第92話 再接続のシステムログ
神聖術式監査局の深層ネットワークを食い破り、ついにアーデルハルト領への一時的な干渉ルートを確立させたカイト。
夜の静寂が包むアデルハルト伯爵家の館、その執務室で一人書類に向かっていた父親――アルベルト・フォン・アデルハルトは、突如として空間が歪むような微かな魔力の不連続性に気づき、スチールグレーの瞳を鋭く光らせた。
「……誰だ」
我が家に伝わる「強化魔導」の構えをとろうとしたアルベルトの前に、光学虚像膜を解いて現れたのは、黒髪に漆黒の瞳を宿した小柄な少年だった。
「お久しぶりです、父上」
「……カイト……!? お前、本当にカイトなのか……!?」
五歳で連れ去られてから月日が流れ、少し背の伸びた息子の姿に、歴戦の騎士であるアルベルトの喉が詰まる。彼は力強い足取りで駆け寄り、我が子の肩を強く抱きしめた。その手は、かつて息子を守れなかった無力感と悔恨で震えていた。
その気配を察してドアを開けたのは、母親のエレナだった。
栗色の髪を揺らし、手にしていたハーブティーのカップを落としそうになりながら、彼女は絶句する。
「……カイト……? 私の、カイトなの……!?」
涙を溢れさせながら駆け寄る母の手が、カイトの頬を包み込む。あの日、幼い服だけを残して消えてしまった我が子のぬくもりが、確かにそこにあった。
「母さん。ご心配をおかけしました。俺は――僕は、無事です」
幼い肉体に刻まれた「愛されていた記憶」の熱が胸を突き上げるのを、カイトは冷徹な理性で抑え込みながらも、両親の温かな抱擁を拒むことはしなかった。
エレナは涙を拭いながら、どこか申し訳なさそうに、そして愛おしそうに息子の顔を覗き込んだ。
「カイト……私、ずっと謝りたかったの。あなたが小さかった頃、あなたがどこか遠くを見つめているような気がして……不気味だなんて、違和感があるなんて思ってしまったこと……。あんな恐ろしい組織に連れ去られて、一人で戦わせてしまって……!」
母がかつて抱いていた「我が子への微かな恐れと違和感」。監査局の監視ログでそれを知っていたカイトは、静かに首を振った。
「謝る必要はありません、母さん。あの時の違和感は、僕の『仕様』問題です。……両親であるあなたたちが、僕を愛して育ててくれた事実に変わりはありません」
冷酷で合理的な言葉選びの中に滲む、確かな家族への情。
アルベルトはスチールグレーの瞳に強い信頼の光を宿し、息子の大きな頭に手を置いた。
「カイト。お前がどんな力を持ち、どんな世界と戦っていようと、お前は私の息子だ。……アデルハルトの家はお前の味方だ」
「ありがとうございます、父上。ですが、長居はできません。僕の通信リンクが遮断される前に、監査局の監視システムに欺瞞ログを上書きしなければならない」
カイトは指先に針の先ほどの青い魔力光を放ち、空間の座標データを書き換えていく。
去り際、少年は一度だけ振り返り、両親に向けて小さく口元を緩めた。
『僕の部屋に手紙を置いておきました。後で読んでください。また会いに来ます。……父さんも、母さんも、どうかお達者で』
光の粒となって姿を消した息子の残像を見つめながら、アルベルトとエレナは互いの手を固く握り締め、世界システムに挑む我が子の無事を静かに祈るのだった。




