となると良いわね」
「……姉がたかがハーレムの一員になるのが許せなかったわけか」
「あは。アハハハ。やあねぇ、トキミ。アナタ、アタクシの事がまだ分からないの? それなりに付き合いは長いというのに。薄情だわ~。姉様がハーレムの一員になるのが許せなかった? アナタの物差しでアタクシの姉様への愛を測らないでくれる? 姉様が幸せなら、良いのよ。喩えハーレムの一員であろうとなんであろうと、ね。まるで人間のような事を言わないでくれる?」
「なら一体何を考えておる!?」
「だって、嫌だったのだもの。姉様がまた迷惑をかけたってしょんぼりするの」
「は?」
「アタリスキル当てても、エドちゃん喜ばなかったでしょ? それで姉様が落ち込んでたから」
「ふ、ふざけるな!!」
「ふざけてはないわ」
「そんなものために、我の目的を邪魔したというのか!?」
「邪魔なんてしてないわ」
「しておるじゃろ!?」
「トキミ、少しは落ち着きなさいよ。アナタは一体何が不安なの? ゴドーは、かの女神と違って、依り代なのよ?」
「それはっ…………そう、…………そうじゃな……。すまぬ」
「イイエ。良いのよ」
クスクスとツキヨは笑う。
「エドちゃんが神に至ったとして? ゴドーは何年隣にいられるかしら?」
「そう……じゃな。ゴドーは依り代。お主らの影響があったとしても、せいぜい、千年の寿命か」
「ええ、そうね。あの子は一柱の子達よりも長く生きるでしょうね」
「その後ならば……」
トキミの言葉にツキヨはにっこりと笑う。
「エドちゃんからすれば、ハーレムよりも後妻の方が気が楽じゃないかしら?」
「そうじゃな。うむ。確かにそうじゃ」
トキミは何度も頷く。
「納得したのなら、もう良いかしら? 一応これでも、仕事中なのだけど。それとも手伝って」
「邪魔したの」
そう一言残して、トキミはさっさと部屋を後にする。
分かっていた事だが、逃げ足だけは実に早い。
ツキヨは周りに居た神官を下がらせる。そして一人になると結界を張って、小さく笑い出す。
「ふ、フフフフ。ウフフフ、アハハハハハ」
ツキヨは涙を浮かべながら笑う。
これほど愉快な事は無い。と。
「馬鹿な子ねぇ」
そう口にし、先ほどのやりとりを思い出す。
未来ばかり見て、今のエドを見ていない。そして、その周りも見ていない。だから気づかない。
エドに関わる未来を覗き見る事を禁止されたトキミはすでに手遅れだという事に気づいていない。
ツキヨは姉のヒノワやイクサと違い、依り代の考え方はトキミに近い。
神の依り代は道具である。と。
ただその道具を大事に使うか、手荒に使うかの差だろうとツキヨは思う。
そんな中で、ゴドーだけは、特別だった。
姉と自分の力を受け継ぐ者。
ツキヨはヒノワに対して性的な欲求は一切無い。
それでも、姉と自分の子供とも言えるゴドーの存在は、とても大事に思えた。
ゴドーだけは、道具では無く、大事な子供だと思っていた。
それでもツキヨは他の依り代と同等に扱ってきたつもりだ。
「太陽と月の力を持つ依り代を作ってみない?」
姉に言われた時、ツキヨはあまり乗り気では無かった。ファリーという種族を作った時、何度も失敗したからだ。どうせ今回も失敗するのが目に見えていた。しかし、ヒノワは引かなかった。あれから経験も積んだ。きっと今度は上手くいくだろう、と。
ヒノワがここまで頑なになっていたのは、断罪の少女が原因だろう。
月の依り代は狂ってしまうとは言え、彼女はあまりにも衝撃的だった。
ツキヨはあまり依り代達の目を使わない。それでも狂ってしまった彼女。仕方が無いと諦めたツキヨと違いヒノワはとても心を痛めた。
だから姉の気が済むまで付き合う事にした。
二体目までは人の形にすらならなかった。
四体目は人の形にはなったが命が宿る事はなかった。
六体目は内側から裂けて死んでしまった。
やはり無理なのではないか。
優しい姉のためにツキヨは、いつ声をかけようかと考え始めた。
それでも、出来る事はするべきだと、助言を求めた。
太陽の方がもともと光る力は強いんだ。調整は全て月寄りにする方がいいんじゃないか?
そう言われた。それでは結局月狂いを治せないのでは? そう思いながらも助言に従った。
助言に従った八体目は人の形を崩す事もなく、見目も美しい美丈夫となった。一定のリズムを刻む心音。そして、目を開けた。
月寄りに調整したというのに、まるで太陽と月が混じり合うようなその姿。その依り代は、ゴドーと名付けられた。
月を降ろし、太陽を降ろし、それでも彼は狂う事もなく、死に至る事もなかった。
その日は、仕事も忘れて、ヒノワとツキヨは酒を飲んで祝った。
しかし、ゴドーは狂えないからこそ、辛い思いをする事になった。
狂ってしまった方が楽だったのではないかと思う様になった時、ヒノワは泣いていた。
結局、自分の空回りなのか、と。
そんな事はない、とツキヨは答えた。事実ゴドーは、ツキヨが目として使っても、ヒノワが目として使っても、神の力に狂う事はなかった。
しかしツキヨも言いながら分かっていた。
優しい姉が望むのは依り代達が少しでも幸せに過ごせる事だ。
依り代達が今どんな精神状態なのか、それは使えばすぐに分かる。うわべの言葉などなんの意味も無い。
暗く重い。固くて冷たい。ゴドーの精神状態は主にそんな風に変わってしまった。
居心地がいいとは言えない空間。それでもツキヨはゴドーを目として使った。
自分が使わなくなってしまったら、それこそ、彼を作った意味が無くなってしまう。と。
いっそ狂わせてやった方がいいのではないか。
そう思って少し力を強めた事もあった。
だが姉の力がそれを許さなかった。
可哀想に、と思った。いっそもう神山に戻した方が良いのかも知れない。とも思った。
そんなある日、ゴドーの目を使ってすぐに気づいた。
あれほど重く堅苦しく居心地の悪い空間が和らいでいた。
何があったのか。初めは分からず戸惑った。
エドの存在を知ったのは数日経った後だった。
どうやら気まぐれスキルを買っているようだが、ゴドーの顔には興味がないらしい。
むしろ、時折、嫌そうな顔をする。
珍しい。ツキヨは感心すら抱いた。
ヒューモ族にとって、同性も異性も等しく恋愛対象。だから同性でも異性でもその見目に好意を浮かべるのがほとんどだ。それなのに敵意とは。
しかし、敵意を向けるのは一瞬。後は普通に楽しげに話をしている。
本当にゴドーの見た目は関係なく、気まぐれスキルを好み、ゴドーの性格を好んでいるようだった。
ゴドーの心境の変化はこの子である事は間違いなかった。
だからツキヨも上機嫌で姉に報告した。姉もその日、仕事が終わってすぐにゴドーに降りてみたようだ。
姉が見聞きしてる中で、クパン村の神殿長が馬鹿な事を言ったようで、折角なのでこれをゴドーのために利用する事にした。
友達すら居ないゴドーには丁度良いだろう、と。
エドと話すゴドーはいつも楽しそうで、呆れたり、怒ったりしながらも、それでも、笑っていた。
居心地の悪かったゴドーの精神状態は嘘のように解消された。
半日居ても苦じゃなくなった。気づけば休憩時間はずっと、ゴドーに降りている時もあった。
姉も同じようだった。ゴドーともよく話ししているようで、楽しげに笑っていた。
ゴドーの感情に変化が現れ始めたのをツキヨは感じていたが、何も言わなかった。
その変化に合わせるようにヒノワもフワフワとした感情をエドに向けるようになったが、それでもツキヨはなにも言わなかった。
姉の感情がゴドーに引っ張られた物だったとしても、それがきっかけで恋に興味が持てるようになればいいとすら思っていた。
ツキヨはいつも茶化しながらも温かい目で見守っていた。
エドと、ゴドーを。
「千年。確かに太陽と月の依り代なら、それがギリギリ精一杯の寿命ね」
ツキヨは笑う。クスクスと。
初め、結婚の挨拶にとやってきた時、ツキヨとヒノワはゴドーの中に眠る神の力を、ただ『注いだモノ』だと思っていた。
神の依り代を作るように。力を注入しただけだと。
しかし、シムと名乗るスキルの人格は言った。
『実際に『生命を生み出した』生命の樹木』だと。
この二つは大きく違う。前者が輸血だとすれば、後者は臓器移植だ。
神の力を注いだだけであれば、エドが神に至った時、ゴドーは「従神」という形で下級神の仲間入りをしただろう。力の質や量によっては神使や天使など神にも至れなかったかも知れない。どの道、対等では無い。従う神と書く通り、部下でしか無い。
それでも、寿命はなくなるし、従う者故に、ずっと常にエドの傍にいるだろう。
しかしエドがやったのは、神の力を譲ったという事。
エドが神に至った時、対等の神として生まれ変われるようにしたと言う事。
生命の樹木という事から考えて、大地の神、いや、地母神か。
エドが創世神としての条件を満たしているのなら、豊穣を司る神というだけでなく、神々の祖となる可能性もある。
なぜならすでに神の血を引く子供を身ごもっているのだから。
「残念ね、トキミ。もうどうあがいても、未来は変わらないわ」
もはや二人が神になる事は確定している。遅いか早いかの違いなだけだ。
ツキヨは笑う。
エドを殺そうがゴドーを殺そうが止められない。
なぜならもう魂はすでに神化が始まっている。
「……幸せになりなさい。アナタはアタクシと姉様の可愛い子供なんだから」
明日も朝8時に予約投稿します。