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百年前の同居人  作者: 境陽月
ある作家はこのように語った
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貧乏作家の引っ越し

いやぁねぇ、『紙面が空いちゃったから何か記事のネタをくれ』といわれてもね。

私だって次のネタが出なくて四苦八苦してるんですけど。

いや、そうだな……あの話は家族以外にはまだしていなかったな。

新人作家だった頃の不思議な体験なんですが。

知っているのも今じゃ女房だけになってしまったし。

お話しても今なら問題ないかな。


*----------*

俺は文学で身を立てるんだ!と言ったとたんに両親が猛反対しましてね。

派手な親子ゲンカの末に高校を中退して家出同然で飛び出したんですよ。

いやー、あの頃は私も若かった。

もちろん身を立てるどころかデビューすら見通しは立たない。

昼も夜もアルバイトで、食いつなぐだけで精一杯な状態で、睡眠時間削って書いてたんです。

だから新人賞取った時はほんと泣きましたね。


「明日はパンの耳じゃない、パンまるごとが食えるんだ!」


なんてね。

しかし世の中はうまく行かない。

名の通った新人賞を取ったのはいいが十年ぶりに受賞者が出たってことで、世間の注目が集まりすぎてしまって。

どこへ行っても『あっ、あの人!』『ほら、期待の新人作家の!』という具合でね。

コンビニで買い物すらできない状態でした。

そこで賞金と印税で密かに田舎の古い一軒家を買って隠れることにしたんです。

たかが新人作家の収入ですから、捨て値同然のボロ家を買って引っ越しただけで財布はスッカラカンになりました。

しかも引っ越したその日に、とんでもない体験をすることになりましたよ。


*----------*

山間部を走る鉄道の終点の小さな駅に私は降り立ちました。

この鉄道に乗るのもまだ二回目。

そこから谷間沿いの道を二十分ほど歩いてやっと、さびれた村にたどりつきました。


「おはようございます!」


おはよう、というには日もすっかり高くなってしまったのですが、道行きすがら畑で働いていた村人に挨拶してみました。

農作業にいそしんでいたいた方々は笑顔で、あるいは無言で顔を上げて手を振ってくれました。

年齢は四十から七十代、若い方はほとんど見かけません。

なんでも二十年くらい前は葡萄の栽培とワイン造りで賑わっていて、若い人もかなりいたそうです。

しかしブランドワインに押されて、今やジャガイモと小麦を細々と作っているだけとのことでした。


「ここが我が城……かぁ」


そんな過疎の村の一番はずれにある一軒家。

バカ安で買った割にはいい物件だと不動産屋は吹聴してましたが。

実のところ不便過ぎて買い手のつかなかった在庫を押しつけられただけだったようです。


『澄んだ空気と最高の水源に恵まれた夢の田舎暮らしが実現!』


……が宣伝文句でしたし、都会の喧騒から逃れられるのも魅力でした。

ですが、まさかこれほどのオンボロとは……初めて下見にきた日は落胆したものです。

遠目には薄いライトグリーンの大きな二階建ての家で、正面のベランダが結構いい感じだなと思ってたんですが。

近くで見たら、ペンキはハゲまくり、窓ガラスもところどころ割れちゃってて。

ドアなんぞ蝶番がいかれててなかなか開かない。

そりゃもう……泣けてくるくらいの惨状でした。


「家の中も似たようなモンか……」


下見に来た時からわかってはいましたが。

外もロクに見えないほど、灰色にすすけたガラス窓。

雨漏りの跡がいくつも残る黒ずんだ壁。

絨毯なみの厚さに積もった床の埃。

私は思わず、


「はぁぁ……っ」


とため息をついていました。

家(というより廃屋と言ったほうが正解か?)の中を一回りして、一番マシな居間でさえこの始末です。

寝室はすき間風が自由通行。

バスルームに至ってはシャワーの穴からカラフルなキノコが顔を覗かせているという状態でした。


「掃除だけで一週間はかかりそうだ」


足を動かすたびに床板はギッギギギッと耳障りな音をたてました。


「まず床だけでも修理しなくちゃ、と言っても大工さん雇うカネはなし…」


正直なところ、お金はもう一銭もありませんでした。

このボロ家を買っただけで貯金も底をついていたのです。

次回の原稿料が入るまで、財布の底のわずかな現金で食いつながねばなりませんでした。


「ま、電気、水道、ガスは使えるし。来週からは電話もつながる。今は原稿を上げなきゃ」


この時バタン、と背後でドアの閉まる音がしました。


「?」


風でドアが閉まったのだろうと思ったのですがドアは開いたままです。

その時は気のせいだろうと思い、気にもとめませんでした。


(まあいいか。今日はこれくらいにして片付け、いや修繕は明日からにするか)


荷物は情けないくらいに少なかったとはいえ、思った以上に手間取りました。

引越しで疲れていた私は早めに休むことにして居間を後にしました。

だからこのすぐ後で居間でささやかれた声には全く気がつきませんでした。


「おかしいのう、誰かいるような気がしたんじゃが。こんな田舎の貧乏農家に泥棒が入るわけもなし…………」


誰もいない部屋の中で姿なき人物はそう独り言を言ってたそうです。

といっても、それは後で本人から聞いた話なんですがね。

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