04:メイドのオーブン焼き
時にはオーランドも交えて雑談を交わしながら砂漠を横断する。
通り掛かった旅の一団にらくだを見せて貰ったり、小休止していたバイク乗りに運転のコツを教えてもらったりと、ガードナー家では考えられなかったような出会いばかりだ。
とりわけらくだは想像以上に巨大で、大きなこぶを背負った体は不思議の一言である。だが性格は人懐こいらしく、ステラが臆しつつも恐る恐る手を差し出せば、みずから顔を寄せてくれた。
「次はらくだに乗ってみよう。ゆっくりと砂漠を渡るのも悪くない。……ナンシーは例外だが」
「えぇそうですね。らくだも最初はビックリしましたが慣れると可愛らしいです。……ナンシーは慣れそうもありませんが」
「ニャンシーはあれでも人気ニャんですよ」
と、そんな会話をしつつ再び砂の海を渡る。
平穏な旅だ。
だがしばらくすると、ステラはぼんやりと前方を見つめ、次第に話についていけなくなることが多くなった。
数度名前を呼ばれてはたと我に返り、しばらくは話に着いていけるもののまたすぐにぼんやりとし……の繰り返しだ。
「……テラ、ステラ?」
「あ、あらぼっちゃま……。申し訳ありません、何かありましたか?」
「いや、飴を貰いたかったんだが。それよりさっきから様子がおかしいが、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です。なんだかさっきからぼーっとして、でもこの暑さに慣れたのか、汗も出なくなりました」
きっと砂漠の暑さに慣れてきたのだろう、そうステラが話しつつ、鞄から塩の飴を取り出して包みを剥がす。取り出した飴をオーランドに手渡すが、その動きはどことなく遅々としている。
そんなやりとりを聞き、「汗が出ニャい?」と声をあげたのは旅猫だ。
バッと振り返り、慌てた様子でステラの額に己の手を押し当ててきた。人の手とは違う、ふかふかの毛が触れる。その中にしっとりとした堅さを兼ね揃える感触があるが、これは肉球だろうか。
「素敵な肉球……」
不思議な感触にステラが微笑む。
相変わらず思考はぼんやりとしており、旅猫の声もどこか離れたところからのように聞こえる。
風が頬にあたるのは心地好いが、頬の内側に溜まった熱は冷えそうにない。真上から降り注ぐ日の光に、昨日食べた塩味のジェラートのようにトロリと溶けてしまいそうだ。
(オーブンで焼かれるアップルパイはこんな気分なのかしら……)
そんなことをステラは考え……そしてグラリと視界が揺らぐのを感じ、そのまま意識を手放した。
最後に感じたのは、顔面にふわりと当たるふかふかの毛の感触と、そして「ステラ!」とらしくなく慌ててたオーランドの声だった。
「……ん」
小さく呻き声をあげ、ステラはゆっくりと目を覚ました。
天井が見える。周囲を見回せばローテーブルと椅子といった極平凡な部屋の内装。その室内にあるベッドに横になっていたようだ。
だがそこまでは分かっても、ここに居る理由までは分からない。記憶を辿れば自分達は砂漠を移動していたはずだ。
見上げれば一面の空、遮るものなく降り注ぐ日の光、周囲には砂しかなかったはず。
「……ここ、は?」
掠れた声で呟き、起き上がろうとする。だが体は言う事を聞かず、かろうじて上半身を起こしても、腕の力が抜けてぽすんとベッドに倒れ込んでしまった。
随分と体がだるく、少し頭痛もする。それに暑い。
体の内側で小さな炎がくすぶっているような暑さ。じりじりと焦がされるようで、オーブンの中のアップルパイだったはずが薫製チーズになった気分だ。
「どなたかいらっしゃいませんか? ぼっちゃまはどこに……?」
見当もつかない部屋の中ではどうして良いのかも分からず、ステラが不安気な声でオーランドを呼ぶ。
それとほぼ同時に足音が聞こえ、コンコンと軽いノックの音が響いた。誰か来たのだ。ステラの肩がビクリと震える。
だが次いで聞こえてきた「俺だ」という声に安堵し「ぼっちゃま」とオーランドを呼んだ。扉がゆっくりと開き、オーランドが入ってくる。
彼の姿にステラがほっと安堵の息を漏らし、ゆっくりと上半身を起こした。
「ステラ、もう起きて平気なのか?」
「えぇ、大丈夫です。それにしても、私どうしたんでしょうか」
「熱中症だ。暑さにやられて体温調整が出来なくなり、汗が出なくなる。医者は軽症だから数日休めば平気だと言っていた」
「そうなんですね、よかった……。ですがご迷惑おかけして申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。特に予定もない旅だし、ゆっくり休んでから出発しよう」
ベッドの脇に椅子を起き、オーランドが腰かける。
次いでサイドテーブルに置かれた水差しで水を汲んでくれた。差し出されたそれを一気に飲みほせば、ひんやりとした冷たさが喉を伝う。
これもまたほんのりとレモンの酸味と塩のしょっぱさを感じさせる。とりわけ塩気は体の中にしみこんでいくかのようだ。
「塩分を取るのは熱中症対策らしい。汗で体内の塩分が不足するから、それを補うんだ」
「それで塩味のものが多かったんですね。そういえば、私途中から旅猫さんとのお喋りに夢中で、飴を舐めていませんでした」
「ちゃんと調べておけば良かった。知識があるからと言ってついてきたのに、申し訳ない」
「まぁそんな! ぼっちゃまのせいではありません!」
頭を下げようとするオーランドを、慌ててステラが制止する。
塩味の飴が暑さ対策だと言われていたのに、深く考えなかったのはほかでもない自分自身だ。つまりこれは自業自得。オーランドが謝るのは間違えている。
そうステラが必死に訴えれば、オーランドが苦笑と共にもう一杯水を注いでくれた。
「世界を旅しているんです、スレダリアとの違いに失敗する事はあります。私、これは手痛くも貴重な経験として、スレダリアに帰った時には熱中症について皆に説明します!」
「はは、それは良い。スレダリアには熱中症に掛かった者はそういないから、きっと医者に質問攻めにされるだろうな」
オーランドが苦笑を浮かべる。
次いで彼の手がステラの額に触れた。どうやら寝込んでいる間は熱があったらしいが、今は随分と引いているらしい。
良かった、とオーランドが安堵した。
「そういえば、ぼっちゃま、ここはどこですか?」
「ぼっちゃまとは呼ばないで欲しいが……まぁ今は良いか。健康な証拠だな。ここは砂漠の途中にある町の宿だ。駆け込んだら直ぐに医者の手配をしてくれた」
「まぁ、そうだったんですね」
「宿泊の手続きもまだだったから、今から済ませてくる。夕食も部屋でとれるように手配してもらおう」
「ありがとうございます」
数日休むと決めたのなら、無理をするよりもオーランドの提案に甘えた方が良いだろう。
「お願いします」とステラが告げれば、オーランドが立ち上がり部屋を出て行った。
◆◆
パタン、と後ろ手で扉を占め、オーランドは盛大な溜息を吐いた。
脳裏には、意識を失い旅猫にもたれ掛かるステラの姿がよみがえる。
ぐったりと力なく苦し気に浅い呼吸を繰り返し、名前を呼んでも返事どころか反応すらしなかった。あんなに弱ったステラの姿は初めてだ。
幸い町までの距離は近く、直ぐに駆け込んで宿に休ませ、医者に見せることが出来た。医者が言うには軽度の熱中症で、一晩休めば問題ないという。
ステラ本人も、目を覚ましてからは「大丈夫」だと言っていた。
……だがその声は掠れており、顔色も優れていない。まだ本調子とは言えないだろう。
ステラへの心配が募り、それが彼女の不調に気付けなかった己への不甲斐なさへと変わる。
(熱中症について本で読んだ事があったのに……)
自責の念に苛まれつつ、思わず額を押さえて呻る。
ステラにあれだけ「もう立派な大人だ」と訴えておいてこの様だ。山ほど本を読んだって、同年代の子息の中でも秀でた知識を持っていたって、いざその時に使えなければ意味がない。
情けない……とオーランドが再び溜息を吐けば、「オーランドさん」と声を掛けられた。ゆらゆらと尻尾を揺らしながら歩いてくるのは旅猫だ。
「ステラさんの調子は?」
「あ、あぁ、さっき目を覚ました。少し疲れが残ってるようだが、頭痛や息苦しさはないと言っていた」
「そうですか。それニャらしばらく休んでいれば大丈夫そうですね」
「良かった……。旅猫にも世話になった」
オーランドが礼を告げれば、旅猫がふかふかの手を軽く振って謙遜した。手と連動して尻尾も動いている。
だがステラの不調に誰より早く気付いたのは彼だ。この町に着いてからも、オーランドはステラを宿へと運び、旅猫は宿に説明し医者の手配をしてくれた。
彼が居なければ、ステラを宿に運んで事情を説明して医者を手配して……と手間が掛かっていただろう。その間もステラは苦しんでいたはずだ。
改めてそれに感謝をするも、旅猫は当然の事だと軽く笑って済ませてしまった。旅をしていればこういった事態は頻繁にあり、いざとなったら自分の出来ることをするだけだという。
その考えに、オーランドが感心したと言いたげに小さく息を吐いた。
愛らしい外見に反して、旅猫の心根や気概はどっしりとした落ち着きを見せている。対して、自分のなんて未熟な事か。
「予期せぬ事態に直面して、自分の不甲斐なさを実感した。家でどれだけ本を読んでいてもこの様じゃ駄目だな」
「そんニャことありませんよ。オーランドさんはステラさんのためにバイクを運転し、町に着くや宿の手配をし、立派でした」
「そう言って貰えると有難い。だけど……好きな女性の不調に気付けないのは、男として情けない。ステラに一人の男として認めてもらいたいと思っていたが、当分は先延ばしだな」
「おやおやニャァニャァ、そういう事でしたか」
ニャフフ、と旅猫が不思議な笑い方をする。
どうやらステラとオーランドは既に恋仲だと思っていたようで、「まだでしたか」と見つめてくるアーモンドのような瞳に、オーランドが居心地悪く頬を掻いた。
せめてと返した「でもこの旅で……」という言葉は、今日の事があって自信喪失しているからか普段より歯切れが悪い。
「い、いや、でもまずはステラの看病だな。食事がとれるようだがら、何か軽めのものを用意してもらうつもりだ」
「それニャら、デザートに良い物がありますよ。きっとステラさんも気に入るはずです。……それと」
ニャフフ、と一度笑い、旅猫がこの土地に伝わる『とある言い伝え』を話し始めた。




