第六話 山間にて
馬車に揺られて三十分ほど、時々客車の窓から外の風景を見たりしていたが、西方領への公道は整備されているものの、四方が山に囲まれているからか獣によって荒らされやすく、ボコボコとした道に差し掛かるたびに大きく揺れが伝わってくる。
「レンドルさん、大丈夫か? 座りっぱなしできつそうだな」
「……少し、揺れが……馬車に乗るのは、久しぶりなもので……」
さすがにこの揺れでは、どんなに三半規管が優れていても酔ってしまうだろう。俺はといえば、実は馬車に乗る前に酔い止めを飲んでいるので揺れは気にならない。
「酔い止めの薬を飲んだほうがいい。少し眠くなることもあるが、よく効くはずだ」
「……はい、ありがとうございます」
ふらふらとしていてかなり気分が悪そうなレンドルさんだが、背中をさすったりするのは、なぜか彼を見ているとためらわれる。
(コートの肩が膨らんでるからわかりにくいが、この人の骨格は……あまり肩が張ってないんだよな。帽子を被ってるから分からないが、頭の形も中性的というか……そういう体質の人もいるが、珍しいな)
まさか男色なのではと疑われるようなことは避けたいので、コートを脱いでみてくれと言うわけにもいかない。しかし座る時に膝に手を置く所作など、つい気になってしまう。最初は微妙に内股だったのだが、俺が気にしていることに気づくと、少しずつ膝が開いて――と、これではまるで観察しているようだ。
酔い止めの飲み薬が入った小瓶を渡すと、レンドルさんは俺に背を向け、口元を隠していた襟を引っ張って下げると、一息に薬を飲みこんだ。
「んっ……」
「っ……」
喉の鳴り方すらも、何か妙に色気がある。断じて違う、俺はそんな趣味は持っていない。貴族の一部には男色を好む好事家もいるというが、庶民生まれの俺には無縁の文化だ。
「あ……すぅっとしてきました。このお薬は、グラス様がお作りになったのですか?」
「あ、ああ……果実酢と、茶の抽出物なんかを調合して作ったんだ。胃がすっきりするのは、ハッカ油を使ってるからだな」
「すごい……何か、食べ物の材料みたいですね。それでお薬を作ってしまうなんて」
人が口に入れられるもので薬を作るというのが基本なので、ハーブや果実など、あらゆる食材が薬の材料になりうる。
俺の場合、『植物性の材料』であれば、口に入れれば人体にどのような効果があるかを判別することができる。触っただけでも毒があるかは判別できるので、野草やキノコの毒に当たってしまうということもない。
万一毒に当たったとしても、解毒に必要な成分を持つ植物を探すことができる。薬学の授業では役に立ったが、やはり学院の体質上、それだけで一芸として認められるというわけにもいかなかった。
「……グラス様、いかがなさいましたか?」
「いや、酔い止めが効いて良かった。人によっては、あまり効果がないこともあるから」
「グラス様の作ったお薬が効いて、嬉しいです。私がもし風邪を引いても、グラス様に治療していただけますね」
「風邪にも色々あるけど、かからないように予防するのが一番なんだけどな。もし騎士団で流行りそうなら、事前に予防対策を伝えるよ」
レンドルさんと話していると、俺のすべきことは存外に多くあると思う。最も、まだ精霊医になりたての俺の技術は、医者としてはまだ未熟なのだろうが。
「酔い止めに果実酢を使われたそうですが……もしかして、無花果を使われましたか?」
「ああ、その通り。よく分かったな、レンドルさん。無花果が好きなのか?」
「い、いえ、風味は存じておりましたので。偶然当たってしまいました」
長老からもらった無花果は、随分薬の開発をするために役立った。しかし、学院内や俺の足が届く範囲にある植物だけでは、あらゆる病気を治すというわけにはいかなかった。
学院を出て、未知の植物を探す――そうすれば、もっと治せる怪我や病気は増える。そんな思いもあったが、長老たちをそのままにして行くのは躊躇われた。
しかし今朝、長老に挨拶をしたら、行ってこいと言われた。俺の手入れのおかげで、あと十五年は生きられる。その間に戻ってきてくれれば嬉しいと。
そして餞別として渡された果実が二つ、紙にくるんで鞄に入っている。他の植物たちも自分を連れていけというので、傷薬や熱冷まし、解毒に使える草を瓶に詰めて持ってきた。西方に行っても栽培できるように、球根や種もある。
「昼食には、乾パンと干し肉を持ってはいるんだが。俺も無花果が好きで、こうして持ってきてるんだ」
「果実を取ると、栄養の偏りが少なくなる……と、私の友人も言っていました」
「ああ、その通りだ。野菜でも果実でも、植物性のものは基本的に身体にいいからな。肉や穀物も重要だが、それ以外はどうしても不足しがちだ」
俺は生物に触れれば、どの栄養素が欠乏しているかも診断することができる。それを補うために摂るべき植物が頭に浮かんでくるのだ。
浮かんでくるものは、近くで採れない未知の植物だったりすることもある。中には魔物めいた外見の植物もいて、我ながら良し悪しのある精霊と契約したものだとも思った。
――しかし、未だに契約したときに見た神秘的な光景と、あの女性が何だったのか、手がかりすら得られていない。一度くらいは夢に見てもいいと思うのだが。
「では、そろそろ食事を……」
「いや……少し待ってくれ。何か、変な匂いがするような……」
「っ……グラス様、これは……!」
何かが焦げるような匂い。木が燃えるような――それが、窓からかすかに入ってきている。
山あいの道から、背の高い草が広がる丘陵地に出て進んでいた馬車が、急に停まる。
「お客さんっ、この先が何か大変なことになってるみたいで……うわっ、あれ、魔物……それも、あんなに大群が……!」
何が起きているのかを確かめるために外に出る。すると、向こうの丘の上にある、牧場の小屋から黒い煙が上がっていた。
何か、地響きのような音がさらに遠くから聞こえる――甲高い生き物の鳴き声も。そして、雲一つない青い空にいくつも火の玉が飛んで、次々に小屋へと突き立ち、火災を広げていく。
(あれは……首都近辺じゃ、一度も見たことがなかったが。ゴブリン……!)
褐色の肌を持つ、人間の子供くらいの体躯を持つ小鬼――それが十数体徒党を組んで、牧場を襲っているのだ。
「畜生め、鬼どもが懲りずにノコノコ来やがって! 俺の羊は渡さねえぞ!」
小屋から飛び出してきた一人の男性が、ゴブリンに向けて矢を放つ――しかしゴブリンもさるもので、どこから奪ってきたものか、鉄の兜で矢を弾いてしまう。
「ギィィィィッ!」
最後尾にいるゴブリンが、騎乗しているもの――それは、ゴブリンより一回りも大きな猪だった。柵をもろともせず蹴散らし、障害物をなぎ倒して猛進している。
土埃を巻き上げて突き進みながら、ゴブリンは巧みに弓に矢を番え、男性に向けて放つ――もう、傍観を続けていられる状況じゃない。