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魔王軍の運用保守プロジェクト ~勇者(バグ)の過負荷攻撃から世界(システム)を守る辺境の中間管理職~  作者: AItak
世界(システム)は今日も限界稼働中

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第4話 ドラゴンのSLAは守れない


 世界終了まで、あと87日と22時間。

 第七ダンジョン管理室モニタールームの机には、もはや木目の一片すら見えないほどの書類と魔法陣のスクロールが山積みになっていた。


 ガルム・フォン・アッシュの意識は、すでに物質界の半分ほどのところにしか存在していない。彼の肉体は「書類の山に埋もれた死体」のように椅子に縛り付けられているが、その右手だけがまるで独立した自律生命体のように高速でペンを走らせている。

 目玉の奥が、熱した鉄剣を突き立てられたように熱い。瞬きをするたびに、まぶたの裏側の毛細血管がプツ、プツ、と微小な破裂音を立てている錯覚を覚える。口の中はひどく苦い。さきほどから噛み締め続けている奥歯のせいで、エナメル質が削れて神経がむき出しになりかけている感覚すらあった。


 書いているのは、四天王第二席である『鋼鉄のレイナ』から要求された「勇者のリソース消費動向のクロス集計と相関分析報告書(詳細版)」である。

 ただの稼働報告ではない。勇者の行動パターン、経験値の吸収カーブ、それに伴う周辺マナプールの変動係数を三次元関数でモデリングし、今後の被害予測を可視化するという、どう考えても一介のダンジョン防衛PL(現場の人間)が一人で片手間にやるべき仕事ではなかった。


 だが、ガルムのタイピング……いや、ペン先から放たれるエクセル魔法陣の構築速度は、かつてないほど安定していた。

 なぜなら、彼には今、「確約された24時間」があったからだ。


 ……よし。このペースなら、明朝の提出期限には十分間に合う。

 ガルムの右目の端が、安堵に似た、ごくわずかな痙攣を起こす。


 昨日の四天王会議の後、ガルムは第二次防衛案の目玉として、第二層の最後尾に『中位ドラゴン(ワイバーン種)』を配置した。

 もちろん、ダンジョンの直轄予算で買えるような代物ではない。魔王軍第二師団(調達部)から、今月の第七ダンジョン予算の15パーセントを叩いて「リース」してきたパッケージ商品である。


 リースにあたり、調達部の担当官はこう豪語していた。

 ご安心ください、ガルムPL。この中位ドラゴンA型パッケージは、Lv10〜15帯の人間族パーティーに対して、最低24時間の進行遅延をお約束します。SLA(サービス品質保証)は完璧です。さらに、撃破時の経験値排出も48フェーズに分割して処理されるよう最適化されています。一括解放によるシステムへの高負荷ラグも防げる、まさに現代のエコな竜です。


 現代のエコな竜。その言葉にガルムは少しばかり鼻白んだが、背に腹は代えられない。

 結果として、中位ドラゴンは予定通りに勇者パーティとエンカウントした。

 そこから逆算して、ガルムには「絶対に邪魔されない24時間」が与えられたはずだった。


 ガルムはペンを置き、凝り固まった首を回すべく、あごを上へ向けようとした。


 その、瞬間だった。


 ピーーーーーーーーーッ!!!


 モニタールームの全方位スピーカーから、鼓膜を物理的に引き裂くような高音のシステムアラートが鳴り響いた。

 ガルムの首の動きが、ぴたりと止まる。

 時間が凍りついた。いや、ガルムの脳内に流れ込むアドレナリンが、空間の認識速度を極限まで引き上げたのだ。空中に浮かぶホコリの粒子一つ一つが、明確な輪郭を持って静止している。自分の心臓が、血を送り出すのを忘れて不自然に収縮したまま「硬直」しているのがわかる。


 ガルムの視線が、ゆっくりと――体感時間にして30秒、現実の時間ではコンマ1秒の速さで――メインモニターへと向かう。

 そこに大写しになったのは、たった一行のログだった。


 中位ドラゴン・リースパッケージA型、ロスト。勇者パーティによる第二層突破を確認


 「は?」

 声が、枯れ葉を踏むような音で喉からこぼれ落ちた。


 ガルムの視界の色が、スッと抜け落ちていく。白黒のモノクロームに反転した世界の中で、モニターのアラート表示だけが、彼の網膜を暴力的に焼き付けてきた。

 ロスト? 突破?

 ガルムは横目にあるタイムスタンプを確認した。

 中位ドラゴンが勇者とエンカウントした時刻:14時35分。

 ロストを記録した時刻:14時38分。


 「……3分」

 24時間のSLAが、3分で崩壊した。

 ガルムの脳の奥底で、何かがパツン、と音を立てて弾け飛んだ。殺意だ。だがその殺意が「調達部の無能な営業担当」に向かっているのか、それとも「理不尽の化身たる勇者バグ」に向かっているのか、ガルム自身にもわからなかった。


 どういうことだ。いくら勇者がバグだとしても、火力計算上、3分で防御力8万のドラゴンを落とせるはずがない。ダメージキャップが働くはずだ。

 ガルムは震えの止まらない指でキーボードを叩き、戦闘の裏側で記録されていた詳細なシステムログと、その録画リプレイデータをスロー再生で呼び出した。


 画面の中で、金髪の勇者(HERO-009)が、中位ドラゴンの足元に立っていた。

 中位ドラゴンが、大きく息を吸い込み、必殺の火炎放射モーションに入る。

 その瞬間だった。

 勇者が、ドラゴンの首の付け根に向かって、不自然な角度でジャンプした。


 バグだった。

 ドラゴンの火炎放射モーションが切り替わる直前の「1フレーム(約0.016秒)」だけ、首の付け根の当たり判定コリジョンが消失する。それは、通常の人間には絶対に検知不可能な、システム上のマイナーな欠陥だった。

 勇者はその1フレームの隙間に自らの肉体をねじり込み、システムの壁とドラゴンのポリゴン(肉体)の隙間に物理的に「挟まった」のだ。


 そこからの光景は、戦いというより、ただの蹂躙、あるいは冒涜だった。

 挟まって完全に硬直したドラゴンに対し、勇者は信じられない速度で剣を振り始めた。いや、「剣を振るモーション」すらキャンセルしている。当たり判定が毎秒60回の速度で連続発生し、ダメージ値のポップアップが滝のように重なって表示され、最後には真っ白な光の帯となって画面を埋め尽くした。


 「……多段ヒットの無限ループ……グリッチ(裏技)か……!!」

 ガルムは血を吐くようなうめき声を漏らした。

 勇者という存在は、ただ強いだけではない。物語の整合性ナラティブすら無視して、システムへの暴力的な干渉を本能的にやってのける。これが「バク」と呼ばれる所以だった。


 直後、足元の床が、ドォン!と跳ね上がった。


 「ひゃあっ!?」

 部屋の隅でお茶を沸かしていたゴブ太が、悲鳴を上げて机の下に潜り込んだ。

 「P、PLさん! 地震ですか!? ダンジョンって地震あるんですか!?」


 揺れは一向に収まらない。天井からパラパラと石の粉が降ってくる。部屋全体が、目に見えない巨大な手でシェイクされているような激しい振動だ。


 「地震じゃない」

 ガルムは机にしがみつきながら、顔面を土気色にして叫んだ。

 彼の脳内ビジョンでは、この石造りの部屋が、発煙しながら警告音を鳴らす巨大なサーバーラックに置き換わっていた。


 「経験値の排出処理が……詰まっているんだ!」

 『48フェーズに分割して処理されるよう最適化されています』という調達部の言葉が、ガルムの脳内で皮肉な残響となって響く。

 通常のアニメーションを経てドラゴンが死ねば、確かにそう処理されただろう。だが、勇者は「処理のキャンセル」と「無限ループによるオーバーキル」を同時に叩き込んだ。結果として、ドラゴンの莫大な経験値リソースが、分割されることなく一回のフレームでドバッとシステムに解放されてしまったのだ。

 この物理的な揺れは、ダンジョンというモジュールが、過剰な負荷に耐えきれずに悲鳴を上げている「サーバーのラグ」の表現そのものだった。


 「……このままじゃ、第二層から第三層にかけての処理系がクラッシュしてマップが消失する!」

 ガルムの右眼球に浮き出た毛細血管が、ついに限界を超えてミシリと赤い線を広げた。


 彼の中にあった、中間管理職としての諦観や疲労感。それらがすべて、極限の生存本能へと強制的に上書きされた。

 やるしかない。


 ガルムは両手を掲げ、空中に12枚の仮想エクセル魔法陣を同時展開した。

 「マニュアルルーティング(手動バケツリレー)を実行するッ!」

 彼の十指が、残像を残すほどの速度で空間を叩き始めた。タタタタタタタタッ!という狂気のタイピング音が、地震の轟音に負けじと響き渡る。


 滞留している膨大な経験値を、一つ一つの魔法陣配列に手作業で切り分け、ダンジョン内の「使われていない空き部屋ダミーのモンスタースポナー」へと強制的に経路変更ルーティングしていく作業だ。少しでも計算を間違えれば、マナの流れが逆流し、ガルム自身の脳味噌が焼き切れる。

 だが、彼は止まらなかった。思考のタガを外し、肉体の限界を無視した。指先が摩擦で焼け焦げるような匂いがする。オゾンのような強い魔力の残り香と、自分が噛み切った唇から流れる血の鉄の味が、鼻腔と口腔で混ざり合う。


 吸い込め……空き部屋に流し込め! 第三層の倉庫、第五層の毒沼エリア、第八層の予備通路……空いている変数空間は全部使えッ!!


 ガルムの視界に、走馬灯がよぎる。

 それは魔王城の中庭で見た、美しい青空の記憶。学生時代の同期と、いつか最前線で立派な魔族として生きようと語り合った青臭い思い出だ。なぜ今、そんな光景が浮かぶのか。現実逃避だ。脳がこの負荷に耐えきれず、優しい夢の中に逃げ出そうとしているのだ。


 「舐めるなッ!!」


 ガルムは吠えた。夢を、過去を、自らの意志でへし折った。

 最後の一撃。エンターキーに相当する術式のノードを、右の拳で全力で叩き潰した。


 ズン……。


 という重い音と共に、ダンジョンの揺れが嘘のようにピタリと収まった。

 空中に展開されていた12枚の仮想スクリーンが、チリとなって消え去る。


 「……」

 ガルムは、糸の切れた操り人形のように、椅子の上でだらりと身を崩した。

 呼吸が荒い。滝のような汗が額を伝い、スーツの襟を通り抜けていくのがわかる。


 「P、PLさん……! 揺れ、収まりましたね……!」

 机の下から這い出してきたゴブ太が、涙目でガルムを見上げた。

 「PLさんのおかげですか!? 魔法陣、すっごい速くてかっこよかったです!!」


 ゴブ太の純粋な称賛の言葉を聞いても、ガルムの心には一片の喜びも湧かなかった。

 なぜなら、彼の目はメインモニターの隅に表示されている残酷な現実を捉えていたからだ。


 中位ドラゴンが3分で消し飛んだ。

 それはつまり、「24時間分のスケジュール的余裕」が消滅したことを意味する。

 そして勇者は今、第二層をノーダメージで突破し、そのままの勢いで第三層へと足を運ぼうとしている。


 第三層の防衛ラインは、まだ組まれていない。

 組むはずだった24時間は、たった今、勇者のジャンプ攻撃の連続によって完全に破棄されたのだから。


 「……ゴブ太」

 ガルムの声は、枯れ果てた井戸の底から響くようにかすれていた。


 「はいっ!」


 「……コーヒーを頼む。泥のように濃いやつだ」

 「お任せください! とびきり苦いやつ淹れてきますね!」

 「いや……あと書類だ。机の上の、レイナ様に提出する報告書。これに、今のログデータを全部添付しろ。……『これが原因です』って、付箋貼っとけ」


 ゴブ太がパタパタと走り去る音を背中で聞きながら、ガルムは再び重い腕を持ち上げ、新たなエクセル魔法陣を起動した。

 休む間などない。残業という概念すら、もはやこの男の中では消失しつつあった。


 モニターの片隅。

 世界終了のカウントダウンが、静かに、だが確実に時を削り取っている。


 世界終了まで:87日と21時間。


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