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第八十話 鋼の心

 アスティナ殿下のもとで、騎士たちの心は一つだ。しかし俺達の掲げる大義は、国王陛下の命令には背くものとなってしまう。


 第二王妃がどう考えていようと、このアイルローズ要塞は絶対に陥落しない。ここを守りきり、西方領を一時的にでもジルコニアに占領されることは防がなければならない。そうでなければ、折角元通りになった農地に戻ってきた農民たち、そして町の人々は敵軍に蹂躙されることになる。


 すでに両軍の兵が多くの血を流している今、敵軍がレーゼンネイアの領民に対して危害を加えないということは、頼りない理想論にすぎない。戦時の略奪がどれほど苛烈なものになるのかは、想像するほかはないが――この要塞にいる戦う力を持たない人々が、まず被害を受けることは避けられない。


 衛生隊長のケイティさん、そして要塞で働く人々。アスティナ殿下に仕える侍女たち。彼女たちを守るには、防戦一方ではなく、やはり打って出るしかない。


「敵軍が動く前に、こちらから先手を取ります。私たちが軍船を奪取したこと、ノインの所在が不明となったこと……そして、ベイルを捕虜として拘留したことで、敵の本営は混乱しているでしょう」

「グラスの魔法で、あの砦の兵たちは壊滅状態のはず……敵が体勢を整える前に攻めることができれば理想的です」

「一日、二日はアレハンドロが動くまで猶予があると見ていいでしょう。その間に、こちらの優勢を示します。ジルコニア側に上陸、敵の本営を二千の兵で包囲します」

「二千……前回の敵軍の規模を考えれば、確かに妥当でしょうか。後方から援軍が送られている可能性もありますが」

「ジルコニアが西方領を欲しがっているのは、農地を得るためでしょう。近年は不作であったと知らないのだと思いますが、それでも民は自分たちだけでなく、私達三千人の兵を支えるだけの食糧を供給してくれています。ジルコニアは山地が多い国なので、軍を維持するだけの食糧を捻出することに苦心しているはずです」


 ジルコニアに入ったあと、広い平原が広がっていたが、なぜその辺りが手付かずなのかというと、河沿いに農地を展開することをジルコニアが忌避したからだと考えられる。それだけ、アイルローズ要塞がジルコニアにとって脅威と見られていたということだ。


 強い兵士は屈強な身体を維持するために肉や豆などを多く取る必要があるが、牧畜で肉を生産するには多くの飼料と人手が必要になる。飼料であるまぐさを作るために良い河沿いの土地が、国境に近いというだけで利用されていない――そこもまた、俺たちにとっては有用な情報の一つだ。


(停戦すれば、ジルコニアにも少なくない利がある。それでも攻め入ろうとしているのは、アレハンドロ将軍の能力をジルコニア王が信頼しているからか……停戦によって、交換条件を出されることを恐れているか)


 濃厚や牧畜を行うには力のある男手があった方が良いが、現状では働き盛りの男性は兵士として取り立てられる――戦いの無いときは農民として生活するという方策もあるが、兵役に従うのは労働を免除されるからという理由もあり、なかなか両立できるものではない。


 この要塞でも、今まで兵士たちは軍務のみに従事してきた。訓練などに集中することで精強さを維持できるのは確かだが、それは西方領の農民たちが勤勉であり、食糧の徴収に応じてくれているからこそできることだ。


「今季は、神樹の恩恵が西方領全体に渡って得られることになるため、収穫の季節にはおそらく稀に見る豊作となるでしょう。そうなればますます、ジルコニアは死にものぐるいでこの地を欲しがります」


 西方領は、神樹の加護を得ることで繁栄に向かう。殿下の余剰魔力は常に神樹に還元され、神樹はあの庭園から大地に恵みをもたらす。そして作られる作物は、ある程度の悪天候に対する対抗力を持ち、神樹の加護を得ていない土地とは比較にならないほど豊かに実るはずだ。


 ジルコニアがその事実を知れば、この土地を喉から手が出るほど欲しがるだろう。しかし神樹ユーセリシスが根を張るあの庭園を、他の何者にも明け渡すつもりはない。


「神樹の影響力は、この地を脅かす者から守ろうとするとき、私に未来のことを教えてくれます。あれほど枯れ果てても、まだユーセリシスは私に働きかけてくれていた……それも、グラスが来てくれていなければ、とうの昔に限界を迎えていたでしょう。私が精霊という存在の尊さに、もっと早くに気づいていたら……」

「精霊は本当なら、人間から距離を置いている存在です。俺たちはそういった存在を理解し、力を借りるために魔法学院で学びました。ある意味では、平穏に暮らしている彼らを、魔法士の都合で引っ張り出しているようなものかもしれない」

「そんなこと、ないのですよ? 私たちだって本当は、人間の世界に興味があるのです。そうじゃなかったら、召喚なんてされないのです」


 レスリーに抱えられて見学していた、ルーネが言う――その隣には、ノインに抱えられているレイがいる。騎士たちの座るものである円卓に就くことは遠慮してそうしているのだが、軍議の場でも和ませるほどに微笑ましい光景だった。


「召喚主さまが思うよりずっと、私は悪い子だから……引っこ抜かれて周りの生き物の精気を吸うと、すごく満足する。マンドレイクは、そういう種族だから。私の分体が吸った精気が、本体の私の栄養になる」

「そ、それは……何か、人に夢を見せて精気を吸う、夢魔の類にも似ていますわね」


 レイはかすかに微笑むばかりではっきり答えない――精気ってやはりそういう意味合いも含まれているのか。こんな幼い見た目のレイが、屈強な兵士たちから力を吸い上げていたのかと思うと、いいのだろうかと思いはする。


「私はこうやって蔦をからめて吸うことができるのです」

「っ……ま、待て。ここで実例は示さなくていい」

「ほわわ~……やっぱりご主人様の魔力が一番なのです。でも、契約してるのでご主人様から吸っても、それはご主人様の魔力のままなのです」


 アルラウネの化身である植物の蔦が地面から発生し、俺に絡みついてくる。締め付けられたりということはないが、落ち着かない気分だ。


 それをじっと見ていた殿下――こんな時にじゃれている場合ではない、と襟を正そうとしたとき、彼女は興味深そうに言った。


「なるほど……私とグラスも、神樹を介して通じていますが、常に私の魔力が彼に流れこんでいるわけではありません。もし流し込む力を強めると、アルラウネの力も強まるということですか?」

「ふぁっ……そ、それは確かにそうなのです。そうしたら私、どうなるですか?」

「アルラウネはそのままでも、十分強力な力を持っていますが……それが強化されるとなると、想像もつかない力を発揮するかもしれません。同じことがレイにも言えますが」

「……これ以上強くなったら、みんな私を引き抜いただけで死ぬ。周りにいる聴覚のある生き物は死に絶える」


 淡々と過激なことを言うが、レイは事実として言っているだけなのだろう。マンドレイクの力がこれ以上強まれば、意識を刈り取られるだけでは済まない。 


「レイの力は、戦において絶大な力を発揮するでしょう。しかし搦め手として用いるには、ルーネの力も同等に有効だと私は考えます」

「俺……いえ、私もそう思います。まだ幼い彼女たちを、戦いの場で頼ることになりますが……」

「私は大丈夫なのです! 少しでも召喚主さまのお力になりたいのです!」

「精霊に、年齢による容姿の変化はない。子供の姿でいるほうが、具象化を保つうえで魔力の消費が少ないというだけ」


 子連れで戦場に出ることへの忌避感は、彼女たちがそう言うのなら問題ではなくなる。


 俺も初めから、もし止められても騎士団に同行したいと志願するつもりでいた。魔法を使って貢献することを考えると、全軍の中でも前方に位置することになるだろう――矢が飛んでくる危険があるとしても、それは覚悟している。自分の身は自分で守るだけのことだ。


「私も随伴させていただけるならば、魔法士として貢献できるよう最善を尽くします。しかし私だけでなく、ノインの魔法も大きな鍵になると思います」


「はい、軍船の隠蔽に、水精霊魔法の幻影を維持することが必要ですね。そして、もう一つ……敵軍を包囲するまで、ノインには大きな負担をかけることになりますが。頼みたいことがあります」

「かしこまりました、王女殿下。私はグラス殿に従う魔法士です。この騎士団において、彼の下に組み入れていただければ、これ以上のない幸いです」

「命を助けられたからというのはわかりますが、少し変わり身が早すぎませんこと……?」

「……私はグラス殿がいなければ、ここに立っていられていません。存在していないのです。ですから私は、グラス殿のご意志のみによって今後も存在し続けたいのです」


 顔を赤らめて言うノイン――見ている俺の方が恥ずかしくなってくる。命を助けるというのが大きなことだとは分かるが、俺のことを『主様』と呼んでみたり、彼女の態度の変化は確かに急激すぎる。


「……私もグラス先生の従者ですから、戦場にもついていきます。先生の魔法と、私の魔法は……相性が良いので、必ずやお役に立てます」


 レスリーは置いていかれるかもしれないと思ったのか、そう進言してくれる。少しだけ彼女に留守を守ってもらうことも考えたが、それを強いるのは俺の押し付けになる。


 水と空気、そして植物。火や風といった精霊と比べると戦闘に特化してはいないが、三つ属性が揃えば、有効な組み合わせは飛躍的に増える。


 空気玉と催眠花粉を組み合わせるのも合体魔法だが、そこに水精霊という選択肢が加わると、一体何ができるようになるのか――アレハンドロの軍団を封殺するような策も、あるいは導き出せるかもしれない。


「相性……ですか。魔法士同士では、やはりそういった感触も大事ですのね」


 ディーテさんが思わせぶりな言い方をするので、その場にいる皆がぎこちなくなる。殿下だけは悠然としているが、ラクエルさんは「んんっ」と咳払いをしていた。


「あ、そ、そういえば……レスリー、女の人だったのなら、先生と一緒の部屋だと……」


 プレシャさんが今気がついた、というように言う。俺も言われてみて思うが、確かに軍医とその助手という体とはいえ、男女で同じ居室を使うというのは、要塞の風紀を乱していると見なされないだろうか。


「それは、問題ありません。ノインにはグラスたちと同室に寝泊まりをしてもらいます。三人ならば、何か間違いが起きるということはないでしょう」

「い、いや……私はその、自分だけ別室に移動できればと思います。倉庫などでも構いませんので、そこで寝させていただければ……」


 そこまで言ったところで、ラクエルさんがなぜか立ち上がる。俺は怒られるのかと思い、思わずビクッと身体を震わせてしまった。


「何を言っている。私に身体の負担がどうと言って指導し、治療しておきながら、自分の身体に無頓着で許されると思うのか。グラスには人並みの寝床で寝てもらわねば困る。私のベッドと同じものを与えても良いくらいだ」


 ラクエルさんは一気にまくしたてる――まるで、自分のことのように怒ってくれている。


 俺は軽率な発言をしたと反省すると同時に、つい、感謝をそのまま口に出してしまった。


「ありがとうございます、ラクエル騎士長。俺のことを、そんなに気遣って頂いて……分かりました、皆に誤解を受けることのないよう、軍医としての仕事に一層集中して励めればと思います」

「う、うむ……こほん。すまない、お前があまりに謙遜ばかりするから……」

「急に自分のベッドと同じようなものがいいと言い出すので、騎士長のお部屋にグラス先生を引き取られるのかと思いましたわ」

「……そ、それってありなの? あ、あたしの部屋も、もう一個くらいベッドを置く場所はあるっていうか……もうちょっと狭い方が落ち着くっていうか……」


 ラクエルさんはしずしずと座り直して、騎士長らしく風格を持った姿勢に戻りはするものの、耳まで赤らんだままになっている。


(否定しないということは……いや、違うな。否定したら、俺と同室にはなりたくないと頑なに拒んでいるみたいだから、気を遣っているんだな)


 そしてプレシャさんまで、俺が部屋を移動するなら置いてくれても良いという態度になっている。この要塞に来たばかりのとき、俺に殺気を向けてきた人と同じ人物とは思えない――虎が猫になってしまったかのようだ。


 彼女は戦場においては、間違いなく並ぶもののない虎だ。しかし幾度とない修羅場を超えて、心を鋼に近づけることができたとしても、脆い部分が完全に失われるわけではない。


 彼女が抱え込んだものをそのままにしておくことで、戦場で彼女が傷つくことに繋がるかもしれない。プレシャさんの武勇を信じていないわけではないが、気がついていながら放置をするというのは、どうしても心に引っかかりが残る。


「……グラス、貴方の部屋を移動するということではありませんが、思うところがあるようなので、私から許可を出します。将兵の部屋については、自由に訪問し、許可を得て診療に当たってください。身体のこともそうですが、貴方が直す傷病はそれだけではないと、これまで見てきて分かっているつもりです」

「っ……は、はい。許可を頂きありがとうございます、殿下」


 殿下に許可を頂かなくては、という考えが、神樹との契約を介して伝わってしまったようだ。日頃のとりとめもない思考は伝わらなくとも、殿下に対する要望などは、頭をよぎるだけで伝わってしまいやすいらしい――となると、迂闊なことは考えられない。


「作戦については、改めて明日の正午に話し合います。領内で工作をしている人物……ヴァイセックの影響で、私達がジルコニアを攻めるとなると、不安に思う領民もいるでしょう。彼らに、私達は防衛の一環としてジルコニアを攻めること、そして今後の展望についてもある程度伝えておく必要があります」

「かしこまりました、領内の各騎士団支部に伝令を送ります。特にラインフェルト家との協力関係については、改めて確認しておく必要があるでしょう」


 ラインフェルト家のシュナイダーは、俺の目からすると、領民のことを第一に思う好人物であるように見えた。だからこそ、国王陛下の使者と名乗るヴァイセックに揺さぶりをかけられると、民を守ることを優先する可能性が多分にある。


 敵に回ることさえなければ、今はそれでいい。全く助力をしようとしない中央の機嫌を窺い続けて、ジルコニアの侵攻を許してしまうことはあってはならない。それはラインフェルト家にも分かっているはずだ。

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