06:「ただいま」
港から馬車を乗り継ぎ、乗り合いの停留所からは歩いてガードナー家へと向かう。
話しながら歩く二人の姿を誰かが見つけたのだろうか、ステラとオーランドがガードナー家の門を潜る時には既に玄関先には出迎えの者達が待ち構えていた。ステラの仕事仲間や、メイド長、オーランドの両親であるガードナー家夫妻もいる。
それが嬉しく、ステラとオーランドは彼等の前まで行くと照れ臭そうに笑いながら、
「ただいま」
「ただいま戻りました」
と、揃えたように彼等へと告げた。
ガードナー家夫妻が嬉しそうに息子の肩を擦り旅を労い、メイド仲間達がステラに抱き着く。
名家ガードナー家の玄関先とは思えぬ騒々しさだが、今ここでそれを指摘する者はいない。普段であればはしゃぐメイド達を窘めるメイド長も、今日ばかりは特別だと言いたげに嬉しそうに目を細めている。
「ステラ、おかえり! 奥様から絵葉書を見せて貰っていたんだけど、あなた本当に世界を回っていたのね。凄いわ!」
「色んな国を見てきたのよ。素敵な人達と出会って、美味しい物を食べて……。今すぐにシェフに伝授したいけど、話もしたいし、旅に出ていた間のガードナー家の事も聞きたいわ!」
「美味しいもの……。よかった、みんな、ステラは変わってないわ!」
「ちょっとは変わったわよ!」
友人でありメイド仲間であるエリーの失礼な言い分に、ステラが文句を訴える。どうやら彼女達の間でステラのイメージは食いしん坊で、そして食いしん坊のまま帰ってきたことに安堵を与えてしまったらしい。
失礼な、とステラがジロリと睨み付ける。
確かに自分は時々目的を見失っていたが――あくまで時々だ――本来の目的はきちんと果たして帰ってきた。いや、果たしたからこそ、帰ってくる気になったのだ。
ステラの目的は美味しいもの巡り……ではなく、細身信仰のスレダリアでは見つけられそうにない結婚相手探し。
食いしん坊で少し肉付きの良い自分を、それでも良いと、それこそが良いと、そう言って愛してくれる人を探しに旅に出たのだ。
だが実際は探すまでもなく常にそばにいてくれた。常に隣で、一緒に旅をしてくれていたのだ。
それを考え、ステラはオーランドへと視線を向けた。
話をしていた彼はステラの視線に気付くと、穏やかに笑って名前を呼んできた。彼の向かいにはガードナー家夫妻がいる。
既にオーランドから話を聞いているのだろうか、彼等もまた穏やかに微笑んでステラに手招きをしてきた。優しいその表情はどことなく似通っている。
帰宅の安堵で満ちていたステラの胸が、途端に緊張を訴えだした。
ガードナー家夫妻は今までは仕える主人だったが、今は仕える主人でもあり恋人の両親でもあるのだ。
(受け入れて貰えなかったらどうしましょう……。でも旦那様も奥様も優しく素晴らしい方だわ、誠意をもってお話しすればきっと理解してくださるはず……)
そう自分に言い聞かせ、メイド仲間の輪からふらりと出た。
緊張で焦れるような足取りになりつつオーランド達のもとへと向かい、スカートの裾を摘まんで恭しく頭を下げる。
「旦那様、奥方様、この旅は長期の暇をありがとうございました」
頭を下げつつ感謝を告げる。
その声はステラ自身で分かるほどに上擦ってしまっている。それでもとチラと上目遣いに様子を窺いつつゆっくりと頭を上げれば、夫妻は穏やかに微笑んだままだ。
夫人がそっと手を伸ばし、ステラの頬に触れてきた。
「おかえりなさい」という彼女の声は優しく、ステラの胸に安堵が湧く。
「素敵な絵葉書とお土産をありがとう。絵葉書はすべて部屋に飾っているのよ。初めて見るものばかりで、まるで私達も一緒に世界を回った気分だわ」
「まぁ、そんな……。喜んで頂けて嬉しいです」
「それに、手紙が届くたびに二人が元気で旅をしていると分かって安心したの。それなのにオーランドは手紙一枚寄越さないんだから」
まったく、と言いたげに夫人が肩を竦めた。
だが確かに、旅先で絵葉書を調達するのはいつもステラだ。オーランドも一言添えていたが「元気でやっている」という素っ気ないものばかり。
何度「それだけでよろしいんですか?」と聞いたことか。それに対してオーランドは頭を掻いて「手紙は苦手だ」と話していた。
「ですがぼっちゃまも……。確か、最初にガードナー家を出た時にお手紙を出していたはずです」
なにかフォローを入れなければと記憶を引っ繰り返し、ガードナー家を出た直後の事を思い出した。
夜に辻馬車に乗ると酔っ払いにお尻を触られることがある。それを話したところ、オーランドは直ぐに父である当主に改善のための手紙を書こうと言ってくれたのだ。
それを話すも、夫人は不満があると言いたげにふいとそっぽを向いてしまった。
「あんなものは手紙に入らないわ。ただの面白みのない報告書よ」
ぴしゃりと言い切る夫人の言葉に、ステラとオーランドが顔を見合わせた。オーランドは随分とばつが悪そうな表情をしている。
仮にガードナー家嫡男として相応の相手に出す手紙だったなら、彼はさすがと言える内容を認めただろう。
品の良い挨拶から始まり、相手の状況を窺い、こちらの調子を伝える。的確かつ知的な文面で綴り、そうして見事な締めくくりの言葉で終えたはずだ。
だが夫人が望んでいたのはそんな堅苦しい手紙ではない。
旅の最中に「楽しく元気でやっています」と伝えるものだ。綴るのは堅苦しい挨拶ではなく、楽しい近況や異国で見つけた素敵なものの話。
どうやらオーランドにとっては苦手な分野らしく、ステラに丸投げしてしまっていた。
思わずステラの脳裏にマルミットで世話になったハルの顔が浮かぶ。彼女の息子であるナンシー乗りは全く連絡を寄越さず、たまに客に事付けを頼む程度だといっていた。
「殿方というのは、手紙が苦手なんでしょうか? ねぇ、ぼっちゃま」
「それを俺に聞かれても……。ステラが絵葉書を出していてくれてよかったよ。そうでなかったら、帰って最初の仕事が母さんのご機嫌取りだった」
ばつが悪そうに頭を掻きながら話すオーランドに、ステラが思わず笑みを零す。
そんな二人の会話に、夫人が「あら」と不思議そうに首を傾げた。
「ステラ、貴女まだオーランドの事を『ぼっちゃま』と呼んでいるの?」
夫人に指摘され、ステラはパタと口元を押さえた。
どうやらまたしても癖が出てしまったようだ。
そして夫人の指摘が『癖』についてだけではない事を察し、改めてステラは彼女へと向き直った。
「お、奥様、旦那様……。既にぼっちゃま、いえオーランド様からお話があったかもしれませんが、私オーランド様と結婚を前提にお付き合いをさせて頂いております」
緊張と恥ずかしさから次第に顔が赤くなるのを感じつつ、ステラはぎゅっと両手を胸元で握りつつ続けた。
そうでもしていなければ、心音が邪魔をして自分の声さえ聞こえなくなりそうだ。
「身分違いのうえ至らぬ点もあるかと思います。ですがどうか、お許しいただけませんでしょうか……!」
胸の内に湧く思いをなんとか言葉に紡いで訴える。
そうして心臓が痛むほどに早鐘を打つなかで返事を待てば、夫人が目を細めて穏やかに笑うと再び手を伸ばしてきた。白く細いしなやかな指が、白くなるほど力を込めて握るステラの手にそっと触れる。
優しく擦るのは、ステラの手から力を抜いてやろうとしているのか。
「ステラ、オーランドをぼっちゃまと呼ぶ癖が治ったら、次は私達の呼び方も直さなきゃいけないわね」
「奥様、それは……」
「呼び方は『お母様』と『お父様』が良いわ。嬉しい、娘が欲しかったのよ。だって息子は旅に出ても気の利いた手紙を送ってくれないんだもの」
悪戯気に一度笑い、次いで夫人がそっとステラを抱きしめた。
ふわりと甘い香りがステラの鼻を擽る。これは香水だろうか。春先の咲き誇る花を彷彿とさせる香りだ。
心地好いその香りに緊張も不安も一瞬にして溶かされ、ステラもまた夫人を抱きしめて返した。礼を告げれば、愛おしそうに名前を呼んでくれる。
オーランドが父から肩を叩かれているのが見えた。周囲にいる使い達も嬉しそうで、拍手が起こりかねないほどだ。
ガードナー家は変わらず暖かく優しく、そんなガードナー家にオーランドと二人で帰ってこられた。
その実感は湧くと同時に胸の内を温め、ステラは自分自身に言い聞かせるように「ただいま」と呟いた。