憤り
私が、声を発することができるようになるまで三日かかった。
この目の前にある光景が、夢ではないということに大きな衝撃を受けた私は、
頭の中に言葉が浮かばなくなってしまっていたの。
皆が、私の心配をしてくれた。
桔梗様は、できるだけ私のそばにいてくれたけど、
何を話すわけでもなく、お裁縫をしたり、手紙を書いたりしてらした。
華様は、毎日庭で摘んだ花を一輪、私の部屋に生けてくれた。
花の名前を教えてくれて、また明日ね、雫姉様、
と、すぐに部屋をさがる。
千隼様は、一日一回、必ず庭に連れていってくれ
ただ庭を眺めて座っている私の隣で本を読んでいた。
勇隼様は、何も言わず私を道場へ連れて行き、
ただ見学しているようにと、清志郎様に毎日のように私のことを頼んで行った。
その間、私の頭の中は目まぐるしく色々なことが浮かんでは消えていた。
私の身内はあちらの世界には居ない。父母も早くに亡くなったし、
祖父母も私が大学に入るのを見届けるかのように旅立ってしまった。
一人っ子だったので、兄弟もいなかった。
親戚の話は聞いたことがなかったし、天涯孤独という身になったが、
祖父母や両親のおかげで、金銭的な苦労はしなくてすんだ。
哀しくない訳が無い。でも現状で困らずに生きていけるということに
ありがたいと思って過ごすことにしていた。
それでもお世話になって人がいない訳ではない。
最近は会っていなかったが、道場の師匠もいたし、友達もいた。
教授や、研究室の仲間もいた。
可愛がってもらった自覚があるので、その人達が心配しているかもしれない。
そのことに胸が痛んでいた。
なぜ、私が呼ばれたのか。なぜ私でなければならなかったのか。
こんなに手探りの状態で、人の役に立てるんだろうか。
ぐるぐる同じことを考え続け、疲れて眠る。そんなことを繰り返しているうち、
ふと腹が立ってきたの。それは、千隼様に連れられて、庭を眺めている時だった。
庭の植木に留まった鳥を見て、ああ、綺麗だなって思ったのよ。
その時、なぜこんな思いで庭を見なきゃいけないんだろうって。
脈絡がおかしいと思うけど、突然理不尽さを感じたの。
その怒りの感情が、ようやく私の意識を引き戻したのよ。
おばあちゃんが言ってたな、ありがたくなくてもありがたいって思うようにって。
そのありがたくないことが、自分を成長させてくれるんだからって言ってた。
いや、待って。でも腹は立つ。これって異世界に呼ばれた、
つまり異世界転移ってことだよね?異世界?
ドレスもないし、西洋のお城も、キラキラ王子も、イケメン騎士もいない。
でも……うん、たぶん異世界。
まあ私的には、返って良かったけど……。
紅茶だけとか、あ、でもコーヒーは飲みたい、ダンスの練習とか、無理だもん!
確か、友達が転移とか転生モノって言って、小説とか漫画、ゲームにハマっていた。
読む分には良い。だってフィクションだもの。
それにいつもと違う世界に主人公と旅立てる楽しみもある。
面白い設定も、イケメンに囲まれモテモテになったり、魔法が使えたりもする。
生まれながらにピンチの子も、記憶を頼りに逆転したりもできる。
物語の中は、とてもキラキラしているんだもの、楽しくないわけがない。
でも、本当に自分の身に起こったら? そりゃあ腹が立つと思うんだけど。
主人公たちは、柔軟に受け入れ異世界を楽しんでいく。
でも実際に自分の身に降りかかったら?
私がピチピチ10代じゃないから、腹が立つ訳では断じてないと思う!!
いや、まだピチピチだけど。
よし、誰かに責任をとって説明してもらおう!!
突然、ハッキリとした思考と感情で、私はその誰かを探すことにした。
「千隼様」
そう言って隣を見ると、千隼様はホッとしたように笑顔になった。
私の瞳に力が戻ったんだろう。心配かけて悪いとは思うけど、
君からも説明してほしい。
「雫様、気分はいかがですか?」
「……気分……? 私、怒ることにしました」
「雫様? あの、誰に……?」
「誰かに。千隼様は、ある日突然、何の説明もなく私の元の世界に
1人で呼ばれて、助けに来てくれてありがとうって言われたら
どう思いますか?」
その問いに千隼様は、しばらくジッと黙っていた。
そして、彼はその柔らかな雰囲気を封印し、やっと鋭い実力を表に現した。
「雫様、安全な場所に呼ばれたとしても、危険な場所に呼ばれたとしても
苛立ちと混乱、怒りは感じると思います。そして、もう元の世界に帰れなければ、
……悲しみと絶望も感じるかもしれません」
「貴方達は、自分の世界を救ってくれるなら、
その人はその感情を抱いても良いと考えて私を呼んだのですか?」
「……雫様……」
千隼様は、しっかりと私を見た。それは、国を治める国主の息子として
彼が仕事を持っていることを確信させるくらい、いつもの優しさは影を潜めている。
「雫様、これだけは信じていただきたい。私たちは、貴方を軽んじるつもりは
決してなかったのです。お告げがあり、文献も調べ、議論もかなり白熱しました。
その中に、至宝様のそれまでの人生はどうなるのだと言う意見もありました」
そこで彼は、ふう〜っと傷かわしげに息を吐いた。
「雫様、許してくださいとは言えません。私たちは身勝手に貴方を呼んだ。
その事実は変えられません。でも私個人として、これだけは約束します。
雫様が、こちらの世界でも生き生きとできるよう私が努力します」
彼の言葉にウソはないのだろう。それでもその気持ちとは別に、
私には、誰かに説明をしてもらう必要がある。
「千隼様のお気持ちは分かりました。でも、私は、なぜ私が呼ばれたのかを
知りたいんです。誰か説明できる人と、お話させてください」
堅い決意と共に、私は千隼様に頼むことにしたのだ。




