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第七十一話 暗夜の霧

 この砦に駐留している兵は、全部で二百人ほどでしかないようだ。前回要塞の西側から攻めてきた兵は千ほどで、二百五十余名を倒したという報告があったことを差し引いても、この砦以外に兵が駐留している場所が別にあると考えられる。


 ルーネの花粉を送り込んだ宿舎には、百人が寝泊まりしている。同じ規模の宿舎が二つあるので、レスリーには魔力の消費による疲労に効く薬を飲んでもらって気配を消す魔法を維持してもらい、二つの宿舎に催眠空気玉による工作を行った。


「これで、二百ほどの兵を無力化したのか……グラス、レスリー、疲労は大丈夫なのか?」

「今の俺の能力では、ルーネの催眠が同時にかけられる限界に達しかけてはいます。あと数人だけなら、遭遇した敵も催眠で排除できると思いますが」

「ふたりの魔法に頼りすぎてるし、速く片をつけないとね……」

「殿下、いかがなさいますか? 指揮官を捕えて兵士たちを投降させるか、軍船だけを奪取して脱出するか、選択は二つですわ」

「軍船を奪取できたとしても、今の風向きでは帆を張っても運河に出ることができません。時刻によって風の向きが変わるようなので、あと一刻半ほど待つ必要があります。天候が急に変化したりしない限りは……」


 ――アスティナ殿下がまさにそう言いかけた時だった。


 どこからか、水滴が落ちてきたように感じる。月が出ているというのに雨が降る――そんな現象も絶対にないわけではないだろうが、強い違和感を覚えた。


(雨じゃない……空気中の水分が集まって、水に変わっている……?)


「グラス兄、この霧……っ」


 レスリーは声を抑えつつも、慌てて俺の袖を引く。彼女の言う通り、急速に霧が立ち込めて視界が悪化していく。


 しかしこの状況でも、殿下とラクエルさんたち三人は冷静だった。殿下は視線を巡らせ、指揮官の宿舎ではなく、その裏手を指差す。


「向こうに見張りの手薄な資材小屋があります。急いで移動しましょう」


 殿下の指示に従い、俺たちは一気に移動を始める。見張りの兵が一人あくびをしていたが、気付かれる前に空気玉を飛ばして催眠をかけ、すれ違いざまに指示を出す。霧が出てきたので一度詰め所に戻れという、簡単なものだ。


 ――服が濡れる前に、何とか俺たちは資材小屋に入り込む。もし何らかの理由で敵兵が中にいたらと身構えるが、この時刻に出入りする者はいなかった。


「霧が出ると、隠れて動くにはちょうどいいような気がするけど……」

「この霧は自然に発生したとは思えません。おそらく、魔法による干渉です」

「少しの間、霧の範囲に入ってしまいましたが。敵の魔法士に気付かれていないでしょうか」


 可能性は否定できない――俺が植物を介して離れた場所の情報を得られるように、水の精霊使いも同じことができるはずだ。


 レスリーが空気を操って霧の侵入を防いでいるが、『精霊同士が接触している』と察知されてしまうこともありうる。


 しかし数分も経たないうちに、レスリーが怪訝な顔をする。


「……グラス兄、霧が消えた。どういうことだと思う?」

「索敵のためだけに短時間霧を出したんだとしたら、ここにいると攻撃されるかもしれないな」


 戦闘魔法士と正面からぶつかることは避けたい――ならば、どうするか。指揮官を拘束さえしてしまえば、敵もおいそれと指揮官を巻き込むような攻撃はできなくなる。


 そっと小屋の扉を開け、プレシャさんが周囲に視線を巡らせる。幸い、外の敵兵がこちらに集まってくるということはないようだ。


「指揮官宿舎の裏側、高いところに窓があるよ。あそこから侵入できないかな?」

「あの位置では、相当身軽な人でなくては入れそうにありませんわね……」

「では、私とプレシャ、グラスが行きます。ラクエル、足場をお願いできますか?」

「はい、承知しております。グラス、初めてのことで度胸が必要だとは思うが、覚悟を決めるがいい。殿下の直々のご指名なのだから」

「は、はい。足場というのは一体……」

「ラクエルがあなたの足を受け止めて、飛ばしてくれます。室内の安全を確かめてから決行しましょう」


 俺も追従せよと命じてくれることは光栄だが、みんなの身体能力についていけるかは少し心配だ――だが、迷ってはいられない。


「レスリー、俺たちが屋内に入っても気配を絶つ魔法は継続できるか?」

「……砦の中なら、離れても大丈夫。あまり離れすぎるとだめだけど」

「中に入ったら、指揮官を拘束します。ことが無事に済んだら、グラスの魔法で外にいる三人に知らせてください。それはできますか?」

「はい。レスリー、この球根が光ったら、無事に済んだ合図だと思ってくれ。もしくは、その球根を媒介にしてルーネを具象化させて伝言役にする」

「うん、分かった。グラス兄、気をつけて……」


 まずプレシャさんが先に出て、周囲を警戒してから俺とラクエルさんが後に続く。俺は木造の宿舎の壁に触れ、内部に起きている敵がいないことを確かめたあと、プレシャさんとラクエルさんに頷いてみせた。


 ラクエルさんはプレシャさんの足を受け止め、ぐっと力を入れて、高い位置にある窓まで飛ばす。無音で窓枠にとりつき、プレシャさんはするりと中に入って行く――殿下もそのあとに続くが、彼女の身体能力もさるもので、跳躍する姿がまるで天女のように光をたなびかせて見える――と、見とれている場合ではない。


「遠慮なく来い。一度で決めなくては、下で私に受け止められることになるぞ」


 男として、ラクエルさんほどの猛将であっても、お姫様のように受け止められることはなんとか避けたい。俺は腹をくくり、ラクエルさんに足を受け止めてもらい、垂直に飛ばしてもらった――何とか窓枠に手をかけて室内に身を乗り出し、屋根を支える梁に向けて、袖口に忍ばせた蔦植物の種子を発芽させて、ロープのように飛ばして絡みつかせる。


 後は蔦植物にゆっくり引き上げてもらってから、完全に身体が屋内に入ったあと、蔦を長く伸ばしてスルスルと降りていく。地面に降りると、プレシャさんが目を見開いて驚いていた。


(凄い……そんなことができるなら、飛ばなくても登れたんじゃない?)


(時間はできるだけ短縮した方がいいですから。何とか上手くいきました)


(ここは資料部屋のようですね。指揮官のところまで慎重に移動しましょう)


 ついに詰めのところまで駒を進めることができた――しかし。


 先程の霧の意味が、胸に引っかかっている。ノインがどこにいるのか、ジルコニア軍で重用されているならばこの指揮官室の中にいるのか――緊張しながら、俺たちは資料室の扉を開けて外に出ようとする。


「――ぐぁぁぁっ……!!」


 そして俺たちが、まさに部屋を出ようという瞬間に。建物のどこかから、誰が苦しむような声が聞こえてきた。


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