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第九十五話 姉と弟

 アイルローズ要塞から出てしばらく進むうちに、空は薄曇りに変わり、遠くから雷鳴が聞こえる。雨が来てもおかしくはなさそうな天気だ――しかし、それを理由に足を止めるわけにもいかない。


 俺はプレシャさんの馬の後ろに乗っている。騎乗の練習をしておけばと思いはするが、それは軍医に求められる必須の技能ではないと思われていた――移動が連続する状況になって思うが、騎士団に随伴するならやはり騎乗技術は必須だ。


「殿下、ロートガルト将軍の率いる兵数を考えると、私たちの人数では……」


 ディーテさんは殿下の馬に並んで進みながら話しかける。アスティナ殿下はディーテさんを見やると、特に心配はないというように首を振った。


「私たちが多くの兵を率いて出迎えるというのは、敵対を意味します。危険ではありますが、あなたたちと近衛騎士四名、騎士十六名……この人数が限度でしょう」

「あたしたちが少人数だと見たら、向こうは強く出てくる。もし交渉の余地もなく、強行突破されるようなことがあったら……」

「ロートガルト将軍は、騎士団においては叩き上げで、貴族出身の将軍とは距離を置いている関係にあります。それが現状では戦況芳しくないとされている西方領に派遣されるのですから、本人は納得していない部分もあるでしょう」

「兵站の改善、輜重兵の増員などを約束されてはいるのでしょうが……左遷のつもりでロートガルト将軍に今回の役目を押し付けた者がいることに、変わりありませんわね」


 アスティナ殿下もディーテさんも、中央の騎士団本営について、ある程度の情報は得られていたようだ――俺は名前を聞いただけではどんな人物か分からなかったが、状況の一端は飲み込めた。


「まずは相手の出方を見ましょう。ポルトロの町付近を過ぎたあたりで姿が見えるはずです。早いうちに旗を上げておいてください」

『はっ!』


 近衛騎士四名が一分の乱れもなく揃って返事をする――耳を覆う兜を被り、馬上にありながら殿下の声が全て聞こえているのは、殿下の無意識下で魔力を介した働きかけが行われているからだ。


 そして神樹の巫女となった彼女には、神樹の影響力が及ぶ西方領一帯の情報が入り込んできている。それでも情報に押し流されることなく自我を保ち、膨大な情報を御して、彼女は次の局面を考えている。


「何も心配することはありません。私たちがこれまで西方領でしてきたこと……そしてグラスが積み重ねてきたことが、必ず実を結びます」


 俺が積み重ねてきたこと――アイルローズ要塞に来てからまだ短い間に、どれだけのことができただろう。


 俺よりも、殿下の方がそれを見てくれていた。初めはカサンドラ王妃の手配で配属の決まった俺を信頼できるのか分からなくても、殿下は決して無関心というわけではなかった。


「……殿下がそういうお方だから、ラクエル姉も、あたしたちもついてきたんだよ。あたしは最初、何も分かってなくて……本当にごめん」

「いえ、いいんです。最初から信頼してもらえていたら、俺はきっと甘えていたと思いますから」

「それは甘えるっていうより……先生もみんなを頼ってくれるっていうことだよね。あたしもそうしてもらえるように頑張るから」


 誰かが背負う荷物を増やすのではなく、全員で背負う。それを率先して行う殿下こそ、この西方領のことを誰よりも考えていると思う。


 何も知らないまま、ただ王位継承権争いのために殿下の足元を揺るがすこと、領民を動揺させることを、決して受け入れてはならない。


 しかしそれは、国王陛下の勅令とされる命令を、アイルローズ要塞が拒否するということでもあった。


 ◆◇◆


 薄雲の晴れない空の下、広がる牧草地の向こうに、街道を進んでくる騎兵の一団が見える。


 こちらが旗を掲げていることを確認すると、向こうも旗を上げた。レーゼンネイア騎士団の旗印と、ロートガルト将軍の紋章なのだろう、獅子を象った旗が上がっている。


 殿下が手を上げ、馬が足を停める。街道で対峙するのではなく、俺たちが先に草原の丘陵地帯に入ると、ロートガルト将軍の一団も遅れて移動を始めた。


「あの外套(コート)は、宮廷魔法士……それも上位階梯の……」


 ディーテさんが緊張した面持ちで、相手の一団、ロートガルト将軍の近くにいる魔法士の姿を見つめる。動揺させることになるかとも思ったが、改めて伝えておくべきだと思った。


「彼女は俺の義姉……ミレニア・ウィードです。おそらく俺がここに派遣されていることもあって、同行を要請されたんだと思います」

「っ……あの『翡翠の魔女』がここに……南方戦線で、千人の敵兵を一人で押し返した英雄が……」

「……魔法を使われたら、あたしたちでも無事じゃすまない。でも、先生がここにいるなら、問答無用で攻撃してくることはないはず」


 俺もそう思いたい――しかし義姉さんは、祖国に忠誠を誓っている。俺に対して甘いところがあっても、宮廷魔法士として与えられた命令に反することは決してない。


 だが、義姉さんに俺たちの置かれた状況を伝えることができれば――そう考えた矢先に、俺はふと目を向けた先で、数騎の騎兵の姿を見た。


「……ヴァイセック……!」

「あいつ……この辺りで待ってたんだ。ロートガルト将軍に何か吹き込むために……!」


 もはやこちらへの悪意を隠しもせず、アスティナ殿下に自分たちの姿を見せつけるかのように、ヴァイセックは兵たちに道を開けさせ、ロートガルト将軍に近づく。


 俺たちの側と、相手側の騎兵が一騎ずつ近づき、伝令を交わす。帰ってきた騎兵の報告を受けても殿下は表情を変えることなく、もう一度使いを出した。


「殿下……」

「事前に知らせてきている通り、彼らはアイルローズ要塞の指揮権、そして西方領の統治について移譲するようにと伝えてきています。理由は私の命令違反……アイルローズの兵が要塞を離れていることについても把握されています」


 これで、ヴァイセックは自分の勝ちだと確信したことだろう。ジルコニアからの圧力、そして中央からの輸送を遅らせることでアイルローズ要塞を窮地に追い込み、殿下は苦し紛れにジルコニアを攻めたとそう思っているのだ。


 しかし、事実はそうではない。


 アイルローズ騎士団は、無傷でジルコニアの要塞を陥落させ、隣国から侵攻を受ける脅威はなくなった。それどころか、ジルコニアに有利な停戦交渉を求められる状況にある。


「……そして、私たちが反抗するようなら、同行している宮廷魔法士……ミレニア殿の力も借りて、私たちを取り押さえると」

「っ……殿下に対して、余りにも不敬な……っ!」

「三百の騎兵以上に、宮廷魔法士の力があるから、そんな要求ができるんだね。仲間を脅すために連れてくるなんて……」


 プレシャさんが馬の手綱を握る手に力を込め、歯噛みする。


 このままでは相手の条件を飲むしかなくなると、それだけ義姉さんの力を大きなものと考えているということだ。俺もレスリーも、義姉さんに対抗することなど考えられない――まず、何をしてでも戦うことを避けたい。


 しかし出された条件を受け入れることはできない。この領地に神樹があり、殿下が巫女として神託を授かることで、領民の暮らしは必ず良くなる。そして未来を読むことができる殿下の力は、無益な争いを避け、降りかかる火の粉を払うための唯一無二の力だ。


「殿下は……殿下については、彼らはどのような処遇を……」

「私については軍事裁判にかけると言っています。騎士としての階級を剥奪するつもりでしょう……判決については、最初から決まっているようなものです」


 その理不尽を通せると、本当に思っているのか――いや、思っているのだ。


 カサンドラ王妃、そこに繋がっている北方騎士団――そしてヨルグ・フロスト。彼らはすでに王都のみならず、騎士団の中枢まで蝕んでいる。


「殿下……直接対話をされるのですか? あのような者たちの言葉に、耳を傾ける意味があるのですか」

「ロートガルト殿は、おそらくカサンドラ殿下の意図を知りません。そしてミレニア殿もまた、あくまで陛下からの勅令に基づいて行動しているはずです。それを覆すことができるとしたら、それは勅令を実行することで『領地の安定を損なう恐れがある場合』です」


 国王陛下の命とはいえ、国が乱れては意味がない。全ての勅令が忠実に実行されるなら、その国は無敵と言って差し支えないだろう――しかし、それは現実的ではない。


 彼らは西方領の実情を知らない。それこそが、唯一の付け目になる。


「プレシャ、ディーテ。ここで待機していてください……私は将軍と対話をします」

「っ……殿下……」

「ディーテさん、大丈夫。殿下ならきっと……」


 同行を願い出ようとするディーテさんを、プレシャさんが諌める。殿下は馬を歩かせ、近衛騎士を二名連れて、俺たちと相手側の中間地点に進み出た。 


『グラス、見ていてください。決してあなたと姉君を戦わせるようなことにはしません』


 殿下の声が胸に響く――その心遣いに感謝し、ただ今は祈るほかはない。無事に事が運び、義姉さんと戦わずに済むことを。


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