その後 5.カーテンコール
「ねぇ、湊先輩。大和のこと、好きだったって、本当?」
純喫茶と呼ばれる店内、向かいに座った朱莉が、眉間にシワを寄せて尋ねてくる。
深いワインレッドのセーターにジーンズ姿と、あっさりした出で立ちだが、十分ひと目を惹く容姿だ。湊の友人であり、朱莉の彼氏でもある悠人が心ひかれたのも分かる。
湊は、口にしていたアイスコーヒーに刺さったストローから口を離すと、
「《《だった》》じゃない。終わってない…」
口を引き結び、錫製のコップを年季の入ったテーブルに置く。落ち着いた店内は湊のお気に入りだった。街中にあるのに、一歩入ると煩くない程度のクラシックが流れ、声高に話す客もいない。奥の席に陣取れば、まず目立つことはなかった。
最近、少しずつだが、露出も増えてきた。油断していると、騒がれる事もある。が、こういった店には、騒ぐような人間は少ない。それも、気に入っている理由のひとつだった。
「なんで? 年上だから?」
「違うよ。それだけじゃない…」
「じゃあ、なに?」
「…大和は、いい奴だから…」
ボソリと口にした。朱莉が怪訝な表情になって聞き返してくる。
「いい奴?」
「そうだ。──最初はただの生意気な奴だったけど、あいつ、底抜けに前向きだし、裏表ないし…。一番のきっかけは、辞書が降ってきた時──」
「辞書って、あの時の?」
「そう。あいつ、すぐに反応して、俺のこと庇ったんだ。今思えば頼まれてたからなんだろうけど…。──でも、カッコ良かったんだ。そんな風に全力で守られたことなかったし…」
まるで、ヒロインにでもなった気分。あの時、まさに電撃に打たれたような衝撃が走った。
そんな事を口にする連中もいたが、まさか自分の身に起こるとは、夢にも思わなかった。ベタな状況だと思う。けど。
──カッコ良かったんだ。
それから、自分の中でなにかが動き出して、気がついたら、気持ちを持っていかれていた。
「けど、あいつ。岳って、付き合ってる奴、いるよ?」
「知らなかったんだ…。登山のときから気にはなってたけど。まさかパートナーだとか、思っていなかったし…」
だから、後から存在を知っても、大和を諦め切れなかった。
──俺だって、大和が好きだ。
大和の気持ちを無視するつもりはない。でも、ここまで大きくなった気持ちを、すぐには無いことにできなかった。
「岳って、あの人。普通の奴じゃないよ...」
「なんだよ。普通じゃないって。ヤクザだとでもいうのかよ」
朱莉の祖父はそちらの筋の人間だった。ないこともないだろうが、そうそう、あることじゃない。が、まさかと思った答えが返ってくる。
「──そうだよ…。もと、だけど…。お祖父ちゃんとこの傘下の元組員だって。鷗澤組って言って、今はなくなっちゃったけど、そこの組長やってたって…」
「…それがなんだよ。──脅して、びびると思ってんのかよ」
「湊は知らないから…。ああいうのには、関わらない方がいいよ。…目、つけられたらしつこいよ」
それを聞いて余計に火がついた。
「──俺は、大和をあきらめない」
朱莉に向けてではない。半ば自分自身に対してそう宣言していた。
◇
「湊。せっかくだから、家よってけよ。すぐそこだもん。歩いても行けるし」
冬の浜辺で待ち合わせ、自身の出演する演劇のチケットを渡したとき、濃いブルーのマフラーを、首にぐるぐる巻きにした大和にそう言われた。今どき、電子チケットが主流だが、大和に会う口実にいつも手渡しをしている。
「…家に? 行って大丈夫なのか?」
「もちろん。ここじゃ寒いし、部屋の中の方がゆっくり話せるし。用事ないって言ったろ?」
確かに今日はこの後何もなかった。平日の昼下がり、夕食までにはまだ時間がある。
「今日は送迎つきじゃないだろ? だったら来いよ。な? いつも、ここで会ってサヨナラだし。──ちなみに岳は仕事中だ。安心しろ」
にっと意味深な笑みを浮かべて見せる。ただ、大和の意味深は、天敵としている岳がいなくて安心だろ? と、いう意味あいの笑みであって、二人きりだから、どうのこうのという意味は全くない。
ここまでは、電車とバスで来た。
ちなみに、サーフィンをする時は、年上の友人に車を出してもらうか、原付の横にくくりつけてきている。ただ、ポツポツ仕事が入り出したお陰で、事故が恐いからと、原付での移動はNGとなっていた。
「…そんなに言うなら、行くよ」
「よっしゃ、決まり! 行こう」
ニコニコと満面の笑みの大和とともに、その自宅へと向かった。
◇
初め家の中には、大和以外人の気配がなかった。立派な造りの洋館で、内部の壁は板張りと漆喰だった。床は黒光りするほど磨かれていて、そこをスリッパでペタペタと歩く。中古だったらしいが、下手な新築の家よりよっぽどいい。
リビングへ案内されると、ソファに座るよう促された。勧められるままそこへ座ってひと息つく。大和はキッチンへと向かった。
「今日は皆、出払ってるんだ。そのうち帰って来ると思うけど──って、岳は休みだけど隣の棟で仕事中。さて、湊、なに飲む? コーヒー、紅茶、煎茶にホットミルク…。今日のおすすめは──紅茶だな。知り合いのネパール人からもらったんだ。これが、結構美味しくてさ」
「じゃあ、それで…」
すると、それまで手元に集中していた大和が顔を上げて、
「なんだ、元気ないな?」
尋ねてくる。
「…だって、ここ。俺のテリトリーじゃないし...」
海は俺のテリトリーだ。今、励んでいる演劇の現場も。けれど、ここは──。
「緊張してんのか?」
「緊張じゃないよ。なんか、落ち着かないって、言うか──」
と、そこへ、キッチンへと続くドアを開け入って来たものがいた。
濃紺のセーターにチャコールのスウェットパンツスタイル。岳だ。自宅とあって、リラックスした様子。
こちらに気付き視線を向けてきた。ここは、この男のテリトリーでもある。思わず身構えるが、
「──ああ、連れて来るって言ってたな。──ようこそ、湊」
「…お邪魔してます」
「ゆっくりしていってくれ。──大和、それで昨日、まとめてもらったデータ、どこにある?」
「うん? あれはフォルダに突っ込んで、ドライブの中に──」
大和はキッチンで岳と話し出した。仕事を手伝っているのだろう。岳は湊の存在を確認したものの、それ以上、牽制することもなく、まるで湊などいないように振る舞っていた。
無視している訳ではないらしい。それは、自然な岳の様子からわかった。そこにいるのは、大和の側でリラックスしている岳がいるだけ。
そんな二人を眺めていれば、今度はリビングのドアが開いた。驚いて振り向けば、やたら整った容姿の、同年代か少し上くらいの青年が顔を覗かせた。
「…ああ、確か来るかもって言ってたね。湊くん?」
「ええ、はい…。えっと──」
「亜貴。君の恋敵、岳の弟。──でも、ここには君のライバル、多いよ」
「…多い?」
聞き返したところで、
「亜貴、お帰り! 亜貴も紅茶でいいか?」
気づいた大和が声をかけてくる。
「いいよ。講義長引いてさ。もっと早く帰る予定だったんだけど…」
「今日はバイトないのか?」
「ないよ。──って、言うか。こんな面白そうな状況、放ってバイトなんかしていられないって」
そう言って、こちらを見てニヤリと意味深な笑みを浮かべて見せる。どうやら、湊が大和を好いていると知っているようだ。それに、ライバルとは。
──まさか、この人も?
湊の視線に気づいた亜貴はにこりと笑む。
「面白そうとか言うな。なあ、湊」
いや、大和だって、その渦中の人だ。
「別に──」
気にしてない風を装う。だって、当の大和に始まり、岳も気にした様子はないのだ。自分ひとり、意識して威嚇していても始まらない。
「大和、夕飯前には終わるから。──湊もゆっくりしていってくれ」
「…はい」
岳はごく自然にそう口にして、またキッチンのドアから出ていった。ソファの向かいに座っていた亜貴は、顎に手をあてずっとニヤニヤ笑っていた。
◇
「それで、仕事は順調なのか?」
大和が紅茶を片手に、近況を尋ねてくる。大和は湊の向かい、亜貴の隣に座った。
「うん、まあボチボチ。幾つかオーディションも受けてる。…落ちる方が多いけどさ。今日渡したチケットも、やっと受かったんだ。端役だけどな」
「いやいや。それだってすごいって。これからこれから! 色々大変だろうけど、楽しみだな?」
「まあな。やりたかった事に、ちょっとずつ近づいてるから、大変なのも気にならないし、実際楽しいよ」
「そのうち、遠い存在になっちゃうんだろうなぁ…」
大和がぼやく。そんなやり取りを隣で見ていた亜貴は、
「兄さん的にはそうなった方が嬉しいだろうね。湊くんだって、忙しければそれどころじゃなくなるだろうし」
「遠くなんて、なりません。それに忙しくなったって、忘れない…」
湊は否定するが、
「へぇ。情熱的! いつまで続くかな?」
亜貴は意に介さず、楽しそうにそう口にした。
「こら、亜貴。余計なこと言わない。湊、俺だって大事な友達として、忘れたりはしないぞ?」
「──友達…」
そうだよな。けど、俺は──。
「友達は不満だってさ」
そう言って、亜貴はケタケタと笑う。なんだろう。ずっと、絡まれてる気がする。やっぱりこの人も。
「亜ー貴! もう絡むんじゃない。湊は大事なお客さんだぞ」
「はーい…」
亜貴はしおらしく返事をする。と、そこで玄関のチャイムが鳴った。どうやら宅急便らしい。
「今、行きまーす!」
インターフォンで答えた大和が急いでリビングを出ていく。
テラスの物干しには、洗濯物がはためいていた。青空とのコントラストが目に眩しい。亜貴と二人残されたリビングで、湊は見計らって尋ねる。
「…大和のこと、好きなんですか?」
亜貴は紅茶の入ったカップを、手のひらで包み込む様にしながら、
「そうだよ。この家にはもうひとり、大和を好きな奴がいる。その他にもいっぱい。でも──皆、諦めてる。大和のためを思ってね」
「…俺に諦めろって、言うんですか?」
「さあ。でも、好きな相手の幸せを思えば…自ずと答えは出ると思うけど──選択は人それぞれだからね」
「大和が、好きなんです…。邪魔をするつもりなんてない。──けど、すぐになかったことになんて、できない…」
亜貴は黙って見つめていたが、
「いいんじゃない。それは、それで。…俺だって、好きなのは変わらないもん」
今度は湊が亜貴を見返す。この人も、同じように叶わぬ思いを抱えているのだ。そこへ大和が戻ってきた。
「鴻三さんがリンゴ贈ってきてくれたよ。フジだって。美味しそー! 剥くから食べよ」
段ボール箱を抱えリビングに入ってくる。鴻三。朱莉の祖父だ。彼が大和を巻き込まなければ、きっと会うことはなかった。
大和のいない日常なんて、今は考えられない。
それまで、執着するほど好きになった相手はいなかった。お互い距離を取って、会いたい時だけ会う。プライベートには、立ち入らない。そういう付き合い方をしてきた。
けど、大和のことはもっと知りたいし、自分のことも知って欲しい。長く付き合いたいのだ。
「湊、ほら、食べよ」
気がつけば、剥かれたリンゴが、皿に山のように盛られている。その向こうに、大和の零れんばかりの笑顔があった。
──やっぱり、好きだ。
そう思った。
◇
結局、夕食までご馳走になって、帰宅の途に就いた。とは言っても、住んでいるマンション──高校卒業と同時に、所属していた事務所が用意してくれた──前まで、大和が車で送ってくれた。
岳はついてくるかと思ったが、玄関先までだった。帰り際、真琴と呼ばれる、これまたイケメンの男が現れた。もうひとりの住人と言うことだった。
物腰は柔らかだったが、湊へ向けられた視線は、厳しいものがあった。きっと、さっき亜貴が言った、もう一人、なのかも知れない。
「大和、今日はありがとう。コロッケ、美味しかった…」
大和が、久しぶりに人が多いからと、大量にコロッケを揚げたのだ。生クリームが隠し味のコロッケは、今まで食べたコロッケの中で、一番、美味しかった。
「良かった! ほら、ここに持ってきたから食べてくれ。早めにな?」
受け取った紙袋は、ずしりとしていて温かい。
「分かった。…ありがとう。──大和」
「なんだ?」
「俺……」
──やっぱり、好きだ。諦めない。
そう、口にしようとしたが、止めた。代わりに不敵な笑みを浮かべて。
「…俳優の仕事、頑張るよ。大和の目が、離せなくなるくらい。絶対、有名になる!」
すると、大和もにっと口の端を吊り上げて、親指を突き出すと。
「オッケー。楽しみにしてる。ずっと追うからな?」
「任せとけ。──じゃあな」
渡されたコロッケを抱え、車を降りると、去っていく大和の車のテールランプを、見えなくなるまで見送った。
コロッケの温もりが、そのまま大和の存在と重なった。
下りた幕が再び開く。
皆の視線が自分に向けられているのだろう。けれど、俺にはたった一人の視線だけがあればいい。
前列、中央よりの席。彼はいつも目を輝かせ、こちらを見つめている。
──今だけは。俺の大和だ。
微笑みを返す。
最高の演技を、彼の為に。
この先も、ずっと。
-了-




