↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第一章 スライムは、下から来ると言った

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/20

第1話 鳴き声の文法



「魔物の鳴き声は、言語ではありませんよ。鳴瀬君」



 久我先生は、私の企画書を二枚目までめくって、机に戻した。

 三月三十一日。私の任期の、最後の日だ。


 私は鳴瀬ことは、二十八歳。

 東都大学の言語学研究室で、三年間、任期付きの研究員をしてきた。専門は、話す人が数十人しか残っていない島の言葉を録音して、文法を書き残すこと。

 そして明日から、肩書きが無くなる。



「十年前にダンジョンが現れてから、あれの声を研究した学者が一人でもいましたか」


「いないから、やる意味があると思っています」


「いないのはね、意味が無いからですよ」



 先生は眼鏡を外して、レンズを拭く。

 話を終わらせるときの癖だ。



「犬の吠え声に文法がありますか。あれと同じです。次の職を探すなら、もう少し身の程に合ったテーマを持っていきなさい」



 身の程。

 言い返す言葉は、いくつか浮かんだ。どれも、口に出せば任期の最後の日を気まずくするだけだった。



「……ありがとうございました」



 頭を下げて、研究室の奥の自分の机に戻る。

 段ボール二つ分の荷物。録音機。ヘッドホン。島の言葉の書き起こしが十四冊。

 最後に、引き出しの奥から青い表紙のノートが出てきた。



「それは、何かね」



 いつの間にか、先生が後ろに立っていた。



「院生のころのメモです。個人的な」



 ぱらぱらとめくった先生の指が、途中で止まる。

 五年前、私が趣味で書いていた頁だ。第一層で録ったスライムの声を、音の高さで分けてみた表。



「研究室の時間で書いたものは、研究室の資料です。置いていきなさい」


「でも、それは」


「置いていきなさい」



 先生はノートを閉じて、自分の机の引き出しにしまった。

 鍵の回る音がした。




◇




 その日の夜、私は多摩迷宮の第一層にいた。


 ダンジョンの入口は、どこも似たような管理棟になっている。

 入場券を買い、手すりの付いた階段を下りると、石の壁がぼんやり光る広い通路に出る。

 第一層は一般開放区域だ。見学路があって、売店があって、修学旅行の生徒が魔物を見て写真を撮っていく。


 ここにいる魔物は、ほとんどがスライムだ。

 手のひら二つ分くらいの、薄い水色のかたまり。人を見ても逃げるだけで、子どもでも棒でつつける。


 私は見学路の端にしゃがみ、録音機を手すりに固定した。

 学生のころから使っている、ステッカーだらけの録音機。もう一つは、コウモリ探知機。超音波を、人の耳に聞こえる高さまで下げてくれる機械だ。


 スマホを三脚に立てて、配信の画面を開く。

 題名は、少し迷ってから「鳴き声の文法」にした。


 研究費は、明日からゼロになる。

 それでも録った音と時刻を、どこかに残しておきたかった。配信なら、録音した日時が誰の目にも見える記録になる。


 去年の冬、島の言葉を最後まで話せたおばあさんが亡くなった。

 私が録った六十時間の録音は残っている。けれど、あの言葉で返事をしてくれる人は、もうどこにもいない。

 話す相手のいない言葉は、録音の中で黙っているだけだ。


 だから、まだ鳴いている声を、放っておけなかった。

 誰も言葉だと思っていない声なら、なおさら。



「……こんばんは。鳴瀬と申します。言語学をやっています。今日から、スライムの声を録ります」



 同時接続、0。

 分かっていたことなので、気にしない。


 スライムの声は、耳ではほとんど聞こえない。

 ぷちゅ、と水が弾けるような小さな音がするだけだ。

 けれどヘッドホンで探知機の音を聞くと、その裏に、細い笛のような高い音が重なっている。


 ちゅい。ちゅ、ちゅい。


 私はノートPCに声紋を映す。

 横に時間、縦に音の高さ。音が、短い線になって並んでいく。



「音は、三つずつのまとまりで出ています。三つで一語、かもしれません」



 画面の端に、数字が出た。同時接続、1。


  "音声学の配信って初めて見た"

  "三音節で一語? 声紋ちゃんと見せてくれるのありがたい"


 名前は「名無しの音声学徒」。

 一人でも、見ている人がいる。それだけで、説明する声が少しだけ大きくなる。



「言葉を調べるときは、まず数えます。同じ場面で同じ音が出るか。一つだけ音が違う組、最小対が取れるか。そうやって、音と意味を一つずつ結んでいきます」



  "最小対、取れたら熱いですね"



「はい。取れたら、そこが最初の一語です」



 見学路を通りかかった小学生が、私の画面をのぞきこむ。



「お姉ちゃん、スライムとしゃべってるの?」


「しゃべれるように、なりたいんです」


「へんなのー」



 お母さんに手を引かれて、男の子は売店のほうへ走っていく。

 へんなの、と言われるのには慣れている。島でも最初は、東京から来た変な人だった。


 一時間で、私は四十七回、三音のまとまりを録った。

 高さの並びは、四種類しか出てこない。


 上がって、上がって、上がる。

 下がって、上がって、下がる。

 そして、ほとんど出ない並びが二つ。


 島で、子どもを呼ぶお年寄りの声を録ったときのことを思い出す。

 同じ単語でも、呼びかけるときと、叱るときでは、高さの形が変わる。


 ぷ、ちゅい、ぷ。


 そのとき、見学路のすぐ下で、スライムが一匹、聞いたことのない並びで鳴いた。

 上がって、下がって、上がる。


 ヘッドホンの中で、同じ並びが、壁の向こうから返ってくる。

 一匹。三匹。十匹。

 通路のあちこちで、スライムが同じ三音を、同じ高さで繰り返し始めた。



「……今の」



 ぞくっとした。

 四十七回録って、一度も出なかった並びだ。


 島のお年寄りが、崖の近くで遊ぶ孫を止めるときの声と、形がまったく同じだった。

 一音ずつ高さを跳ね上げる、短くて強い言い方。

 言語学の言葉で言えば、命令形だ。



「全部のスライムが、同じことを言っています。たぶん、命令です。意味は、まだ分かりません。でも、近いのは」



 声紋の上で、線が三本ずつ、どんどん重なっていく。

 見学路の下を、水色のかたまりがいっせいに這っていく。

 全部、同じ方向へ。入口の階段のほうへ。



「……逃げろ、だと思います」



  "え、なにこれ、スライム大移動?"

  "こんなの見たことない"


 見学路にいた家族連れが、笑いながら写真を撮っている。

 売店のおばちゃんが、閉館の案内に使う拡声器を片手に、カウンターから身を乗り出した。



「あらまあ。十年ここで店やってるけど、こんなの初めてだよ」



 おばちゃんの声に、見学路のあちこちから笑い声が返る。

 誰も、怖がっていない。スライムは人を見れば逃げる生き物で、数が多いだけに見えるからだ。


 スライムは人の足元をよけて、ただ、上へ、上へと流れていく。


 逃げろ、と言っている。

 では、何から?


 最後の一匹が、私の靴のそばで止まった。

 薄い水色の体が、小刻みに震えている。

 ぷちゅ、と鳴いた声が、探知機の中で、さっきより一段高く跳ねた。


 ちゅい、ちゅい、ちゅい。


 その次の瞬間、足元の石の床が、低く、長く、鳴った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
言語があるかともかく現実では虫や植物ですらある程度の言葉やフェロモンがありますね。 警戒音(威嚇音)蜂など 警戒音を聞いて味方が集まってくる、もしくは逃げる。 フェロモン(化学物質等)アリ、アブラムシ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。