03:夢心地で時間を走る
寝ていないと慌ててステラが否定すれば、その必死さが面白かったのかオーランドが苦笑する。そのうえ眠っていいとまで言い出すではないか。
「マルミットまでだいぶ時間がある、寝ていても良いぞ。……そ、それに、寝るなら俺の肩に頭を乗せても良いし」
「そんな、肩をお借りするなんて出来ません!」
「そこまで否定しなくても……」
「お恥ずかしい話ですが、私スレダリアのメイド達より少し……ちょっとだけ、ほんのすこーしですが重くて……だからきっと頭も重いと思います。ぼっちゃまの肩を借りたらご迷惑になります」
ステラが己の事を恥ずかしがりつつ辞退すれば、どういうわけかオーランドが食い気味に「迷惑なものか!」と訴えてきた。
彼の真剣な表情と勢いに、思わずステラが目を丸くさせる。
「ステラは俺にもたれ掛かる事が嫌なわけじゃないんだな」
「嫌? なぜ私が嫌がるんですか?」
「よし、そうだよな……! それなら、気にせず俺にもたれ掛かって眠ってくれ。それともステラは、俺が眠る女性一人支えられない貧弱な男だと思っているのか?」
「まぁ、そんなことありません。ぼっちゃまは立派です。同年代のご子息様より逞しくて……。そうですね、眠るメイドを支えるなんて造作ないことですね」
オーランドの言わんとしている事を察し、ステラがクスと笑みを零した。
そうして改めるように居住まいを正し、ゆっくりと彼の体に身を寄せた。「失礼します」という一言も忘れない。
ぐらぐらと揺れていた自分の体を支えてくれる逞しい体。体重をかけても肩に頭を乗せてもビクともせず、身を寄せていると安堵感が胸に沸く。
「ぼっちゃま、もし重かったら仰ってくださいね。あぁでも、その際は『重い』という単語は控えて、オブラートに包んでください」
「難しい注文だ。ぼっちゃまには無理かもな」
「もう、オーランド様ってば……」
「安心しろ、他でもないステラの事を重いなんて思わないさ」
オーランドが笑いながら返せば、寄りかかっているステラには彼の笑い声と共に細かな振動まで伝わってくる。妙な気恥ずかしさを覚えてしまうのは、揶揄われている気恥ずかしさと、笑う彼の揺れさえも伝わってくるほどに触れているという照れくささか。
そもそも、恥ずかしいも何も今自分はとんでもない事をしているのではなかろうか。いくら当人が許可をしてくれたとはいえ、オーランドは仕えるべき主人、そんな彼にもたれ掛かって眠るなんてメイドとしてあるまじき行為だ。
いや、主人だろうとなんだろうと、一人の男性とこんなに密着して……。
(駄目だわ、考えれば考えるほど眠れなくなってしまいそう……)
今は深く考えず、オーランドの好意に甘えて少し眠ろう。
そう自分に言い聞かせ、ステラはうとうとと微睡む意識を手放した。
それから数時間後……。
「……ん」
ステラが小さく声を漏らし、もぞと身じろいだ。
それと同時にパサリと膝に何かが落ちる。いったい何かとうっすらと目を開ければ、自分の膝に掛かるオーランドの上着が見えた。
どうしてこれが自分の膝にあるのか。乗車の際に上着を脱いで持っていたはずなのに……と、ぼんやりと乗車前の事を思い出す。
そんなステラのぼんやりとした視界の中で、ひょいと手が伸びて膝に落ちた上着を掴んだ。この手はオーランドの手だ。
(上着を取って鞄にしまうのかしら。まだ時間が掛かるなら、上着を入れた鞄ごと棚に上げてしまっても良いかもしれないわ……。だって汽車は暖かくてお腹もいっぱいだし、上着なんて必要ない……上着なんて食べられないもの……)
暖かさと満腹感からそんなことを考えつつ、ステラがもうひと眠りしようかとゆっくりと目を閉じる。
だが次の瞬間パチンと目を開けたのは、ステラの肩をふわりと柔らかな温かさが包んだからだ。
見れば、オーランドの上着が自分の肩と胸元に掛かっている。上質な上着だけあり、肩に掛けられるとまるでブランケットのように暖かい。
「ぼっちゃまの上着……」
「すまない、起こしてしまったか?」
「いえ、大丈夫です。上着を貸してくださっていたんですね」
オーランドの体からゆっくりと離れてシートに座り直す。
冷えないようにと掛けられた上着を手に取って感謝を告げれば、オーランドが気恥ずかしそうに頭を掻いた。
夜になって冷えてきた、ブランケットを借りようとしたが全て貸し出されていた、そう矢継ぎ早に話すのは照れ隠しだろう。妙に饒舌になるあたりがなんとも分かりやすい。
思わずステラは小さく笑みをこぼし、彼に上着を返そうとした。だが寸前できゅっと裾を掴んだのは、上着を手放すのが惜しく思えたからだ。
上着の暖かさはまるでオーランドの優しさそのもの。それを思えば、もう少し包まれていたくなる。
「……もう寝ませんが、まだ上着をお借りしてもよろしいですか?」
「あぁ、構わない」
穏やかに笑いながらオーランドが頷けば、ステラはほんのりと頬を赤くさせつつお礼を告げた。
メイドとして主人の上着を借り続けるなど失礼にあたるし、そもそもトランクの中にはブランケットがあったはず。寒いのならそれを掛けるなり一枚着込むなりすればいい。
いや、そもそも我慢できないほどの寒さではない。これが仮に汽車内で借りたブランケットであったなら、何も思うところなく返却しただろう。
だけど……、
(ぼっちゃまの上着がとても暖かい……)
ステラの体より一回りどころか二回り近く大きな上着は、すっぽりとステラの体を包んでしまう。まるで抱き締められているようだ……。
そこまで考え、ステラの頬が一瞬にして熱くなった。頬どころか顔中、そこから伝わって体中が燃えそうだ。
はたはたと己の頬を仰いで誤魔化しつつ、彼の上着をぎゅっと掴む。これでは熱いのか寒いのか分からなくなりそうだ。
「そ、そういえば、私どれくらい寝ておりました?」
「二時間くらいだな」
「まぁ二時間も。確かにもう外は真っ暗ですね」
ステラが窓の外を覗くも、外は真っ暗で何も見えない。建物があるのか、それとも自然が広がっているのか、慣れぬ汽車の速さと相まって目を凝らしたところで分からない。
それどころか、目を凝らせば凝らすほど窓に反射した自分の顔が鮮明になるだけだ。
ムゥと眉間に皺を寄せて外の景色を凝視すれば、その表情が面白かったのか笑うオーランドの姿が窓に反射して見える。
慌てて体勢と表情を戻した。外の景色を見るのは諦めよう、これ以上凝視しても見えるのはオーランドの笑う顔だけだ。
「なんだか私、汽車に乗って時間さえも走り抜けてしまったみたいです」
「時間も?」
「えぇ。汽車は馬車とは比べ物にならない速さですし、たった五時間でマルミットについてしまいます。そのうえ気付いたら外は真っ暗」
「気付いたらというより、起きたらだな。ステラは眠っていたから見ていないだろうけど、夕日はいつも通りゆっくりと落ちていったし、直ぐに真っ暗になったわけじゃないぞ」
「ぼっちゃま、お茶をもう一杯どうぞ」
そそくさとお茶を注ぐことでステラが話題を逸らす。これぞメイドの必殺技だ。
オーランドが肩を竦めつつ笑い、そういえばと乗車券を取り出した。
「この車両には食堂車があるらしい」
「食堂車ですか?」
「もう遅いから食事は無理だろうが、紅茶と軽食ぐらいなら」
「行きましょう!」
食事の気配を感じ取ってステラが瞳を輝かせれば、オーランドが苦笑交じりに頷いて立ち上がった。
ステラもそれに続いて立ち上がり、彼へと上着を返そうとし……さっと羽織ってみた。二回り近く体格の良い彼の上着は当然だがステラには大きすぎて、腕を伸ばしても指の先すらも見えない。
「ぼっちゃまの上着はやはり大きいですね。でもとても暖かいです」
「そうか……。それならしばらく着ていると良い」
「えぇ、お借りします。どうですか、似合ってますか?」
冗談めかしてステラが見せつけるようにオーランドの前でクルリと回ってみせた。
もっとも、いくら質の良い上着とはいえ男物の上着、それもサイズはてんで合っていない。これを似合うと褒めるのは無理があるだろう。
だがオーランドはしばらくステラを見つめたのち、頬を赤くしながら「……似合ってるよ」と呟くように答えた。




