第七十話 隠密行動
ジルコニア軍の砦を囲う柵は、支柱となる太い丸太をある程度の間隔で打ち込んだあと、その間に補強材を橋のように渡して繋いでいき、間に細い丸太を打って埋めていき、最後にもう一度補強材を裏側から打つという構造になっている。遠目には堅牢に見えるのだが、近づいてみるとそれほど柵には資金が使われていないとわかる。
櫓に関しては、石を積みあげて堅固に組まれている。だが窓のある施設には催眠空気玉が入り込めてしまうので、全く脅威にならない。
レスリーが空気に干渉して、松明の明かりに照らされても俺たちの影が視認されないようにする。見張りは無力化したが、砦の周囲を回っている斥候がいる可能性もあるので、念には念を入れるべきだろう。
身を隠す遮蔽物がないので、松明の明かりが届きにくくなっている死角を選び、身を低くして一気に走り抜ける。
北側の柵に設けられた裏口は、近づいて見ると縦に並べられた丸太が途中で切れていることがわかる。足元を見ると元通りに埋めようとした形跡があるものの、地面に刺さるところで丸太が尖らせてあり、土がえぐれている――間違いない、この切れ込みの部分は動かすことができるのだ。
まず内側に誰もいないことを丸太の柵に触れて確認したあと、ラクエルさんは身を低くして息を吸い込み、一気に力を入れて押しこんだ。
「ふっ……!」
まさに剛力無双――振動が柵全体に伝わりそうなところを、魔法で丸太に干渉して影響を最小限に抑える。
屈んで通れるほどに隠し扉がこじ開けられたところで、すかさず中に入る。まず、目の前にあるのは図面によると食糧庫だった。
最初に侵入したプレシャさんが、すかさず走る――食糧庫の角を曲がり、ちょうど巡回してきた兵士がいたのだ。
「っ……!?」
プレシャさんの俊敏さは、まさに肉食の獣のようだった。敵が身構える前に槍の石突きで鳩尾を軽く打ち、敵兵は小さなうめき声を上げてその場に倒れ込む。
「手加減できたと思うけど……先生、後は頼んだよ」
敵兵を排除しながら進むことは簡単だが、それでは露見も早まる。そこでルーネの花粉による催眠を利用し、敵兵に『協力』してもらうことにした。
「あなたは十秒後に起き上がったら、見張りの経路を予定通りに巡回し、それを終えたら定時報告を行ってください。特に異常はなかった、と」
「……はい……かしこまりました……」
妖花の花粉を倒れたままで吸い込んだ兵士が、虚ろな目をして答える。そしてきっかり十秒後に兵士は起き上がり、周囲に気を配っているような素振りをしながら、俺たちの存在を見なかったかのように歩いていった。
(プレシャさん、角の向こうに敵がいても、空気玉を飛ばして催眠にかけることはできます。指揮官の宿舎まで、慎重に移動しましょう)
(うん、分かった。今のはちょっと危なかったね、ちょうど巡回してくるなんて……)
(プレシャが瞬時に反応してくれたおかげで助かりましたわ、私も矢を放つところでした)
砦の内部にも見張り台は存在するが、その視界に入ることなく進むことができる経路が存在する。まず、俺は殿下の許しを得て、敵兵の多くがいる宿舎が見えるところまで移動することにした。
マンドレイクの力を借りて敵兵を一掃する、それも一つの戦術ではある。だが俺は、二つの選択肢を用意しておくことにした。
宿舎には窓があり、開いたままになっている。換気のためなのだろうが、それが俺たちにとって助けとなるとは、敵兵たちも夢にも思わないだろう。
(殿下、ルーネの花粉を宿舎の中に送り込み、兵士たちを影響下に置きます)
アスティナ殿下は頷き、祈るように手を組みあわせる――魔力の供給準備は整った。あとは、ルーネに頑張ってもらうだけだ。
(……っ)
(……レスリー殿、どうした? 魔法を使い続けて、疲労が出ているのか)
(大丈夫です……これくらいなら。空気玉も、大きいと少し制御が難しくて……大丈夫、グラス兄。私は平気だから、続けて)
微笑みさえ浮かべて言うが、この作戦においてレスリーは不可欠の存在だ――彼女がもし力尽きたら、敵に発見されるリスクは跳ねあがってしまう。
(召喚主さま、準備ができたのです)
(よし……レスリー、頼む)
これが終わったら休もうとも声をかけてやれない。しかし、俺にできることがある――仲間の体調を診て応急措置をするのも、軍医の仕事だ。
(『眠りに沈む者たちよ、長き夢に迷い、妖花の園に惑え』)
詠唱とともにルーネの頭の上にある花が、花粉を生じさせる――それをレスリーは空気の中に封入すると、敵兵の宿舎へと正確な操作で送り込んだ。
そして俺は宿舎の壁際に、マンドレイクを召喚するための、彼女の分体といえる根を投げる。養分のある土さえあれば急速に根を張り、地面に沈み込む――これで、あの分体を媒介としてレイを具象化させることができるようになった。
(……グラス、宿舎の兵たちをマンドレイクの力で倒すつもりですか?)
(それも考えられますが、現状ではあの宿舎にいる兵たちには、催眠の効果で混乱を起こしてもらおうと思っています)
(二段構えということか。グラス、おまえは本当に戦いについて学んだことがないのか? 私などより、先のことを考えて動いているようだが)
(それは、王都第一の学府でもある魔法学院の学生さんですもの。私たちとは違う思考回路を持っていても不思議ではありませんわ……無事に帰れたら、戦術について勉強会を開くというのもいいですわね)
(そういうこと言うと縁起が悪いから気をつけなよ、ディーテさん。まあ、ディーテさんが一番しぶとそうだけど)
ディーテさんは優雅に微笑むが、それも一時のことで、俺たちは次の行動に移る。
――指揮官に対して催眠をかけるか、それとも。そして、未だに存在の感じられない魔法士は、この砦の中にいるのか否か。
レスリーのこともあるので、俺は歩きながら彼女の状態を診る――魔法を維持し続けることで、霊導印が熱を持っている。この症状には魔法士として常に対応する準備があるため、一時しのぎとはいえ、持ち合わせの薬で治療することができそうだ。




