第八十七話 軍議
アスティナ殿下が数人の近衛兵を連れてウェンデルの議場に発たれたあと、俺たちはラクエルさんの招集を受けて円卓の間に集まった。
「グラス・ウィードです。失礼します」
部屋に入ると、全ての部隊長が集まっている――攻撃隊長のプレシャさん、ブリジットさん、クロエさんと、射手隊のディーテさんとソルファさん。出陣前で体力を温存するために鎧は身につけておらず、全員が騎士団の正式服を身につけている。
俺たちは用意された席に座る――これで円卓に着座しているのは、俺を含めて九人だ。
「今回はレンドル、そしてノインの二人も魔法士として作戦に参加する。グラスについても、今回は軍医として以上に、騎士団の戦力として扱うこととなる。異論はないか?」
ブリジットさんあたりが何か意見をするかと思ったが、彼女は俺たちを一瞥するだけで、特に何も言わなかった。代わりに、その隣に座っているクロエさんがノインを見ながら言う。
「彼女については私達も、この要塞に来た経緯などを知らされていませんが。今回のように重要な作戦に参加させるというのは、相応の実力の持ち主ということでしょうか」
ラクエルさんはすぐに答えず、ノインの方を見る。ノインは自分から席を立つと、誤魔化すことなく自分の素性を明かした。
「私は宮廷魔法士の七十三階梯、ノイン・フローレス。先日まで、ジルコニアの内偵をしていました」
「っ……そ、そのような人物が、なぜこの要塞に……?」
「ジルコニアに潜入した際に、接触した……ということですね」
クロエさんは普段は武人らしい硬い口調で話すが、軍議の場においては畏まった言葉遣いをする――それは、ラクエルさんへの敬意の表れでもあるのだろう。
「そうだ。ノイン殿は望まぬ命令を受けてジルコニアに潜入していたが、その命令に従う必要は無くなった。宮廷魔法士の全てがそうではないだろうが、この国を蝕もうとしている者がいる……だからこそ、殿下は決断されたのだ」
ジルコニアを攻める――そして、西方国境における当面の脅威を排除する。
そのためには、この戦いにおいて小さな勝利を得るだけでは足りない。敵軍の指揮を取るアレハンドロ将軍――『白い鴉』の心を折らなければならないのだ。
「私は、この要塞への攻撃に既に一度参加しています。ジルコニア軍に、手を貸しました」
ノインは告白する――この場で譴責を受けても仕方のない事実を。
「次の作戦にも参加していれば、より多くの被害を出すことになったでしょう。私をここで斬るべきだというなら、それも仕方のないことと思っています」
「ノイン殿の処遇については、すでに決まったことで蒸し返す必要はない。ノイン殿の意思で行われたことでないというのは、グラスが証明してくれた」
ラクエルさんが俺の名前を出すので、皆が注目する――ノインも俺に視線を送ってくるが、何か信仰に近い感情が宿っているように見えて落ち着かない。
「グラス先生が……? ディーテお姉さま、それはどういう……」
「ソルファ、気の緩みは命に関わりますわよ。私とあなたは同格なのですから、甘えた呼び方は慎みなさい」
「っ……は、はいっ、おね……ディーテ隊長殿」
ソルファさんは慌てて背筋を正す。同じ射手隊長でも、二人の間には明確な上下関係があるようだ――騎士学校時代の先輩後輩とか、そういうことだろうか。
「一時はジルコニア側に与していた私が、騎士団に貢献することですぐに信頼してもらうというわけにはいかないと分かっています……ですが、どうか今後の働きを見て評価していただけないでしょうか」
ノインが深く頭を下げる。その姿を見て、ブリジットさんとクロエさんはノインの言い分を聞き入れてくれたようだった。
「事情の全ては飲み込めておりませんが、殿下と騎士長の判断であれば異議などございません。魔法士に頼るのは、以前までの騎士団の方針と違ってはおりますので、兵たちにも理解を求める必要はありますが……」
「私も異議はありません。今回の軍議に魔法士の方々が参加するという意味も、理解しているつもりです」
アイルローズ騎士団において、正式に魔法士が軍事行動に参加することは初めての試みになる。
一人で戦局に影響を与えられるノインが、こちらについてくれたのはとても大きい。今まではこちら側からジルコニアに入るには障害でしかなかった運河も、水の魔法士である彼女がいること、そして軍船を手に入れたことで、全く違う形で利用できる可能性が出てきた。
ディーテさんが円卓の上に地図を広げる――それはジルコニアの砦に潜入したときに、彼女が持ち出してきたものだった。
「私たちはこの砦の機能を停止させ、指揮官のベイルを捕虜としました。彼を尋問したところ、アレハンドロ将軍の指揮下で攻撃に失敗したことで、ベイルは自分に責がないことを報告するため、国王に使者を出そうとしていました。アレハンドロはそれを封じるため、そしてベイルの軍をより有効に動かすために、ノイン殿をベイルの元に派遣したものと思われます」
「つまり……ノイン殿は『白い鴉』のもとにまで潜入していたと、そういうことなのですね」
「なぜ、ベイルのもとにノイン殿を遣わせれば上手くいくなどという考えになるのです? 敗戦について知っているのはベイルだけではないはず。時間稼ぎをしているうちに勝てば良いという考えなら、浅慮と言わざるを得ない」
ブリジットさんの意見は、正論といえば正論だ。だが、アレハンドロには確信があった。ノインの魔法をより上手く使えば、アイルローズ要塞を陥落させられると。
ノインが居なくなったことを知れば、アレハンドロはどう動くか。アイルローズを攻める有効な手段が無くなったと見て、中央に撤退するのか――。
そんな判断ができる軍人が、異名を轟かせることなどあるだろうか。ブリジットさんの言う通りに、まだ勝つための方策を考えているのではないのか。
「この東の軍営……ここが、ジルコニアが私たちを攻めるための攻撃拠点ですわ。ノイン殿が水の魔法で軍船の姿をくらませ、東側まで移動させたことで、彼らは二つの地点から河を渡って攻めてきました」
その作戦の有効性は、攻撃を受けたラクエルさんたちが一番理解している。死者六十二名、負傷者はその数倍――あの日のことを思い出すと、誰もが表情を陰らせる。
しかしジルコニア軍の奇襲は、ノインの魔法に依存して成立していたものだ。彼らがもし再度侵攻を試みるとしても、体勢を整えるには時間がかかる。
「あの戦いで、私たちはジルコニア軍を撃退することができました……被害はジルコニア側の方がはるかに大きかったと言えます。それでもまだこの要塞を落とせると考えているなら、彼らの慢心と言うほかはありませんわ」
「……今しかないとアスティナ殿下もお考えになった。ジルコニアとの停戦を勝ち取り、地盤を固める。そうすれば、中央の意向を確かめる機会も出てくるだろう」
中央――レーゼンネイア王国騎士団の総本営。王国のために戦っているという意識が強いブリジットさんは、命令無視をして王国に叛逆するということに忌避感を覚えていた。
しかし『西方領を守る』という元来の任務を果たしたうえでならば、『ジルコニアに侵入してはならない』という命令を破ることについて一定の根拠が得られる。
「……ヴァイセック殿の件があってから、ずっと考えておりました。この状況でジルコニアに対して何もするなというのは、私達の奮戦を促すものなのか、それとも西方領に対して中央の関心が薄いのか……そのようなことがあるわけがない、と思ってきました。アスティナ殿下の率いる騎士団を、国王陛下が見放すわけがないと」
ラクエルさんの発言は、ブリジットさんの心情を慮ったものだった。それを察してか、ブリジットさんが自分の思いを明かす。
彼女はただ『中央の命令に違反すること』を忌避していると思っていたが、そうではなかった。彼女なりに考えた結果として、現状のまま耐えることを選んでいたのだ。
「国王陛下は西方領の民も、我ら騎士団のことも、見捨ててなどいらっしゃらない。しかし真意をお伺いするには、動かねばならぬ。この要塞が崩れるまで待つために、今日まで戦い続けたわけではないのだから」
ラクエルさんの言葉に、ブリジットさんは頷く――この場に集まった全員の意思が統一される。
「ブリジットも戦力として数えて良いのだな?」
「飾りの剣ではないと、私も証明しなくてはなりません。ディーテ殿、あの時の私の発言については全面的に詫びさせてほしい。すまなかった」
「私こそ、あの時は言葉が過ぎましたわ」
ブリジットさんとディーテさんが和解する。戦いの前に蟠りをなくすことができて何よりだ。
「では、作戦についてだが……本隊がジルコニアに渡る際には、グラスの魔法の力を全面的に借りることになる。前回とは全く規模が変わってくるが、殿下は今のグラスなら可能だとおっしゃっていた」
前回、渡河するときには『浮遊鬼蓮』を召喚した。前は人一人ずつが渡れる規模の道だったが、理論上は大軍を渡すための橋を形成することも可能だ。
アイルローズ側に戻ってくるときにも召喚が必要になる――撤退不可というわけではないが、退路を形成するために再召喚の時間がかかる。
理想的には、援軍が来ないうちに敵軍を降伏させなくてはならない。俺たちの潜入工作で混乱している状況とはいえ、アレハンドロがその状態でいつまでも手をこまねいているわけもない。
「しかしそのまま正面からぶつかれば被害が大きくなる。敵に揺さぶりをかけた後に、本隊が隙を突いて敵営を包囲できれば言うことはない。平原に出られて野戦となることは避けたいところだ」
揺さぶりをかける方策――その鍵を握るのは、軍船。
ただ軍船を敵営の近くに移動させるだけでは、敵の注意を引きつけるには弱い。そこで役に立つものを、俺たちは手に入れている。他ならぬ、ジルコニアが持ち込んでくれたことで。
「騎士長、発言してもよろしいでしょうか」
ノインが発言を許可され、再び立つ。彼女は円卓上の地図を指し示し、敵営と運河が最も近づく点を指さした。
「この点まで、私の魔法で軍船を隠蔽して移動させることができます。見張りに見える位置で姿を現せば、効果的に動揺を誘うことができるでしょう」
「うむ。しかし、迎撃に出られたとき、一隻の軍船で防ぐことは難しいのではないか」
「水上であれば、船を守り抜くことはできます。しかし陸上の敵に攻撃するには、私の魔法では十分ではありません」
船上から弓で攻撃するということも考えられるが、ジルコニアの砦は高い櫓と壁に囲まれており、有効な打撃を与えられない。
そして降雨が見込まれるということもあり、本来なら火薬兵器の類は使えない――それは、敵も大砲の類は使えないということでもある。
俺はラクエルさんに許可を求め、軍議の場で初めて自分の意見を提案した。
「軍船に大砲を積んで、雨が降る中でも発射することができれば、敵営に大きく動揺を与えられます」
「大砲……そうか、敵の工作部隊が持ち込んだものがあるな。それを軍船に積むというのは良い考えだが、天候の問題はどうする。火薬が湿気ると使えぬだろう」
「私の魔法で、その問題は解決できます。火薬を乾燥させたままで保護することは難しくありません」
レスリーは何も言わなくても察してくれていた。空気の魔法で大砲を保護すれば、こちらは雨天でも大砲を撃つことができ、敵側は雨に対する備えがなければ火薬の類を封じられる。
「……皆、雨が降るという前提で話されていますが。殿下はこの晴天で、雨が降ると予測されたのですか?」
「殿下のおっしゃることであれば間違いはない。今までも、天候の予測が外れたことは一度もなかった」
「確実に雨が降るのであれば……もう一つ、敵軍を欺く方法はあります」
ノインはこの戦いにおいて、一つの役目を果たすだけでは足りないと思っているようだった。
それはおそらく、殿下が考えていたことでもある。雨が降っている中で、ノインがいるからこそできる奇策――ジルコニアにとっては悪夢に違いないだろう。
「ラクエル姉、あたしは『本隊』に入ってないんだよね?」
ずっと静かに聞いていたプレシャさんが発言する――微笑みながら。ラクエルさんはかすかに目を見開く。
「時間の勝負にはなるけど、あたしとあたしの馬ならできる。雨の中でも関係ない」
そう言う彼女の瞳には炎が宿っている――怒りや憎しみではなく、騎士としての誇りと闘争心の炎だ。
プレシャさんの変化に、ブリジットさんたちも目を見張っている。そして俺を見る――彼女たちは何かがあると、すぐ俺に理由を求めるようになってしまった。
「ノイン殿、プレシャ。皆に分かるように説明してもらえるか」
ラクエルさんに乞われて、二人が答える。魔法でそこまでのことができるのかと、驚きの声が上がる。
二重三重の策を積み上げ、勝利への道が築かれていく。俺は隣に座ったレスリーと視線を交わす――彼女は軍船に乗って重要な役目を果たすというのに、意外なほど落ち着いていた。
――グラス兄、きっと大丈夫。
空気の精霊を利用して、俺だけに聞こえる声でレスリーが言う。彼女を安心させようと思った俺だが、レスリーはお見通しというように微笑んでいた。




