第九十六話 対峙
シルヴァーナ魔法学院に騎士団王都本部から文書が届いたとき、私は開く前からその中身について見当がついていた。
私の義弟は西方領に派遣されたあと、まだ手紙の一つも送ってきていないが、彼の助手として随伴したレスリーが一度手紙を送ってきていた。
かの剣姫将軍も、そしてその部下である騎士たちも、グラスのことを騎士団の一員として認めようとしているという。レスリーは希望的観測を誇張したりはしないし、私の弟のことだから、自分なりに居場所を確立しているのだろうと楽観していた。
姉馬鹿と言われれば否定はできない。しかし私は、初めから分かっていた。
『この国』において植物の精霊と契約することが、どんな可能性を示唆するか。ヘンドリック教頭ですら、考えることさえしなかった。
元素精霊以外の精霊と契約した魔法士は無価値であるという思考停止は、いつから始まったものか。シルヴァーナ魔法学院が、軍属魔法士の育成を主目的として作られた時から――グラスにとっては初めからそうだった。
それ以前の記録を、この国の魔法士が閲覧することは禁じられている。第十七階梯の宮廷魔法士となった私でも、王宮の封印書庫に立ち入ることは許されていない。
(しかし魔法士に関わる歴史ではなく、違う側面から見ることで見えてくる……西方領に何があったのか。それがレーゼンネイア王家にとって、心臓に等しいほどの価値を持っていたことも)
初めからグラスに全てを語って送り出すことはできた。しかしそうすれば、彼が西方領の秘密を知っているという事実が、その振る舞いを不自然にしていたかもしれない。
できるならアイルローズ騎士団の中核人物と共に、事実にたどり着いてもらいたかった。廃棄庭園と、捨てられた神霊――グラスが資格を有しているなら、きっとそこに呼ばれる。だが、私もその先のことには確信が持てなかった。
その揺らぎを、カサンドラ第二王妃に突かれた。いや、私は彼女自身だけで、私を西方領に派遣するという判断ができたとは思っていない。
それでもこうして乞われるままに馬に乗り、重くのしかかるような曇天の下で、老練たる武人の表情のない横顔を見せられている。
「……ロートガルト将軍。良いのですか?」
「アスティナ殿下は王国騎士団屈指の将であり、アイルローズ要塞をよく守備してきた。国王陛下もそのことを喜んでおられるが、同時に憂いておられる。常に先陣を切るような戦の仕方をする姫に、これ以上指揮を取って頂くわけにはいかぬ」
短い問いかけに、十分以上の答えが返ってくる。それはロートガルト将軍の、アスティナ殿下への忠心からくる罪悪感を示してもいた。
「将軍として前線を退いた老骨が、国境の防衛に当たるなど頼りないとお思いか」
「……そのような皮肉なおっしゃりようは、将軍には似つかわしくありません」
第十七階梯の宮廷魔法士と王国騎士団将軍では、総勢で八名しかいない将軍の方が軍における地位は上となる。そうでなくても、私より一回り以上も年上の相手に対して言葉が過ぎるとは思ったが、あえて遠慮のない言葉が口をついて出た。
――私がどんな思いでここにいるかなど百も承知で、その上でこの老将は私に命じたのだ。
アスティナ殿下たちの動きに不穏なところがあれば、魔法の力で対抗せよと。それを殿下に伝えた使者が、不敬にあたる強い言葉に置き換えているだろうことは、容易に想像がつく。
「女性だけの騎士団という特例もこれまでか。まったく、女に国境を任せるなど、どのような判断で今日まで続いていたのか不可思議なものだ」
「王女の側近に貴族の女がいるので、多少は発言力があったということでしょうな」
「シュミット、バニアス。アイルローズ騎士団は最前線を防衛してきた。中央から来た我らこそ、実戦経験においては及ばぬと思うべきだろう。侮っては足元を掬われるぞ」
ロートガルト将軍が部下を諌める――彼らは百人長で、アスティナ殿下の右腕と言われるラクエル殿は千人長の位にある。それでも女というだけで下に見ようとする風潮は、どこの戦場でも変わらなかった。
彼らがアイルローズ要塞に入れば、部下となる騎士や兵士たちをどのように扱うかは想像がつく。現状で唯一の男性であるグラスに対しても、順当な待遇を与えるかどうかは怪しいものだった。まず彼らが要塞に入って行うことは、自分たちが指揮権を掌握し、上に立つことを示すことだろうからだ。そのためには、現時点で要塞の要職についている者は規律を理由に役職を免じられるか、行動の制約が厳しいものになる。
そう分かっていて、今は事の成り行きを静観するしかないことに歯痒さはある。これはアスティナ殿下にとっても、私にとっても――そして弟にとっても、必ず通らなければならない試練のようなものだ。
「分かっておられますな、ミレニア・ウィード殿。『翡翠の魔女』が我が国に誓った忠誠を、カサンドラ殿下も心から信頼しておいでです。その信頼を裏切るようなことは、ゆめゆめなさいますな」
この男――ヴァイセックが、西方領で暗躍していたことは分かっている。私がここに連れてこられたのも、この男が組んだ段取りによるものだ。
グラスを送り込んだことで、弱みを握られているという感覚はなかった。しかし私の元に届いた軍本部からの文書に『招集に応じれば弟君の審問を免除する』という条項がついていたのは、私にとってグラスが急所であると認識されているからに他ならない。
私のことを甘く見る分には目にものを見せてやれるが、彼らは私の弟までも侮っている。そのことをまともに考えれば、我が精霊『テンペスト』に感情に任せた頼みをしてしまいかねない。
「……知れた二つ名とはいえ、『魔女』と言われることを喜ぶ趣味はありません」
「っ……こ、これは失礼を……しかし悪い意味ではありません、貴女の美貌には魔性というか、そういうものがありますからな」
私が元軍属の宮廷魔法士である以上に、女として見ているからこそ出てきた軽口。軍に属する女性たちが、一様に男を信用しない理由がそこにある――中には尊敬できる武人もいるのだが、私が見てきた中ではそれに値しない輩ばかりだ。
このヴァイセックはカサンドラ王妃の親類にあたる子爵家の人間で、前線を避けながら輸送隊長などを経て上手く騎士団本部で成り上がった人物だった。それくらいの背景は私でも容易に把握できるし、ヴァイセックが今回の『功績』をもって領地を与えられる予定となっていることも分かっている。
――問題は、それは功績でも何でもなく、ただアスティナ殿下を貶めようとしているだけではないのかということだ。
「この一件が終わりましたら、また王都の夜会などでお目にかかりたいものです」
「あいにくですが、当面そのような場に出るつもりはありませんので」
「貴女は魔法学院の長であると同時に、貴族でもあるのですから。皆様、待っておられると思いますよ……私も含めてね」
怒りなどとうに通り越していて、心がからからに乾いていた。
私のこのような気性が、風の精霊と相性が良かったのだろうと思う。こんなときに浮かぶ心象風景は、砂漠――そして、吹き荒れる竜巻。
この騎士たちは私たちと戦場で共に戦ったことがない。私のことを淑女に類すると勘違いしているようだが、その思い込みをすぐにでも破壊してやりたい気分になってきている。
命令に逆らえば、軍本部が大軍を西方領に送り込む理由を作る。北方、東方の戦況を考えれば妥当ではない判断だが、カサンドラ王妃はアスティナ殿下を手段を選ばず排除しようとしているのだから、好機と見れば逃しはしないだろう。
「殿下はこちらに赴き、対話に応じてくださるようだ……皆、非礼のないように」
白馬に乗った騎士が、二人の従騎士を従えてこちらに近づいてくる。金色の長い髪を編み、白銀の鎧に身を包んだ剣姫――アスティナ殿下の姿を見て、軽口を叩いていた騎士たちも息を飲んで固まった。
騎兵が道を開ける中で、ヴァイセックはロートガルト将軍の副官のような位置に入り込む。私は後方から、殿下とロートガルト将軍の対話を見守ることにした。
「お久しぶりでございます、アスティナ殿下。このような形でお会いすること、非礼を何卒お許しください」
「面を上げてください、ロートガルト将軍。非礼ということはありません」
白い髭をたくわえた、老境にさしかかったといえる武人は、殿下に馬上で頭を垂れる。殿下にたしなめられても、彼は頭を上げようとしない。
私はその姿を見て、ロートガルト将軍の忠義がどこにあるのかを感じ取ることができた。この命令に、彼もまた納得していない――陛下とアムネリア王妃殿下に対する忠義は、そのご息女であるアスティナ殿下にも向けられている。
ロートガルト将軍がようやく頭を上げたあと、彼よりも先に発言したのは、こともあろうにヴァイセックだった。
「残念です、アスティナ殿下。先日の勅を無視し、ジルコニアに攻め入られるなどと……」
「この西方領を守るため、必要と判断しました。中央からの補給も少なく、防戦一方では今よりも被害が大きくなっていたでしょう」
「それでも堪えねばならないのです。それが一軍をあずかる将というもの。例えアスティナ殿下であっても……」
「ヴァイセック殿、今は私と殿下が話をしている。貴公には立ち会いの役目を頼んだが、発言の権限は与えられておらぬはず」
「ぐっ……し、しかし。此度は私の報告があってこそ……」
口の上手さで騎士団を渡ってきた男は、ここぞとばかりに弁舌を弄し、対話における主導権を手に入れようとする。しかし好きなようにさせるほど、ロートガルト将軍も柔弱ではなかった。
「……アスティナ殿下……いえ、アスティナ将軍。国王陛下の命に従わなかったことが事実であるなら、私がアイルローズ要塞の将となり、殿下には王都に帰還していただき、今後の沙汰を待っていただくことになります」
遠い空に雷鳴が轟く。黒い雲は厚みを増し、今にも雨が降り始めようとしている。
――その曇天をものともせず、殿下は微笑む。三百の騎兵を前にしても恐れることはなく、あくまで穏やかな空気をまとったままで彼女は答えた。
「その命令に従うことはできません。私の務めは、この西方領の民を守ること。西方領を守り、領民の心を安らかにし、暮らしを豊かにすることです」
「なっ……お話にならぬ、陛下の命に反したこと、それが何を意味するかお分かりでないというのなら、その言葉自体が重大な反逆ではないか!」
「……では、聞きますが。私が陛下に直接拝謁を申し込んだとしても、何も問題はないと言い切れますか? ヴァイセック殿」
「っ……そ、それは……」
まさに心臓を射抜くような鋭い言葉だった。剣姫ではなく、『剣鬼』――そう呼ばれることさえあった彼女は、甘んじて奸計に嵌ってなどいない。
「だ、第三王女である貴方様が、陛下に何か進言なさるなど……そ、それは、王家の序列に反する行為で……っ」
第二王妃が許さない、と口を滑らせなかったのは、ヴァイセックの胆力に感心するところではあった。しかしヴァイセックは、自分がアスティナ殿下に対して不敬を働いていることを気にするほどの余裕がない。
ロートガルト将軍の表情を見れば、ヴァイセックに味方することが騎士の誇りを傷つけていることは想像に難くなかった。悲しいかな、将軍の部下たちは、ヴァイセックの意見に賛同している者が少なからずいるようだったが。
「アイルローズ要塞は、国王陛下に報告するべき戦果を挙げています。それを、この足で王都に向かい、陛下に報告するべきとも考えていますが……それより先に、あなたがたを要塞に招き入れるべきでしょうか? 兵たちにはいたずらに体制を変えることなく、今まで通りの任務を続けてもらいたいのですが」
余計な仕事を増やすな、と殿下は言っている――その物言いが痛快で、私は思わず笑みをこぼしそうになる。
以前に会った時はもう少し髪を短くされている頃だったが、その頃と眼光の鋭さは変わっていない。あどけなさが抜けた分だけ、威風は増していると感じた。
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