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第七十九話 剣の誓い

 要塞の正門は東側だが、西側にも隠し入り口が存在する。それを射手隊のディーテさんは『裏口』と呼んでいたが、兵たちに大々的に知らせて要塞に戻る時以外には、よく利用されるとのことだった。


 兵たちに案内されて裏口から要塞内に入ると、ディーテさんはまず要塞一階の武器庫に立ち寄った。


「この局面でこれが使えるようになるなんて……殿下の読み通り、敵兵が工作に来てくれて良かったというべきでしょうか。皮肉な言い方にはなりますが」


 一晩の間に状況は大きく変化した。ジルコニアの軍船を利用することで、こちら側からジルコニア側にまとまった数の兵を送ることができるようになり、そして軍船自体に兵器を搭載することも可能となった。


 ジルコニアの工作部隊が運んできた大砲。それを使うための弾薬や輸送用の車輪一式などを、ディーテさんは部下に命じて使用できるように準備していたのだ。


 大砲の弾薬から作られた『火槍』は携帯式の火器としてはかなりの破壊力を持つようだが、やはり大砲そのものを運搬して利用できるのなら、『火槍』よりも強力な切り札となるはずだ。


   ◆◇◆


 円卓の間に向かい、休む間もなく、俺たちは軍議を始めた。


「敵軍にも何か切り札があると考えるべきでしょう。それとも、新しい兵器を試すために工作部隊を送り込んできたのか……いずれにせよ、敵の火器には注意を払わねばなりません」

「殿下の直感は、神樹の導きによるものでもあります。おそらく、アレハンドロ将軍の部隊は強力な火器を持っているでしょう」

「大砲……それとも、ディーテさんが作ったみたいな、火薬の筒を使ってくるってこと?」


 火槍とは、衝撃を与えると爆発し、炎上する弾を撃ち出す兵器だという。


 だが俺が義姉さんに聞いたところでは、火薬の爆発を推進力に変え、火槍よりも細い鉄の筒から、金属の弾丸を撃ち出す兵器があるという――それは『鉄火筒』と呼ばれ、騎士の鎧を貫通する威力があり、大きく戦の形を変える可能性を持っているとのことだった。


 幸いはまだ量産されていないこと。そして、俺たちの国の南方で作られる武器のため、ジルコニアが大量に配備している可能性が低いことだ。実戦で装備している兵も目撃されておらず、必要な資源が揃っていても『鉄火筒』を作る技術は存在しないと考えられる。


「火薬が戦に使われるようになってから、私は騎士の時代がいつか終わるものだと考えるようになりました。一度目にすればわかります、多くの兵の命を遠距離から奪うあの武器たちは、いずれ剣と槍、そして弓にとって代わるものなのだと。鉱産資源の多くを使うことになりますが、『鉄火筒』ほどの威力を持つ射撃武器があれば、重い鎧を作って身を護る必要がなくなります」


 アスティナ殿下は、『軍隊の変化』を案じている。大量の火薬を産することのできるジルコニアに『鉄火筒』の技術が伝わると、このアイルローズ要塞が旧来の兵器のみでジルコニア軍を撃退することは難しくなる。


 歩兵と騎士、そして射手の編成で渡り合える今のうちに、戦局を決定付ける必要がある――ジルコニアの戦意を、折らなければならない。


「グラスが初めに尋問した者たちによって、ジルコニアが我が国の側から武器の供与を受けていたことが判明しました。兵の数こそ我々より多いのでしょうが、全員に装備が行き渡っていない……このまま待って、他の経路でジルコニアに武器を送られる前に、こちらから攻撃するべきだと考えます。そして、アレハンドロ将軍を討ち取らなくては……」

「ラクエル姉……あたしがやるよ。今度アレハンドロが前線に出てきたら、あたしが切り込んで、何としてでも首級を上げる」

「お待ちなさい、プレシャ。あなたといえど、ジルコニアの精兵が揃っているところに一騎駆けなどしたら、攻撃を捌ききれるとは思えませんわ」

「……それでもやらなきゃ。死んでいった皆のためにあたしにできることは、それだけしかないから」


 プレシャさんの内包する危うさ。今までも感じていながら、明確に見えていなかったそれが何なのか、今この時に理解できた。


 多くの死を見てきたことによる諦念。戦の中で、心がすり減っているのは彼女も同じだった。戦いを終わらせるために、自分の犠牲を厭わないという心になってしまっている。


「……命を捨てることで何かが救えるということはない。それは、驕りでしかない。死んでいった者の無念を想うのなら、生きなければ」


 初めから、思っていたことではあった。


 なぜ俺を最初に地下牢に連れていき、尋問に立ち会わせたとき、プレシャさんがあれほどに憤っていたのか。


 彼女の部下を殺すために、王国軍の裏切りによって流された武器が使われたかもしれない。その怒りを、彼女はあの時何にもぶつけようがなかったのだ。


 俺が少しでも不審な動きを見せたら、殺す。そう言った時に彼女の心はもう限界を迎えていて、それでもここまで、槍を振るい続けてきた。


 開いた傷をそのままにして歩く彼女を前にして、俺はなぜ何もせずに居られたのだろう。身体の傷ばかりを気にして、心を診ることを疎かにしていた証拠だ。


「……うん。分かった……ごめん、攻撃隊長のあたしが一人で突出したらどうなるか……それこそ、また部下を危険に晒すことになるのに」

「今までは防戦一方だった。攻めることは許されなかった……しかし、今は違う。殿下はレーゼンネイアを護るために戦う、それは変わらぬ」


 それをただの『命令違反』、叛逆行為と捻じ曲げて中央に伝えようとする者がいる。


 ヴァイセック――犠牲となった兵を悼むこともせず、アスティナ殿下を侮辱したあの男だ。


「殿下、ヴァイセックに監視をつけているとのことでしたが。彼の動向は……」


 アスティナ殿下は、密偵からの報告書を俺たちに示す。


 そこに記されていたことを目にして、ラクエルさんは目を閉じる。そして机の上で拳をギリ、と痛々しいほどに力強く握りしめる。


「……病床にある豪族の家長、ハルトナー・ラインフェルトに接触。アスティナ殿下に協力してジルコニアと交戦することがあれば、叛逆と見なすと吹聴した……それが事実なら、ヴァイセックは……」


 中央の命令に従い、ジルコニアとの全面戦争を回避するために動いている――そんな綺麗ごとではない。


 アスティナ殿下を失脚させるため、ジルコニアとの戦に負けるように仕組んでいる。


「なぜ、そのようなことがまかり通っているのです……これでは、まるで……」


 ディーテさんもすでに思い当たっている。ヴァイセックがあれほど傍若無人に振る舞うのは、背後に権力者がいるからだ。


 ノインから聞いたことを、今言わなくてはならない。今まで『王族の人間』としか分かっていなかった、ジルコニアとの内通者が誰なのか――。


「……アスティナ殿下。ジルコニアに通じているのは、カサンドラ王妃……そして、彼女と行動を共にしている宮廷魔法士、ヨルグ・フロストです」


 第二王妃は、自分の子である王子に王位を継がせようとしている。それを一介の学生である俺ですら噂話で知っていたのだから、彼女たちが知らないはずもなかった。


 しかし、確証が無かった。あったとしても、それはアスティナ殿下に、即座に反旗を翻す――あるいは、国王に直訴して第二王妃の行為を糾弾する理由にはならなかった。


 ジルコニアと敵対していることは事実で、この要塞が民を守る盾となっているのだから、彼女はそのことだけに目を向け、戦い続けてきた。


「……敵の拠点を押さえ、これ以上の侵攻を抑制すること。ジルコニアに停戦を認めさせること。私はそれを成さねばなりません。カサンドラ様が例え私を排斥しようとしているのだとしても、一度は話し合いの席に着きたいと思っています」

「なぜ……国王陛下は、アスティナ殿下の功績をお認めになっているはずです。それならば、全くお話に耳を傾けないということも……」


 ラクエルさんの進言に、アスティナ殿下は静かに首を振った。


 いつも崩れることのない殿下の表情に、隠すことのできないかげりが見える。


 金糸のような髪をかきあげて、殿下はどこか遠くを見るような目をする。


 神樹を介して彼女とつながっている俺には分かる。彼女が感じているのは、孤独。


 父親からも、母親からも愛情をまともに受けられなかった彼女は、今も両親を味方と考えることができずにいる。そうして甘えることが、今まで騎士として戦ってきた自分の心を弱くするから――そんなふうに、厳しく自らを律しているのだ。


「国王陛下は、カサンドラ様に心の拠り所を求めています。それは、無理からぬことです……私の母は病弱で、王妃として常に陛下の傍らに在ることができていませんでした。母と同格の家の子女だったカサンドラ様を娶ることで、随分と心を和らげられたと聞いています。今、私がカサンドラ様を糾弾したとしても、陛下は私を軍から引き離そうとするだけでしょう」

「第二王妃がこの国を崩そうとしているとしてもですか。彼女の専横を許せば、この西方領は切り捨てられます。アスティナ殿下を失脚させるため、カサンドラ妃の私欲を満たすためだけに、多くの人々が死ぬことになります」

「……どちらを選択しても茨の道ですわ。祖国と戦うことになるのなら、兵たちの士気にも影響が出ます。中央に家族のいる者もいるのですから」


 この騎士団の進退は窮まっている。国王陛下も、味方となってくれることは期待できない――ジルコニアはいつ攻めてきてもおかしくはない。


 しかしヴァイセックを放置すれば、西方領で奴は工作を進めていく――豪族が支配する民が俺たちに協力しなくなってしまえば、この要塞は食糧不足という形で終わりを迎えることもありうるのだ。


 西方領を重要視せず、切り捨てても構わないと考えている。国王陛下がカサンドラ王妃の意図にもし気づいていないのだとしても、現状はそうなってしまっている――それならば。


「……ジルコニアに領土を蹂躙されるよりは。継戦能力を維持している今の間に、西方領が独自の意志で防衛できるよう、統治体制を確立すべきです」

「独自の意志で……グラス、それが意味することが分かっているのか?」

「敵は運河を渡って攻めてきている。国境を侵されているんです。それに反撃するなというのは、もう命令としての体を成していない」


 カサンドラ王妃はアスティナ殿下に、ジルコニアの侵入を許した時に責任を取らせるか、あるいは名誉の戦死を遂げよと命じているのも同じだ。


 アスティナ殿下のこれまでの努力も苦悩も、何も知らない。まだ幼い我が子をいずれ国王にするという目的のために、あまりに大きな罪を犯している。


「……独立領として、私が西方領の統治をする。そうすべきだと、言うのですね」

「はい。それしか、今後も民の協力を得続けて、要塞の戦力を維持する方法はありません。離反者が続出してからでは取り返しがつかないことになります」


 殿下が領主となり、ジルコニアと戦う理由を民に説明することで、それを妨害する勢力の讒言ざんげんを簡単に信用しないように根回しをする――ヴァイセックについては拘束する必要があると思うが、そうしても彼の代わりが送られてくるだけだ。


「これまでは国王陛下の代理として、命令の代行をしているのみでした。ヴァイセックの動きを封じるにも、今までの形では彼の行為を咎めることはできません」

「殿下は国王陛下の血を引き、正当な王位継承権を持たれるお方。本来ならば、騎士とならずとも、伴侶を得て領主となられることもあったでしょう」

「そう……ですわね。アスティナ殿下が、もし騎士になっていなければ……」

「その場合は領地を貰い受けることはなく、敵国と同盟を結ぶための政略の材料とされていたでしょう。私は、剣を取ることを選んでよかったと思っています。国王陛下が許可をくださったことに、今でも感謝しています……しかし……」


 国王陛下に――父親に剣を向ける。西方領の統治者であると宣言すれば、カサンドラ王妃の一派は必ずそのように解釈する。


 俺は殿下を初めて見た時から、人間離れした聖性を感じていた。この方が、感情を目に見えて動かすことがあるのだろうかと思った――あまりにも完璧すぎたから。 


 その彼女が、手を震わせている。震えを押さえるように、自らの身体を抱く。


 ラクエルさんは、その姿を見て涙を流していた。プレシャさんが、ディーテさんが、駆け寄ろうと立ち上がりかける――しかしその前に殿下は、震える声で絞り出すように言った。


「……例え裏切り者の誹りを受けても。国王陛下に見放されても……必ず私は、騎士団を信じてくれている民を守りたい。そして皆と共に、ひとつの国として歩んでいきたい」


 プレシャさんが顔を覆う。ディーテさんは俯いたままで、顔を上げられない。


 ずっと俺の横に立ったままで話を聞いていたレスリーが、肩に触れてくる。その手は震えていて、レスリーは押し殺すように泣いていた。


 光は遠く、明るい道が前に広がっているわけではない。


 しかし、どれだけ狭く険しい道でも、道があるのなら――殿下がいてくださるなら、俺たちは誰も希望を失うことはない。


「民が私と認めてくれるかは、次の戦で判断される。私は、『アレハンドロ』を倒します」


 『将軍』とつけることはない。それは倒さねばならぬ相手だと、アスティナ殿下が改めて認識したからなのだろう。


 プレシャさんが目を拭い、真っ赤な目をしたままで、直立して胸に手を当てる。


 ラクエルさんとディーテさんもそれに倣う。殿下は光る銀剣をすらりと抜き、その束に額を当てて祈ったあと、前方に差し出した。


 いつも槍や弓を使う三人も、腰には剣をいている。騎士の誇りである剣――それを持つ四人を、俺はこれまでで最も眩しいと感じた。


 この場に同席できていることを光栄に思う。同時に、この先にある困難への不安――それらを超えて湧き出てくる感情は。


「我らはこれより共に戦い、共に生き、共に果てることを誓う。アスティナ=レーゼンネイアの名において、ジルコニア攻撃作戦を発動します」


 全身を包む鳥肌。彼女たちの勇ましい姿が、どれだけ民の心を鼓舞するか――想像しただけで、心が震えた。


「「「――我が騎士団に、栄光あれ!」」」


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