56:媒介石
「あの、ちょっとだけ図書室に寄ってもいい?」
放課後、寮部屋までの帰り道、今日の送迎担当だったルシアンくんにおずおずと切り出した。
ユーリが残した黒い小さな粒。その正体を探るために、何から調べていいかすら分からなかった私は、とりあえず世界中の知識が集まっているであろう図書室を目的地に設定した。
突然の申し出にもかかわらず、ルシアンくんは爽やかな笑顔で頷いてくれる。勝手知ったる様子で、今まで一度も足を踏み入れたことのなかった図書室まで案内してくれた。
(広い……)
図書室は驚くべきことに三階分をぶち抜いた作りをしていた。高い天井にはステンドグラスの装飾が施されており、張り詰めた空気も相まって、神聖な場所だと錯覚してしまいそうだった。
「何を調べたいんだ?」
「えっと……守護石について知りたくて」
アバドが残した謎の黒い粒について調べたいんです、なんて馬鹿正直に答えることはできないので、当たり障りのない回答と共に誤魔化すように微笑めば、ルシアンくんはそれ以上追及してくることはなかった。なるほど、と頷いて、私が望んだ情報が書かれていそうな本を一緒に探してくれる。
ルシアンくんの無理やり踏み込んでこないところがとてもありがたかった。出会ったときからそうだ。明るい笑顔で人の懐に入り込むけれど、相手が触れて欲しくないことに関して敏感に察知し、超えてはいけないラインを常に意識してくれている。
心身ともにイケメンなルシアンくんにつくづく感心すると同時に、彼の優しさに甘えている自分が情けなくて、申し訳なくて、今度しっかりお礼しようと心に決めた。
「ほら、これとか分かりやすいんじゃないか?」
本の背表紙と睨めっこしていた私に、ルシアンくんが数冊ピックアップして渡してくれる。知識のない私はおとなしく彼が選んでくれた本を読んだ方がいいと判断し、近くにあった椅子に腰かけて表紙を開いた。
一冊目は“魔石”について書かれた分厚い文献だった。魔石――守護石など魔力が何らかの形で作用できる石のことをそう呼ぶようだ。
(そこらへんの石でも魔石になるんだ……)
この世界にあるすべてのものに魔力が宿っている。そのため、道端に転がっているただの小石でも多少手を加えれば魔石になるらしい。ただやはり魔石に適した石はあるようで、純度の高い宝石が当てはまるようだ。
その記述を見て、私は思わず自分の胸元を見やる。叔母様から頂いた守護石は透き通った青色をしていたのを思い出したのだ。もしかすると高価な宝石だったりするのでは――そう思いながら胸元から取り出した守護石を見て、異変に気が付いた。
「ひ、ひびが……!」
守護石には大きなひびが入ってしまっていた。いったいいつこんなに大きな傷が、と血の気が引いていくのを感じつつ、首から下げていた守護石を外し、両手でそっと包み込むように持つ。
きっと、いいや絶対、アバド――ユーリと対峙したときに割れてしまったのだろう。強い光を発して私を守ってくれたことを思い出して、そっと表面を撫でた。
「おぉ、使い切ったなぁ、マリア」
横に座っていたルシアンくんが感心したように呟く。
――使い切ったって、何を? 守護石を?
彼が発した言葉の意味がいまいちよく分からず、私は首を傾げる。するとルシアンくんの長い指が文献のページを捲った。そして目当ての記述を見つけたのか、ある一文を指さす。
「守護石は込められていた魔力が尽きると、割れて役目を終えるんだ。ただ大事なときに魔力がないってなると困るから早めに取り換えることがほとんどで、割れるまで使い込む人はなかなかいない」
ルシアンくんの説明と概ね同じことが文献にも書かれていた。該当ページは早めの交換を呼びかける文章で締められている。
私は守護石の表面のひびを撫でながら、使い切った後の守護石がどうなるのか記述はないか紙の上に踊る文字を辿っていった。例えば黒く石炭のようになる、なんて書かれていたらユーリの体から出てきたものは守護石だったのでは、と仮説を立てられるのだが――使えない守護石に関しては、早めに処分しましょうという注意書きしか見つけることはできなかった。
こうなったらもう、ルシアンくんに聞くのが一番早いだろう。
「ね、ねぇ、この守護石って劣化しちゃったりする? 思い出のものだから、何らかの形で残しておきたいんだけど……」
叔母様の守護石を手元に残しておきたいのは本音だった。大きくひび割れてしまっているが石自体は美しく透き通ったままだし、加工してアクセサリーにしてもよさそうだ。――もちろん劣化したとしても、捨てることは絶対にしないけれど。
ルシアンくんは私の手元の守護石を一瞥してから小さく首を振る。
「劣化か……そういった話は聞いたことないなぁ。アクセサリーショップに持ち込めば加工してくれるんじゃないか?」
綺麗だもんな、と励ますようにルシアンくんは声をかけてくれる。ひび割れた守護石を見つめる私の顔がよっぽど青ざめていたのかもしれない。
守護石は劣化しない。だとしたらユーリの体から出てきた石は守護石ではない? でも、アバドになってしまったユーリの体には大きな負担がかかっていただろうし――なんせ骨すら残らず砂になってしまったのだ――本来であれば劣化しない守護石であっても、石炭のようになってしまうかもしれない。
あぁ、例外まで考えだしたら一生答えに辿り着けない。でもアバドなんて例外中の例外なのだ。あらゆる可能性を考えなくてはいけないのは明白で、でも、しかし、ううん、どう考えても知識が足りなすぎる――
「あ、あの、さ、ルシアンくん。劣化するような魔石ってある?」
情けない! ろくに調べず結局は他人頼み! ルシアンくんの優しさに甘えて! 軟弱者! ――なんて思いつく限りの罵倒の言葉を心の中で自分に浴びせつつ、私は結局ルシアンくんの知識を頼ることにした。自分の人生がかかっているのだ。誰になんと言われようとなんと思われようと、とにかく持てる手札を全て切るしかない。
私の問いかけにルシアンくんはううん、と考え込む。どうしてそんなことを聞きたいんだ、などと問い返してこないことがとてもありがたく、ルシアンくんがそういう人物だと分かった上で彼を選んだ自分の卑しさに吐き気がした。
「劣化っていうと、割れるとは別?」
「う、うん。例えば……黒く濁っちゃうとか、崩れちゃうとか、そういう感じの……」
机の上に置かれた本の中から一冊を取り出し、パラパラとページを捲っていくルシアンくん。その本には魔石の種類が細かくまとめられているようで、目次の欄を見ながら考えてくれているようだった。
「そこまで劣化するってことは、魔石が耐えきれないほどの魔力が長い時間注ぎ込まれたってことだろうから……」
ぶつぶつと呟きながら、本に落とされたルシアンくんの目が忙しなく動く。
「守護石とか溜石みたいに、石自体に魔力を留まらせる石はそこまで劣化しないと思う。当然の話だけど、石が耐えきれないほどの魔力は込められないから」
ぴたり、とルシアンくんの目が止まった。かと思うと今までよりもゆっくりとした動きで文字を辿っていく。“可能性がある”魔石の欄に到達したのかもしれない。
「魔石を通して多少魔法を増強させる強化石とか、中間地点として置いて魔法を遠くまで届かせるための途次石とか……」
再びルシアンくんの目の動きが止まる。かと思うと釣り目がちな綺麗な緑の瞳がこちらを向いた。
「あとは」。ルシアンくんが私を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。
「魔石を通して魔法自体を離れた場所に送る、媒介石とか」
媒介石――。
鼓膜を揺らした単語に、私は制服の上から自分の胸元を握りしめていた。




