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第七十八話 朝焼けの要塞

 ジルコニアの砦が混乱に陥る中で、俺たちは軍船で支流を遡り、難なく自国側の岸に着いた。


 ラクエルさんは船を繋ぎ止めるための(いかり)をたったひとりで持ち上げる。そして岸から少し離れた浅瀬に向かって、思い切り投げ放つ――これ以上船が岸に近づくと座礁してしまうので、別の方法で船を固定しなくてはならない。


「アプサラスよ、我らが船を繋ぎ止める鎖を水底へと導け……!」


 ノインの命を受けて、アプサラスが水面の上で空中を舞い踊る――すると、水面に渦が生じる。水底まで錨を導いてくれるということだろう。


「――せやぁっ!」


 ラクエルさんが錨を投げると、水の抵抗で失速するどころか、凄まじい速度で回転しながら潜行していく。固定するために必要な本数を投げきると、ラクエルさんの汗をディーテさんが拭いた。


「ご苦労様です、騎士長。貴女の剛力と魔法を組み合わせたら、敵はありませんわね」

「確かに、魔法の力は大きい。しかし私が全力を発揮できるのは、グラス殿のおかげで……」

「グラス先生、ラクエル姉の治療もしてたの? 個人的に……?」


 プレシャさんが不思議そうな顔をする。いつの間にそんな時間があったのか、ということだろう。


 アスティナ殿下に霊導印を施したとき、隣室で――とありのままに説明すると、ラクエルさんに恥ずかしい思いをさせてしまう。現に彼女は、失言をしたというように口を押さえていた。


「い、いやその、俺も医者の端くれですから。見ただけで、身体のどこに負担がかかっているかとか、どこを庇っているかなどは分かるんです」

「ふーん……あたしはどこも痛いとことかないし、ぴんぴんしてるから、治療してもらえなかったんだ。時間があったら、念のために見て欲しいんだけどなー」

「それはみんなが思っていることですわ。私も不眠症を治す手助けをしてもらいましたし……時間をかけて診察してもらったら、もっと元気になりそうですもの」


 予防医療という言葉もあって、栄養状態や日常的に身体にかかっている負担を調べ、日頃から俺の手で調整(メンテナンス)するということもできる。


 しかし、何故だろう――みんな、無事に任務が一段落して安心しているからだろうか。俺を見る目が、騎士としてより、女性としてのものに寄ってしまっている気がする。


「……(あるじ)様は本当に慕われているのね。こうして見ていると、崇拝に近いのではないかと思えるわ」


 水色の髪を川風になびかせながら、ノインが微笑みつつ言う。俺に感謝してくれていることは変わらないようだが、同じ学院の出身で年が近いこともあり、やはり『主様』という呼び方は少し落ち着かない。


「崇拝されるとしたら、神樹の巫女であらせられるアスティナ殿下で、俺はただの精霊使いだから」

「その神樹の力を、私を介して引き出せるのはあなたです。つまり、それは……」

「い、いや、その先は仰らないでください。私は王女殿下を慕う臣民の一人で、みんなと立場は同じです」


 神樹と契約した時から、分かってはいた。神樹と繋がっている殿下が、俺に対する態度が変化していることに。


 王族の彼女が、俺と対等か、ともすれば俺に従うかのような態度を見せる。今だって、遮らなかったらきっと彼女は『神樹と契約した俺は、神樹の巫女である自分にとって信仰の対象だ』とでも言いかねなかった――というのは、さすがに誇張しすぎか。


 ――だが、俺に遮られたからといって、殿下がこのまま何も言わずにいてくれるかといえば、それは別の話だった。


「神樹と契約したグラスは、神樹に並び立つ存在です。私は神樹を崇拝し、その力を敬い、その恩恵を民に伝えることが使命だと思っています。私は、神樹の奇跡を魔法として使うことのできるグラスを、騎士団で最も重要な人物として見ています」


 川風が凪いで、俺たちの間を通り抜ける。


 アスティナ殿下に最上の賛辞を頂いたと分かっていても、俺はとても反応できなかった。


 最初に反応を見せたのは、ラクエルさんだった。彼女が俺を見る目には、最初会った頃からすると考えられないほどの、全幅の信頼が込められていた。


「これから、我が騎士団は大きな転機を迎える。グラス殿たち三人の魔法士がいてくれることで、追い詰められるだけの状況を変えることができた。アスティナ殿下に、そして民のために剣を捧げて生きる信念を曲げずに、これからも進んでいくことができる。そのことに、感謝してやまぬ」

「最初は、すぐに戦場を怖がって逃げちゃうんじゃないかと思ってたよ。でも、全然違った。あたしはその勘違いを、どうやってもグラス先生に謝り尽くせない……」

「それは私も同じでしたわ。男性に頼ることなくジルコニアを跳ね返してきた私たちは、これからもそうあり続けなくてはならないと思っていた。それは、グラス先生……あなたのように、揺るぎない支柱となってくれる殿方を知らなかったからなのですわ」


 三人が、なぜそこまで言ってくれるのか。


 まるで、今言わなかったら、もう言えなくなってしまうみたいに。


 ――それは、これから先にあるアレハンドロ将軍との戦いで、生き残れるかどうかわからないと思っているからだ。


「……俺の方こそ、みんなと会えたから、アイルローズ要塞に来たから、自分が『はずれ』なんかじゃないって思うことができた。俺でも、人の役に立つことができるんだって」


 自分で自分を肯定することすら、力を振り絞らなければならなかった。学院に居たときの俺は、腐らずにいようと思いながら、俯いていることが多かったように思う。


 長老と出会い、話すようになってから、俺は上を見ることが多くなった。大樹の枝ぶりを仰ぐことが、俺にとって自然なことになっていたから。


 レスリーは『空気』の精霊を引いてエリートの道を外れても、落ち込んではいなかった。俺と一緒にいる時間が増えたと、本気かどうか分からないようなことを言って――スヴェンは何事もなるようになるものだと、悩まない生き方を教えてくれた。


 これまでの道のりは、何も間違っていなかった。これからもそうであり続けるように、俺はみんなの覚悟を知っても、全員が生きて帰るためにできることをただひたすらに考える。


「俺は誰も死なせたくない。もう、何もできずに誰かが死んでいくのを見て、傷ついた人を治して、それでできることをやったんだと自分を納得させることはしたくない」


 軍人である皆に言うことじゃない。そうかもしれなくても、言わずに戦場へと送り出すことはしたくない。


「……だから、一緒に考えさせてください。敵軍と対峙するとき、どんな作戦を用いれば、被害を出さずに済むのかを」


 俺とレスリー、そして戦闘魔法士であるノイン。新たな戦力が加わり、軍船を手に入れた今、アレハンドロのいる敵軍の拠点を、今までは使えなかった方法で陥落させることもできるはずだ。


 軍船を建造していた拠点を、俺たちは少数で無力化することができた。神樹の眷属、ルーネとレイ――そして、エアリアとアプサラス。これだけの精霊が揃っていたら、敵に魔法士がいなければ、俺たちは圧倒的に有利な状況を作り出すことができる。


「……死者を出さないというのは、理想です。どんな指揮官も、被害を計算に入れて作戦を立てるものです」


 アスティナ殿下の言うとおりだと分かっている。俺の考えは子供じみていて、現実を直視していない。


 しかし彼女は、俺を否定したわけではなかった。


「ですが……精霊魔法の力は、きっと不可能を可能にしてくれると、私も信じてみたい。何度も、あなたたちの起こした奇跡のような出来事を、目の当たりにしてきたのですから」

「……殿下……」

「グラス、レスリー、ノイン。どうか、三人の力を貸してください。ノイン、あなたの罪を許されないことと言った私が、どの口で言うと思うでしょうが……」

「いえ。主様の理想を現実にするため、一心に働かせていただきたいという思いしか、私のなかにはございません。それを許していただけるだけで本望です」


 ノインは俺のためにと、簡単に自分を犠牲にしようとするだろう。だから、気をつけて見ていなくてはならない。


 レスリーもそうだ。彼女は咄嗟の時に、俺を庇おうとする――今までは良かったものの、今後もそんなことが続いたら、いつか大きな怪我を負いかねない。


「……グラス兄と一緒なら、私も……魔法でできる限りお役に立てるように努めます」

「ありがとう、レスリー。あなたは本当に、グラスを慕っているのですね」

「……私は……」


 レスリーの答えは、風に紛れて聞こえなかった。


 アスティナ殿下には、レスリーの言おうとしたことが分かっているようだった。それを尋ねる前に、殿下は船のへりに近づく。


 岸のほうを見下ろすと、巡回にやってきたアイルローズ要塞の偵察兵がいた。ディーテさんの部下たちだ。


「で、殿下……こちらの船は……っ」


 霧の魔法で姿を隠しているので、軍船にかなり接近しないと姿を見ることはできない。そのため、偵察兵たちはかなり驚いている。ディーテさんも船の上から姿を見せると、兵たちは慌てて敬礼をする。


「これはジルコニアの軍船ですわ。魔法で隠蔽しているので、敵から察知されるには時間がかかるでしょう」

「これを用いて、次の作戦に移ります。あなたがたは、要塞の東方面の偵察を行ってください。対岸で敵の動きがあれば、すぐに知らせるように」

「はっ……かしこまりました!」


 殿下の命を受けて、偵察兵たちが馬を駆って走っていく。それを見送ったあと、俺たちは縄梯子で船を降り、地上に立った。


 葦原を抜けて、アイルローズ要塞を目指す。朝日を背にした要塞の姿を見て、懐かしいというよりも、誇らしいという気持ちが湧く。


「……帰ってこられたのですね、誰も欠けることなく」


 アスティナ殿下の言葉に、騎士たちが目を見開く。敵地に潜り込むこの作戦を、殿下も不安に思っていた――恐れることなどないと思っていた彼女が、安堵を口にした。


「当然です。私も、皆も、生半可な鍛え方はしておりませぬ」

「はぁ~……でも、緊張した。あたし、砦の全員と戦うしかないと思ってたから」

「そうなる前に、私が手を打つつもりでしたが。それも、温存することができましたわね」


 ディーテさんが用意してきた火薬兵器――『火槍』。開発したばかりの兵器を使うのは、大きなリスクが伴う。使わずにおいたことは、結果的に僥倖だったと言えた。


 騎士たちがいつも命をかけて戦っていると知っても、俺はやはり思わずにいられない。


 一人も死なせない。そのために使える手段は、すべて使う――俺を『支え』だと言ってくれた皆を、この手で守るために。


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