05:これからも美味しい世界を二人じめ
厳かな空気は薄れたものの、それ以上の「美味しい」という言葉が会場内に溢れかえる。
そんな式を眺め、ステラは幸せを隠しきれぬと笑みを浮かべた。楽しい、嬉しい、美味しい、それらの声がすべて自分達への祝言に聞こえてくる。
隣に座るオーランドも幸せそうで、自国の変化を愛おしむように眺めていた。
時折は友人にこそと耳打ちされ、そうだろうと得意げに頷いている。バイクや旅の話をする時とはまた違った誇らしげなその表情に、ステラはいったいどうしたのかと彼を見上げた。
「どうなさいました、ぼっちゃ……オーランド様」
「あいつらが『想い慕っている相手の、美味しそうに食べる顔も魅力的だ』って話してきたから、なにを今更と言ってやったんだ」
「なにを今更、ですか?」
「あぁ、だって俺は美味しそうに食べるステラをずっと見つめていたからな」
愛しい相手が、美味しそうに料理を食べる。
一口食べては表情を綻ばせいそいそと二口目に取りかかり、二口目を食べ終えればまた次を、今度は別の料理を……と銀食器が止まらないと食事を進める。そうして食べ終えると幸せそうに目を細めてほぅと吐息を漏らす。
その姿の愛おしさ。
嬉しそうに「美味しいですね」と声を掛けられれば胸が弾む。その言葉が自分の食事をより美味しいものに変え、「美味しいな」と返せば分かち合う幸福感が胸に湧く。
同じものを食べ、美味しいと微笑みあう。
これを幸せと言わずになんと言うのか。
食事は生きていくに欠かせないからこそ、その食事で繋がれれば心も繋がる。
オーランドの友人達は今日この場でそれに気付いたと話すが、対してオーランドはそんな事はずっと昔から知っていた。
ステラの隣で、嬉しそうに食べる姿を見つめ続けていたのだ。
それを得意げに語られ、ステラの頬が熱くなった。
思わず頬を押さえ顔が真っ赤になると恥じるも、ウエディングドレスの白に映えると冗談めかして笑われてしまった。
「もう、ぼっちゃまってば! ……あら」
ぱた、とステラが己の口元を押さえた。
つい以前からの癖でオーランドを「坊ちゃま」と呼んでしまったのだ。
いまだ抜けきれないこの癖だが、せめて今日だけはと気をつけていたのに、恥ずかしさと頬に点る熱に気を取られてつい口に出てしまった。
対して式の最中に『ぼっちゃま』と呼ばれたオーランドは、いつもの「ぼっちゃまは止めてくれ」という言葉を呆れ半ばに告げ……はせず、嬉しそうに目を細めた。弧を描く口元はどことなく悪戯っぽい色を見せている。
「今は確かに『ぼっちゃま』と呼んだよな」
「……言い逃れ出来ません」
ステラが素直に認めれば、オーランドの笑みがより深まる。名家ガーランド家の嫡男とは思えない、そして式の真っ只中の新郎らしいにやけた表情だ。随分と緩んでいる。
そんなオーランドにぐいと顔を寄せられ、ステラの頬が更に赤くなった。慌てて周囲を伺い、誰か話をしに来てくれないかと助け舟を望む。
だがみな雑談や異国の料理に夢中になっており、ステラの救援要請に気付く者はいない。
「今は式の最中ですよ?」
「あぁ、だが皆料理に夢中でこっちを見ていないだろ。それに俺達の式だ」
「ですが……」
「約束だ。それに俺を『ぼっちゃま』と呼んだのはステラだからな」
にんまりと笑みを浮かべたまま告げてくるオーランドに、ステラが困惑しつつも肩を落とす。
確かに彼の言う通りだ。先程はっきりと「ぼっちゃま」と呼んでしまった。
そして、そのなかなか抜けない癖を治すために、とある約束をしたのも他でもないステラ自身である。
『「ぼっちゃま」と呼ぶたびにステラからキスをする』
提案したのはオーランドだが、ステラも了承した。
自らキスする恥ずかしさはあるものの、これぐらいの行動を起こさないと癖は抜けないと判断したのだ。
そしてその荒療治の結果、「ぼっちゃ……オーランド様」と寸でのところで言い直すまでにはなった。といっても気を抜くと先程のように「ぼっちゃま」と呼んでしまい、ステラから彼にキスをしているのだが。
勿論だがキスをするのが嫌なわけではない。むしろキスをする甘い時間は心地好く、触れ合えるのならいつだって触れ合っていたい。
だがそれと『うっかりと『坊ちゃま』と呼んでしまいステラからキスをする』のは別である。
会話の最中なために雰囲気もなく、オーランドもにんまりと笑みながら待ち構えている。時には他のメイドや使い達も居て、「ステラがまたぼっちゃまと呼んだわ、みんな解散して!」とわざとらしく二人きりにしてきたりするのだ。
「約束をした時に戻りたいです。自分の性格を考えれば、改善するよりうっかりするって分かっているのに……」
「俺はいつまでも『ぼっちゃま』と呼んでくれてもいいけどな」
「まぁ、意地悪なぼっちゃま。……あら」
またしても、とステラが口元を押さえる。対して二度キスをしてもらえるとオーランドは嬉しそうだ。
強請るように顔を寄せ、誘うように目をつむる。
ここまで迫られればステラも逃げ道などあるわけがない。それに、自分の性格を考えるとこれ以上喋っていてもキスの回数が増えるだけな気もする。
覚悟を決めたとぎゅっと拳を握り、皆が料理に夢中になってくれることを願ってゆっくりと彼へと顔を寄せた。
軽いキスの音が、顔を寄せあった二人の耳にだけ届く。
ゆっくりと離れればオーランドが嬉しそうに微笑んでおり、細められた黒い瞳に見つめられてステラの頬どころか顔全体が熱くなる。これをもう一回だなんて、恥ずかしさが募るが、募ったいま話しをすればきっとオーランドを「ぼっちゃま」と呼んでしまうことだろう。
「新婚旅行までにこの癖を直さないと、世界中でキスをする羽目になりそう……」
そうステラが呟けば、二度目のキスを待っていたオーランドが笑った。
「それも良いじゃないか。世界を巡って、たくさんの人と出会って、美味しい物を食べて、そして世界中でキスをしよう」
なぁ、と甘く囁くように同意を求められ、ステラの胸が高鳴った。
世界を巡って、たくさんの人と出会って、美味しい物を食べた。そうして結ばれた新婚旅行では、同じように世界を旅し、そしてそこに世界中でのキスが加わるのだ。
なんて甘い。砂糖菓子や焼き林檎よりも甘い。
その甘さに乗じて、ステラはそっとオーランドの唇にキスをした。
甘い。どんな食べ物よりも甘い。
これを世界中で……なんて、考えるだけで心が蕩ける。
「もう、ぼっちゃまってば。そんな甘い言葉を告げられたら、癖を直す気が無くなってしまいますよ。……あぁ!」
またも「ぼっちゃま」と呼んでしまった事に気付きステラが息を飲めば、オーランドが「これは当分治らないな」と嬉しそうに笑って三度目のキスを求めて目を瞑った。
……end…
『おいしい世界をふたりじめ!』これにて完結となります。
ステラとオーランドの美味しいもの巡りの旅、最後までお付き合い頂きありがとうございました!!




