08:お米輸入計画
いったいどうしたのかと不思議そうに迎えてくれたハルに事情を話せば、彼女は上機嫌で笑いだした。
曰く、ミニャレットの事情を知った旅行客の殆どが彼女の境遇をなんとかしようとするのだという。そうして実態を知り、良かったと安堵する。
だがさすがに、仕事の推薦状を用意し、それも夜に彼女のもとを訪れに立ったのはステラ達が初めてらしい。
それを聞き、ステラが自分の早合点を恥じた。
「それなら早く仰ってくださいな。私、ミニャレットさんの事が心配で心配で……」
「それはご足労を。滅多に旅行客が来ないので、いつも忘れてしまうんですよ」
口元を袖で隠して笑い、ハルが客室へと歩いていく。
その後を歩きながら、ステラはまったくとわざとらしく肩を竦めた。もちろん早合点の照れ隠しである。
「ミニャレットはよくうちにも遊びに来るんですよ。『忍びこむニャー』って言いながら入ってきて、娘とお茶をしております」
「まぁ、ミニャレットさんは泥棒のうえに不法侵入まで得意なんですね」
「得意気に『忍び込んでやったニャー』と帰っていきます。獣人は独り立ちが早いから素直に甘えられないみたいですが、私達からしてみればミニャレットもこの村の大事な子供です」
上機嫌で話すハルに、ステラがその光景を想像してクスと笑みを零した。
きっとハルの耳にはミニャレットの「忍び込むニャー」は「お邪魔します」に、「忍び込んでやったニャー」は「お邪魔しました」と聞こえているに違いない。
オーランドも安堵の表情を浮かべており、ステラと目が合うと「良かったな」と告げてきた。ステラも頷いて返す。
そうして客室に戻ったのだが、出てきた時のままローテーブルに鍋が乗っていた。
鍋には蓋がされ器や小皿といったものは新しく替えられているが、片付けたといった様子はない。
やはり『シメ』とやらを食べないと鍋は終わりに出来ないのだろうか。
「うちはシメに雑炊を作っております。お米を入れるんですよ。サイラスのところまで行ったなら良い運動になりましたでしょうし、雑炊も楽に入るでしょう」
「雑炊は聞いたことがありませんが、お米は知っています。以前ガードナー家に来たお客様が、お土産に持ってきてくださったんです。ねぇぼっちゃま……オーランド様」
「あぁ、彼が連れていたメイドが実際に調理してくれたな」
異国の料理にガードナー家のシェフ達は興味深そうに眺め、ステラもメイド代表として調理の場に立ち会わせてもらった。――主人が口にする料理を調べるのもメイドの仕事。けして異国の料理に惹かれたわけではない。……のだが「お米、それはどんな料理ですか!」と瞳を輝かせたところ、誰もが優しい表情でステラに見学最前列を譲ってくれた――
白く小さな『お米』を水に浸し火にかける。調理をしていたメイドはこれを『炊く』と言っており、しばらくすると湯気と共にふわりと暖かく香ばしいほんのり甘い香りが漂ってきた。
焼きたてのクッキーともパンとも違う、調味料の香りとも違う、穀物の甘い香り。
炊きあがったお米はふっくらと膨れてツヤツヤと輝いており、その純白さに厨房一同が歓声をあげたのだ。
そうして『お米』を焚いて出来た『ご飯』という食べ物は、ツヤツヤと輝いており、温かく柔らかく、小さな米粒に穀物の甘みがこれでもかと詰まっていた。
それだけで食べても美味しく、メインと併せて食べても美味しい。なんとも魅力的な食べ物だ。
「私も一口頂きましたが、柔らかく、甘く、それでいて他の食べ物の邪魔をしない。あまりに美味しくて、どうにかスレダリアにお米を輸入出来ないものかと一晩考えました」
「あぁ、懐かしいな。『スレダリアお米輸入計画』だな。あの計画書はまだ俺の机の引き出しに残ってる」
「帰国後ただちに捨ててください!」
白米の美味しさに魅了されたステラは一晩で計画書を書き上げ、それを皆の前で熱意的にプレゼンしたのだ。
一人二人と呆れて席を立つ中、オーランドだけが紅茶片手に最後まで聞いてくれた。懐かしい。出来れば思い出したくなかった。
あの計画書は我に返ると同時に捨てたはずなのに……! とステラが悲鳴をあげれば、オーランドがクツクツと笑った。
「この雑炊というのが気に入ったら、俺も輸入計画に参加しようかな。鍋料理がスレダリアにも広がれば、一緒にシメの文化を流行らせて米の輸入も進められるかもしれない」
「あら嫌ですよ、そんな難しい話しないでください。この雑炊で輸入が決まるなんて考えたら手が震えてしまいます」
コロコロと上品に笑い、ハルが鳴れた手つきで炊いたご飯を鍋に落としていく。
曰く、このご飯は一度炊いたものを水で洗ったのだという。
それを聞き、ステラは鍋に落とされていくご飯を見つめつつ首を傾げた。
一度炊いたご飯をどうして水で洗うのか。せっかく暖かなご飯が冷えてしまうし、それをまた煮るのは二度手間だ。
それを問えば、ハルが炊いた後に洗うと粘りが取れると教えてくれた。
「確かに、以前に頂いたご飯には柔らかな粘りがありました。お米は一つ一つが分かれているのに炊くとくっついて、一緒に食べるともっちりとしていました。パンとは違った食感で最初は驚きましたがとても美味しかったです」
「あの粘りと柔らかさがお好きなら、お餅という食べ物も気に入られると思いますよ。次にうちに来る際に事前に手紙を頂ければ、ご用意しておきます」
「お餅、これもまた魅惑の響きですね。是非お願いします!」
新たな食材に胸を高鳴らせつつステラが答えれば、ハルが嬉しそうに微笑みながら溶いた卵を鍋に流し込んでいく。細く途切れることなく円を描くように、まるで画家のような動きだ。
それが終わると鍋の蓋を閉め、程よく煮立ったら食べるように告げて部屋を出ていった。
二人きりになった部屋の中、コトコトと鍋の蓋が揺れ、蒸気穴からは白い湯気があがる。
卵とご飯が蕩け合う香りが漂い、先程お腹いっぱいに鍋を堪能したというのに煮立つのが待ち遠しくなってくる。
そうして充分煮立ったことを確認し、ステラがゆっくりと鍋の蓋を開けた。
ふわりと白い湯気がたちこめ、ステラの視界が一瞬真っ白に染まる。それも美味しそうな香りを纏って。
そんな湯気がゆっくりと引いていきステラの視界が明ければ、そこには輝かしい光景が待ち構えていた。