第48話 境界線のフラグメント
神聖術式監査局特区ドミトリー。
夜の帳が完全に下り――
管理端末の電子音が単調なリズムで響く中、カイトの個室の扉は再び静寂に包まれていた。
セレスティア・ベルが自身の部屋へと戻った後、カイトはベッドの端に腰を下ろし、冷徹な瞳で天井を見上げていた。
(……セレスティアの情報共鳴、か。あれほどの感度があれば、ドミトリー内を巡回する監視ドローンや、壁面に埋め込まれた魔導センサーの微弱な電磁パルスを、物理的に視覚化するよりも早く察知できる)
カイトの頭脳内では、先ほどセレスティアが訪れたことで得られた副次的なデータが、瞬時に高速演算処理されていた。彼女の特異体質は、監査局のシステムにとって予期せぬ「ノイズ発生源」であると同時に、カイトにとっては最高の「早期警戒システム(レーダー)」になり得る。
だが、油断はできない。エリカやゼノンといった局の中枢に座る怪物たちが、この小さな異常にいつ気づくか分からないからだ。
一方その頃、ドミトリーの別の区画では、別の動きが起きていた。
レオン・フォン・ヴァレンタインは、自身の個室のベッドの上で、特製の魔導拘束手袋をじっと見つめていた。日中に感じた、ドミトリーのローカルネットワークのわずかな波形の歪み――カイトが仕掛けたバックドアの余波は、物質崩壊の能力を持つレオンの鋭敏な魔力知覚にもかすかに引っかかっていた。
「……あいつ、いったい何を企んでやがるんだ」
不敵に笑いながらも、その瞳には焦燥の色が混じる。誰にも頼らず、自分の力だけでこの檻を打破すると誓ったはずのレオンにとって、カイトという未知の「バグ」は、無視するにはあまりにも巨大な変数がすぎた。
さらに、そのすぐ下の階層にある医務室のベッドでは、ヴァルター・クロイツが全身の古傷の痛みに眉をひそめながら、天井に映る監視カメラの赤色灯を睨みつけていた。
「……エリカの野郎、今日の回診で変に機嫌がよかったな。新入りのカイトのカルテをしきりに書き換えてやがった……。面白れぇ、あのガキが監査局のシステムをぶっ壊してくれりゃ、俺のこの終わらない実験の日々も終わるって寸法か」
不死の肉体を持つがゆえに何度も肉体を解体されるヴァルターにとっても、カイトの存在は暗闇に差した一筋の奇妙な賭け金となっていた。
それぞれの思惑が、冷徹な管理の網の目を潜り抜けるようにして、夜のドミトリーの中で細い糸のように絡み合い始める。
カイトは静かに目を閉じ、『黒曜神経核』の出力を最低限のセーフモードに絞り込みながら、次なるシステムの深層領域への侵入ルートの構築へと取り掛かった。
――要塞の心臓部へ向けた牙は、確実に、そして静かに研ぎ澄まされていく。




