04:愛しき古郷
朝日が反射する海を眺めながら朝食を食べ、昼はカルテア達とお喋りをしながら過ごす。時には他の旅客や休憩中の船員も交えて話し、彼等の故郷や旅の話を聞く。
港に着けば別れと出会いが有り、親しくなった者達を見送ると共に、乗り込んできた者達を歓迎する。
老後を楽しむ夫婦、小さな子供を連れた家族、新婚旅行の夫婦、ステラ達のように目的を持って旅をする者もいる。
世界を回る客船だけあり旅客の故郷や行き先も様々で、人数のぶんだけ目的がある。それを聞くだけでも世界を一周したような気分だ。
『船は乗っているだけで新しい出会いを運んでくれる』そう嬉しそうに話すカルテアに、ステラもオーランドも頷いて返した。
日毎に変わる絢爛豪華な夕食を堪能し、食後はティーサロンでひとときを過ごす。
船内は旅客を飽きさせまいと娯楽に溢れており、ティーサロンで生演奏が披露されることもあった。穏やかな異国の曲に浸り、その時限定の異国のお茶を飲む。豪華客船らしい落ち着いた催しだ。――もちろん落ち着いた催しだけではなく、ダンスパーティーもあれば、手品師のショーも開かれた。日ごと催しが変わるあたり、さすが世界に名だたる客船である――
カルテア達も終始共にいるわけではなく、「ご一緒してもいいかしら?」と同じテーブルに着くこともあれば、「今日は船員とチェス勝負をするのよ」と楽しげに通りがかりに声をかけていくだけの時もある。
さすがに「サロンで許されるのはキスまでよ」とからかいながら通り過ぎていったときは、ステラもオーランドも顔を真っ赤にして彼女を追いかけてしまった。
そうして楽しく一日を過ごし、部屋へと戻ると程良い疲労感から心地よい眠りにつく。
初日こそ酔いもあってベッドで寝てしまったステラだが、それ以降はオーランドにベッドを譲り自分はソファーで眠り……は出来ず、結局最初の日からずっとベッドで眠っていた。
「ぼっちゃま……いえ、オーランド様ってばずるいわ」
そうステラが文句を訴える。ふかふかの布団にくるまれながら。
なにせ今日こそはとオーランドに寝床の交換を持ちかけたのだが、彼は聞く耳持たずでソファーに己の枕をセットしてしまった。
当然のようにソファで寝ようとする彼に、それでもとステラが食い下がる。
「ぼっちゃま……いえ、オーランド様をソファーで寝かせたとなれば、メイド長に叱られてしまいます」
晴れて恋人になったとはいえ、片や名家子息、片やメイド。どちらがソファで眠るかは一目瞭然。
そうステラが訴えれば、オーランドが嬉しそうに「恋人になったんだもんな」と告げてきた。
「それなら尚更、俺はソファで寝るよ。恋人を……未来の妻をソファで寝かせたとなれば、甲斐性なしと笑われるからな」
あえて『未来の妻』と言い直し、ステラの額にキスをしてくる。
この甘い言葉とキスに抗える者がいるだろうか。以前の、それこそオーランドの恋心に気付かぬ鈍感なメイドの頃ならば多少は抗えたかもしれないが、今のステラには不可能だ。
真っ赤になって「おやすみなさいませ」と上擦った声で返すだけで精一杯である。
そうして布団に入り、今日もまた交代出来なかったと唸るのだ。
そんな楽しくも甘い海上の日々も終わりを迎える。
昼過ぎにはスレダリアの港に到着するだろうと船員から告げられ、ステラがほぅと感慨深い吐息を漏らした。
早くスレダリアのガードナー家に戻りたい。だがカルテア達と別れるのは寂しい。
そんなジレンマを話せば、向かいに座るオーランドも頷いた。
ステラとオーランドの手元には今朝の朝食であるエッグベネディクト。ふかふかのマフィンがふるふると震えるポーチドエッグを優しく受け止めている。
ナイフで切れ目を入れればとろりと黄身が溶け落ち、オランデーズソースと絡み合う様は朝から食欲を刺激してくる。重すぎず、それでいて朝の英気を養ってくれるしっかりと美味しい朝食だ。
オレンジジュースも、船内のどこかにオレンジの木があり採れたてなのではと思えるほどに新鮮。程よい酸味が残っていた眠気を吹き飛ばしてくれる。
「昼過ぎに港に着くなら、夕刻前にはガードナー家に帰れるかな」
「海の上で目を覚ましたのに、夜はガードナー家の自室で眠るんですね。旅が終わると考えるとなんだか少し寂しいです」
「そうだな。だけどまた一緒に旅に出ればいい。……たとえば新婚旅行とか」
ポツリと最後に呟かれたオーランドの言葉に、ステラの胸が高鳴る。
新婚旅行。なんて甘い響きだろうか。
思わず熱っぽい吐息を漏らし、嬉しさから表情を綻ばせながら「楽しみですね」と返した。
朝食後は部屋へと戻り、下船の準備をする。
トランクに荷物を詰めて閉めれば、皮が柔らかくなり手に馴染む感覚にステラが小さく笑みを零した。このトランク旅に出る時に同僚達が贈ってくれたものだ。
最初に手にした時はまだ皮が硬かったが、いつの間にか手に馴染んでいる。道中壊れることもなく荷物を運んでくれた、この旅の相棒とも言えるだろう。
そうして荷造りを済ませ、到着までの残り時間を船内で過ごす。
昼食の時間になり船内のレストランへと向かえば、先にテーブルについていたカルテアが片手を振って招いてくれた。
昼食の最中、カルテア達から甲板へ行くように進められた。
広大な海も美しいが、徐々に近付いてくる港もまた壮大で見応えがあるという。それが自分の故郷ならば尚更だ。
カルテア達も自国に客船が寄る時は必ず甲板に出て眺めているのだという。
その話を聞き甲板に出れば、遠目にスレダリアの港が見えた。それが徐々に近づいてくる光景はなんとも不思議なものだ。
汽車のように目まぐるしく景色が流れていくわけでもなく、それでも着実に港は近付いている。海も船も壮大すぎて距離感など掴めるわけがない。
ゆっくりなのか早いのか。ゆるやかな波を見ていると分からなくなってくる。
それでも港の景色を目視で確認出来るようになれば、ようやく自国に帰ってきたと実感がわきはじめた。
「ぼっちゃま、見てください。行きに寄ったフルーツ屋さんが今日も開いて居ますよ」
「本当だ。せっかくだから寄ってから帰ろうか」
近付く故郷には感慨深いものがあり、ステラは身を乗り出すようにして港を眺めた。
遠くて朧気だった港は、今では建物も人もはっきりと見える。
そうしてついには波間を掻き分けるように進んでいた客船が次第に速度を落とし、港に入るとゆっくりと停まった。
港にいた者達があちこちと行き交い、これから乗り込む者のために台車に乗せた大荷物を運ぶ者もいる。
それらを眺め、ステラとオーランドもどちらともなく顔を見合わせた。
「帰ろう」と、そう言葉にしなくともお互いの表情で確認し合う。




