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百年前の同居人  作者: 境陽月
ふたつの嵐
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帰るべき場所は

「結局、夕べは帰ってこんかったか」


ひどく気落ちした声でじいさんは呟いていたみたいです。

この日のことを後から聞いてみても、いいにくそうに口篭もるばかりでね。

あまり詳しくは話してくれなかったのですが、大体のことは……まあ、想像がつきます。


吹きすさぶ風の音はますます激しくなり、木々は大きく揺れていました。

真っ黒な空からは大粒の雨が降り、時折ガラス窓を叩く激しい雨音に夜中に何度も起こされたといいます。

その日の朝、私はまだ帰ってきていませんでした。


「わしの家だけ他の場所より風の音が激しいところを見ると、百年後も嵐がきとるのかもしれんな」


外から帰ってきた時にゴゥゴゥと響いていた風の音が、庭先に入ったとたんにドォッと恐ろしい轟音に変わったそうです。

百年後の天気までは伝えていなかったのですが、それでもはっきりわかるくらいの風の音だったそうです。


「だったら大雨かなんかで鉄道が不通になって、帰れなくなっとるだけじゃろか」


じいさん、今日は一日閉じこもったままになりそうです。

一応、柵の修理や葡萄畑の支柱の補強は昨日のうちに終えていました。

この村の地形なら洪水や山崩れの心配はないので、風による被害だけに注意していれば大丈夫なはずでした。


「……とはいえ、ファァァァァ……退屈じゃの」


じいさんは大きなあくびをしました。

普段なら退屈な時は私をからかって執筆の邪魔をするのですが、今日はからかう相手がいません。


「どれ、ひさしぶりにこいつでも聞くか」


ゴトゴトと大きな音をたてて引っ張りだしてきたのは?


「コイツを動かすのも久方ぶりじゃな。最近は『てれび』ばっかり聞いとったからのう」


キィキィとハンドルを回す音がしてしばし、擦り切れた音楽が小さく聞こえてきました。

ここしばらく埃をかぶっていた蓄音機の出番でした。

黙ってベートーベンの名曲の数々を聞いていたじいさんでしたが。


「ええい、辛気臭い!」


突然、蓄音機を止めてしまいました。

そのまま片付けもせず乱暴に椅子を引き寄せ、ドカッと腰を下ろす。

カタンという音はテーブルから酒瓶を取った音でしょうか。

トクトクとコップにブランデーを注ぎ、一気にあおる。


「ふぅ―――ッ」


ゴトッと乱暴にコップを置くと一息ついて、また黙りこんでしまいました。

そしてポツリと独り言。


「帰ってくるんじゃろうか」


自分でも信じられないくらい気弱な言葉だったそうです。

娘が半ば駆け落ち同然で家を出ていった日の夜と同じ位に。

いやそれ以上に心細かったと、照れながら語ってくれました。


「いや、そんなことよりじゃ。今は念のために畑の見回りにいったほうがいいかのぅ」


弱気を見せてはいけない、そんな気持ちもあったのでしょう。

補強した支柱の具合も心配になって畑の見回りに行こうとしたそうです。


「なんせ、この左手じゃからの。ちと釘の打ちつけが甘かったかもしれん」


ガサゴソと音を立てて、雨合羽を着込み身支度を整えました。

玄関をでる前につい口を突いてでてしまった無意識の一言。


「さっさと…………帰ってこんかい、三流小説家めが」


…………その時の(正確には百年後ですが)私は駅で立ち往生していました。


「困ったな、三時間遅れかよ」


乗り込んだ列車の窓際席に腰掛けて、私はボヤきました。

午後遅く、母にしばしの別れを告げ、近いうちにまた来ると約束して実家を出ました。

今日は一番列車に乗って村へ帰るつもりだったのですが、母に引きとめられすっかり遅くなってしまいました。

それでも夜まではかからないだろうと、その時は思っていたのです。

仕事好きのじいさんでも今日は畑に出るのは無理でしょうから、ゆっくり話し合える。

今ならじいさんと娘さんの仲を取り持ってあげられる。

一晩落ちついて考えたら、そう思えるようになっていました。


「それなのに、こんなに荒れてくるとはなぁ」


吹きつける風が頬に痛いくらい。

暗雲におおわれた空は昼間であることを忘れるほど。

雨も激しくなり列車の窓は流れ落ちる滝のごとし、でした。


「これじゃ間に合わないかもしれない」


じいさんの娘さんは今日の夕刻に再訪すると確かにいってました。

ところがこの列車、乗ったはいいが、悪天候のため何度も停まり、既に三時間遅れです


「あ、また停まりやがった」


この路線、山間を縫って走ってるだけあって途中、川や崖がいくつもあり川の氾濫や土砂崩れで通れなくなることがあるのです。

車内放送によれば、今もこの先で土砂崩れがあったらしい。

現在、復旧作業中ですが、まだ復旧のメドはたっていないようです。


「やれやれ、土砂崩れじゃあ仕方ないか」


百年前も嵐のはずなので、鉄道も停まっていたかもしれない。

そうなれば娘さんも村へはこれないでしょう。


「その方がいいかもな、今日は」


じいさんを説得できないうちに来られては大変です。

できれば今日は来ないで欲しい。

そんなことを考えながら、メモ帳を原稿用紙がわりに連載最終話の書き出しを練り直していました。


「ええと、この場面は小雨にするか、いや……本降りになってきたほうがいいかな?おい、じいさんはどう思う……」


いつものように、じいさんの意見を聞いてみようとして、家でなく列車の中だったのを思い出して赤面しました。

私の独り言を聞いていた乗客の何人かが口元を押さえて、声を出さないように笑っていました。

どうやら私はどこへ行っても変わり者という評価がもらえる体質になってしまったようです。


「ええっと、こちらの嵐は明日朝まで続くようだけど、百年前の方はどうだったけ?」


恥ずかしいのをごまかしたくてわざわざ声に出しながら、私は大きな封筒を開けました。

中に入っていたのは百枚ほどの書類の束でした。

コンピューター化されていた気象データのコピーは以前にもらっていたのですが、今度のはそれとはまた別の古い記録でした。

じいさんの村を含めた地方に日々の天候を克明に書きとめ続けた民間の人が何人かいました。

そのひとりの記録が最近になって子孫の手で発見され、気象台に寄贈されたのです。

個人が自分の目で観測しただけあって内容も実に細かい。


「午前六時、風ハ北東カラ北北東ヘ。雨サラニ強ク、視界甚ダ悪シ五メートル先ノ人ノ姿見エズ……ふんふん、すごい大雨だったんだ。えっとそれから……」


次のページは全体にインクが滲んで、少し読みにくくなっていました。

前後のページは滲んでいませんでしたから、書き終わったすぐ後で濡れてしまったのでしょう。


「窓かドアが壊れて雨が吹きこんできたのかもしれないな。風も相当強かったみたいだし」


読みにくい字を懸命に読んでいると、聞き覚えのある地名を見つけました。


「あ、これって確か、この鉄道路線の駅だよな。でも、なんでお天気の記録に鉄道が出てくるんだろう」


現在では社名は変わっているのですが、そこに出てきたのは間違いなく今、私が乗っている鉄道路線でした。

覚えのある名前が出てきたことで興味を惹かれ、私は熱心に文字の判読を続けました。


「ここは『午後カ……雨、強……』午後から雨が激しくなってきたってことかな?『風、更ニ……木……倒』木がへし折れるくらいの暴風雨か、すごかったんだな…………」


なんだか嫌な予感がしてきました。

じいさんのことが心配になってきました。

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