第45話 特区ドミトリーの観測者たち 〜不死のヴァルターと崩壊のレオン〜
特区ドミトリーの消灯時間が近づく、薄暗い共有スペース。
ヴァルター・クロイツ(八歳)は、医療局での「定期検査」という名の生体実験から戻り、重い足取りでソファに腰を下ろした。表向きは陽気でタフなムードメーカーを演じている彼だが、一人になればその瞳の奥に冷めた諦めと狂気が入り交じる。数分で細胞が修復される「不死のプロトタイプ」の特性を持つとはいえ、痛覚自体はしっかりと感じるため、再生するまでの激痛には毎回耐えなければならないのだ。ヴァルターは、古い手術痕や縫合跡が無数に残る腕をさすりながら、自嘲気味に息を吐いた。
「……またエリカ先生の餌食にされてきたのかよ、ヴァルター」
部屋の隅から声をかけてきたのは、レオン・フォン・ヴァレンタイン(七歳)だった。彼は自身の意思とは無関係に触れたものを分子レベルで粉々に分解してしまう「物質崩壊」の能力を抑え込むため、常に特製の魔導拘束手袋をはめている。暴走を起こしたことで両親によって特区に事実上の捨て駒として預けられたレオンは、常に周囲を警戒し、攻撃的な態度をとることで己の怯えを隠していた。
「おう、レオン。今日の先生も最高にクレイジーだったぜ。どんな痛みが来ようとも、笑い飛ばして生き残るのが俺のポリシーだからな」
ヴァルターは痛みを隠していつものように軽口を叩くが、レオンは鋭い黒銀の瞳で鼻を鳴らした。
「強がるなよ。……それより、新入りを見たか?」
「ああ、こっちの宿舎に移ってきた『カイト』だろ? まだ五歳だってのに、妙に肝が座ってるよな」
二人がこの少年の名前をあらかじめ知っていたのは、特区へ移送された直後にそれぞれの方法で監査局のインフォメーション・グリッドや医療局の端末を覗き見していたからに他ならない。レオンは個室への道すがら触れかけた端末のログで『新規隔離モジュール:カイト・フォン・アデルハルト(五歳)』という文字を目撃し、ヴァルターもまたエリカの執務室のホログラムカルテでその名を確認していたのだった。
レオンは拘束手袋に包まれた両手をぎゅっと握りしめた。感情が昂ると能力の制御が利かなくなる弱点を持つ彼にとって、カイトの異様なほどの「静けさ」は警戒の対象だった。
「ただのガキじゃない。あいつ……俺たちみたいに絶望して泣き叫ぶわけでも、狂気に染まってるわけでもない。どこか冷めた様子だった」
ヴァルターはソファに深く背中を預け、天井の監視カメラを流し目で見つめた。
「……俺も、少し気になってることがあるんだ。あいつが医療局で療養していたこの数日、エリカ先生の端末の挙動が、ほんのわずかだけどおかしかった。ただのバグかもしれないが……」
ヴァルターは声を潜め、カイトの「ハッキングによる裏技」に便乗し、自身の肉体改造のシステムを書き換えられないかと密かに期待している胸の内を吐露した。
「医療局の支配から抜け出して、自分の身体を完全に取り戻せるなら……俺は、あいつの得体の知れない力に賭けてみたい」
レオンは目を見開き、そしてすぐに手袋の先を見つめ直した。いつか能力を完全にコントロールし、外の世界へ戻るという野望を抱くレオンにとっても、現状の打破は悲願である。
「……俺は誰にも頼らない。自分の力で、これ以上大切なものを壊さないようにするだけだ」
そう突き放すように言いながらも、レオンの視線は、カイトが割り当てられた個室の扉へと向けられていた。本音では孤独を嫌う寂しがり屋な彼もまた、カイトという少年にどこか一目置いている自分を自覚していたのだ。
過酷な管理と解析の日々を繰り返す特区ドミトリーの闇の中で、傷だらけの不死身の少年と、破壊の呪いを持った侯爵家の次男は、静かに新入りの動向を見守っていた。




