02:海も砂漠も超えてお祝いを
式の前に新郎新婦が来賓の前に姿を現すなど、ましてや自ら来賓を出迎えるなど、スレダリアにおいて前代未聞である。
だがまるで猫と言わんばかりの獣人や、かと思えば人に似た姿ながらに猫を模した耳と尻尾の獣人、海を渡った異国の王族……と目を見張るような来賓を前にすれば、前代未聞も些細な事に思えてしまう。
「ミニャレットさん、ようこそおいでくださいました!」
「招待状ありがとうニャ。ミニャレット、結婚式ニャんて初めてだからドキドキするニャ」
嬉しそうに笑うのはミニャレットだ。
赤いワンピースを纏い、頭に赤いリボンをちょこんと乗せた彼女はなんとも愛らしい。栗色の髪と、そこからぴょこんと生える猫の耳、それに腰元からたゆんと垂れる尻尾。どれもが猫らしく、それでいて見た目は人に近い。
旅猫とはまた違うスタイルの獣人に、スレダリアの者達が珍しそうにミニャレットに視線をやる。その大半がうっとりと見惚れており、そこに旅猫が加われば全員が表情を綻ばせた。
「おぉ、獣人だ。俺はミニャレットみたいな獣人は他にも見たことがあるが、あんたみたいな猫寄りの獣人は初めてだな」
とは、濃紺のスーツに身を包んだサイラス。
珍しそうに旅猫を見つめ、挨拶のために片手を出した。旅猫がそれに応えると周囲から「俺も握手したい」だの「肉球はどんな感触なのかしら」だのと囁き声があがる。
「マルミットの方でしたか。マルミットも素晴らしい土地と聞きますから、一度お伺いしてみたいと思っていたんです」
「ミニャレットよりも喋りは流暢なんだな。旅をしているなら是非俺達の村にも遊びに来てくれ。狭くて面白味のないところだが、その分のんびりと過ごせる。それに珍しい宿が……そうだ、宿といえば女将達もそろそろ着くはずだ」
サイラスが胸元から時計を出して確認する。
曰く、共にスレダリアまで来たものの、ハルの着物に綻びが出てしまったらしい。直してから行くからとハルと彼女の娘スズが仕立屋に向かい、ミニャレットとサイラスは先にガードナー家に来たのだという。
「まぁ、でしたら仕立屋に迎えを出しましょうか? ねぇ、ぼっちゃ……オーランド様」
「惜しいところまでは言うんだけどなぁ」
「オーランド様!」
「そうだな、迎えか。着物だと歩きにくいだろうから、馬車を向かわせた方が良いかもしれないな」
誰か……とオーランドが遣いを出そうとする。だがその瞬間、被さるように声が聞こえてきた。
「よぉ、お二人さん!」という威勢の良いその声は……。
「ナンシー乗りさん! よかった、招待状は届いたんですね!」
「あぁ、ばっちり俺に届いたぜ。まさか『往復ナンシー乗りの英雄』宛で出してくるとは思わなかったがな」
「お名前が分からず、どう招待状をお出しするか分からずにいたんです。ですがきっとナンシー乗りさんなら成功していると思いまして。届いたということは往復も成功したんですね」
「何度も挑戦して、ちょうど成功した日に招待状が届いたんだ。英雄のもとにくるべくしてきた招待状だな。なんだったら、ここまでナンシーに乗ってきてもよかったくらいだぜ」
上機嫌で笑いながらナンシー乗りが話す。
次いで彼はオーランドに視線をやると、にやりと笑みを浮かべた。チラと横目で見るのは会場の扉。外に何かある、と目配せして伝えようとしているのだろう。
オーランドが不思議そうに扉と彼を交互に見る。
「さすがにナンシーには乗れないから、他の手段で来たんだ」
「他の手段?」
「あぁ、だが他でもない俺はナンシー乗りだ。馬車だの汽車だの、他人が運転するものに大人しく乗ったら笑われちまう。男なら自分で運転してなんぼだろ」
「そうか、バイクで来たのか!」
「バイク屋の店主に話して、一番大型で長距離走れるバイクを借りたんだ。さすがに海は船で運んだがな」
得意そうにナンシー乗りが話せば、オーランドが居てもたってもいられず「見てくる!」と外へと向かっていった。飛び出すと言っても過言ではない勢いで、まるで子どものようではないか。
話を聞いていた者達の中からも「バイクってまさか」だの「本物があるのか!?」だのと声があがり、一部の者達がオーランドの後を追っていった。
年頃の男性にとって、バイクとはそれほど憧れのものだろう。
……いや、年頃どころかオーランドの父であるガードナー家当主や、彼と同年代の者達もいそいそと外へと向かうあたり、幾つになっても男の憧れなのかもしれない。
「こんなに珍しがられるなんて、本当にスレダリアにはバイクが無いんだな。よし、いっちょ屋敷の周りを走って見せてやるか!」
意気込むように袖をまくり、ナンシー乗りがオーランド達を追うように外へと向かう。
だが扉を出るなり横からぐいと手が伸び、彼の首根っこを捕まえてしまった。しなやかな手だが、その細さに反してしっかりとナンシー乗りを掴んでいる。
いったい誰が……とナンシー乗りが己を掴む人物を見て、ヒクと頬をひきつらせた。
「……よ、よぉ母さん、それにスズも、久しぶりだな」
「まさかこんなところで放蕩息子を捕まえるなんて、縁とは本当に不思議なものねぇ」
おっとりとした口調で話すのは、マルミットで泊まった宿の女将ハルだ。
裾の長い黒いドレスには大振りの花の絵柄が流れるように描かれており、淑やかな彼女の魅力を引き立てている。その絵柄も、まさに漆黒と言える深い色合いを見せる厚めの布も、どれもスレダリアや近隣では見かけないドレスだ。
彼女の隣に立ち兄の耳を引っ張る娘のスズも、同じように裾の長い濃い赤のドレスを着ている。こちらは小振りの花が全面にあしらわれ、腰から下に片側にだけレースが重ねられている。
これもまたスレダリアでは見たことのない不思議なドレスだ。
令嬢達がこぞって「あれは何というドレスかしら?」と見つめ、淑やかであり目を引くハル達の装いに夫人達も興味深そうにしている。
そんな視線が最終的にステラに向かうのは、代わりに聞いてくれという事なのだろう。察してステラがハル達のもとへと向かえば、それを好機と取ったかナンシー乗りがハルの手からするりと抜けて逃げて行った。
「お二人共、この度はお越しいただきありがとうございます。素敵なお召し物ですね。そのドレスは……」
「これは元は着物だったものです。今日の為にドレスに仕立て直したんです」
「まぁ、わざわざありがとうございます。品と華が合って、奥ゆかしさを感じさせる素敵なドレスですね」
ハル達のドレスを誉めれば、背後で耳を澄ませていた令嬢や婦人の囁きが聞こえてくる。これはスレダリアに着物ブームが来るかもしれない。
そんなことを考え小さく笑い、ふとステラは「ドレス」と呟いた。
なにか忘れている気がする。
なにか大事な事を。
何だったかしら、とステラが考えを巡らせていると、背後から人の気配が漂ってきた。言い得ぬ圧迫感、おのずと背筋を正してしまうほどの重い気配。
これは……。
「メ、メイド長……!」
「ステラ、あなた控え室を抜け出していったい何をしているのかしら。この時間、貴女はすでにウエディングドレスに着替え終えているはずよね」
「これは、その、お客様のお出迎えを……」
「着替えを、終えて、いる、はず、よね」
「い、今戻りまぁす……」
背後から漂うメイド長の圧迫感に耐えられず、ステラが情けない声をあげた。そのまま首根っこを捕まれてズルズルと引きずられてしまうのだから、これでは先程のナンシー乗りを笑えない。
旅猫がニャフニャフと笑いながらそれを見送り、ハルとスズがステラのウエディングドレスが楽しみだと笑う。
ミニャレットだけはメイド長の気迫に臆し、ドレスからぴょこんと伸びた尻尾を普段より一回り膨らませ、苦笑するサイラスの背中に隠れていた。




