第五話 精霊医の秘書
第二王妃が何を考えて俺を宮廷魔法士に選抜したのか、その理由に不透明な部分があるとはいえ、宮廷魔法士として認められたことを示す書類は本物だった。
俺の宮廷魔法士としての階位は百八位。かといって、即座に王国で百八番目の魔法士として尊敬されるわけでもなく、むしろどんな手を使ってその地位を手に入れたのかと疑われてしまいそうだ。
事実、不遇精霊を引いた生徒に露骨な嫌がらせをしたり、見下してくる生徒は多くいる。そういった輩が全てでないにしても、彼らが優秀だったりするとまた質が悪く、俺も何度も辛酸を舐めさせられた。
「いや、しかし痛快な話だな。世の中、まだまだ捨てたもんじゃあない」
ルームメイトのスヴェンは、俺より先に部屋に戻ってきていた。明日から西方に行くことになったと伝えると、初めは目を丸くして驚いていたが、すぐに祝福してくれた。
スヴェンは『石』の精霊と契約しており、その影響で髪が灰色になっている。老人と間違われることが多いと嘆いているが、まだ俺より一つ上の十九歳だ。
三年前にルームメイトになってから、俺とスヴェンは特に喧嘩をすることもなく仲良くやってきた。同じ不遇精霊を引いた同士として、近い扱いを受けていたこともあるが、決して俺たちは周囲の評価に納得し、へりくだっていたわけではない。
「不遇精霊なんてのは、頭の固い連中の作ったレッテルだ。なんて、『石』使いの僕が言うことでもないか」
「まあ、スヴェンは石頭だからな。本当に、よっぽど戦闘に向いてるってのに、みんな見る目がない」
「近づかずに吹き飛ばすのが魔法士の仕事だと見なされているから、仕方がない。僕は攻めるだけじゃなく、守りも必要だと思うがね」
スヴェンの口調は老成した印象を受けるが、時にレスリーから『おじさんみたい』と言われてへこんでいる。それもまた、彼が年齢より年を取って見られる理由の一つだ。
「……スヴェン、俺が出ていったら、レスリーのことをよろしく頼む」
「断る」
「っ……な、なんだそれ。お決まりの文句かもしれないが、俺は真面目に……」
俺とスヴェン、そしてレスリー。三人で行動することは多かったし、人見知りをするレスリーも、スヴェンのことは友人として見ているはずだ。
しかしスヴェンは肩をすくめ、俺が作った自家製の葉巻を咥えると、実験用のマッチで火を点けて煙を吸う。こう見えても肺や循環器の炎症を抑えるために使う薬用葉巻なので、健康を害することはない。
「グラス、その物言いに対しては、レスリーの代わりに怒らなければならないよ。僕はグラスの代わりにはなれないし、逆も同じだ。それに……」
「……それに?」
「いや、何でもない。それよりグラス、僕も君のように何かの資格を取って、今後の職探しを続けようと思っている。当面はこの寮にいるわけだから、もし学院に一時的にでも戻ることがあったときのために、この部屋はそのままにしておくよ」
「ああ、それは助かる。まあ、帰ってきてはいけないんだろうが、学院に用があって戻ることはなくはないだろうしな」
帰ってくるとしたら、アスティナ殿下のもとで認められたあと。何かの功績を上げ、自分の立ち位置を確立して、休暇を貰ったときのことだろう。
もしくは、西方での役目を完遂するか。いずれにせよ、数年、あるいは十数年はかかる。
「さて、今日くらいは街に出て飲むとしようか。親友の栄達を祈って、祝杯を挙げよう」
「栄達か……そうなるといいんだけどな。まず、やはり使えないと言われて、宮廷魔法士の認可を消されないようにしないと」
スヴェンが壁にかかったジャケットを羽織り、俺もそれに倣う。そこまで自由になる資金の多くない俺たちは、他の学生と違って、娯楽はささやかなものに限られる。
それでもその日、俺はスヴェンと飲んだ安酒の味を、西方に行っても忘れるまいと思った。
◆◇◆
翌朝、魔法学院の正門に馬車が迎えに来ているというので、俺は荷物を持ち、制服の上から正装のロングコートを羽織って表に出てきた。
春先とはいえ肌寒く、たまに朝霜が降りていることがあるほどだ。今日は比較的暖かいが、西方はどうなのだろう――北方国境付近は高地で気温が低く、雪に悩まされるというので、それよりは適応しやすい環境であることを期待したい。
「グラスに……グラス・ウィード様でいらっしゃいますか」
「っ……び、びっくりした。俺に何か用ですか?」
馬車を待っている間に、声をかけられた。それくらいならさほど驚いたりはしないが、声をかけてきた人の異様な風体に不意を突かれ、思わず狼狽してしまった。
その男性――やたらと声が高いが――は、黒い執事のような服の上からコートを羽織っている。小柄だが、少し底の厚い革靴を履くことで身長を稼いでいて、目線の高さは俺とそれほど変わらない。
しかし面と向き合うだけで驚いてしまったのは、彼がコートの襟を立てて口元を隠し、帽子を被って、さらに魔法学院でも一部の教師しか使用しないような、色の濃い眼鏡をかけていたからだった。
(なんて胡散臭い服装……いや、人にはそれぞれ事情がある。声が高くて少年みたいに見られるから、顔を見せないようにしているのかもしれない)
俺は自分の中で何とか折り合いをつけ、声をかけてきた男性の異様な風体を受け入れた。
「このたびは、宮廷魔法士に抜擢されたとのことで、まことにおめでとうございます。私はレ……レンドルという者です。宮廷魔法士となられたグラス様の、従者の役割を任じられました。そのため、これから西方まで同行させていただきます」
「レンドル……学生では聞いたことのない名前ですね。それとも、俺が知らないだけかな」
「学生ではありません、私は学院長からじきじきの指名を受けて、執事協会から派遣された者です」
宮廷魔法士になると、義姉さんと同じように秘書がつくことになるのか。義姉さんの場合は女性の秘書が数人ついているが、俺の場合は男性の執事がつくらしい。
「執事というか、俺の秘書になってくれるってことですか?」
「はい。軍医はとても多忙な仕事です。騎士団員の方々のカルテの管理など、何でもお申し付けください。治療の際は助手を務めさせていただきます」
見た目は正直を言って怪しいと言わざるを得ないが、一人で知らない土地に行くよりは、一緒に来てくれる人がいるのはとても心強い。
「分かりました、俺も向こうに行ってすぐ軍医の仕事を始められるか分かりませんが、やれるだけのことをやるつもりです。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、グラスに……グラス様」
右手を差し出すと、レンドルさんは控えめに握り返してきた。手袋をしていても、やはり小柄なだけはあって、手が俺より一回りくらい小さい。
「……あれ?」
「ど、どうかなさいましたか……?」
「いや、すみません、何となく友人のことを思い出して。彼女も元気だといいんですが」
レスリーは見送りに来てはくれなかったが、無事に西方に着いたら手紙を出そうと思っている。実は、昨夜のうちにすでにしたためておいた――俺が行く先は前線なのだから、いつ何があってもおかしくない。
「これ、友人への手紙なんです。何かあったときのために、レンドルさんに預かってもらっていいですか。最初の頼みがこれっていうのも、重いとは思うんですが」
「……いえ、重くなどありません。確かに、お預かりします」
「ありがとうございます」
俺はレンドルさんに手紙を預ける。彼はそれを、コートの内ポケットにしまいこんだ――小柄なのに、何か胸板が厚く見える。
「レンドルさん、何か武術をやってるんですか? 胸板の厚みがすごいですね」
「っ……い、いえ。これは、何というか……お恥ずかしい話ですが、鳩胸なので、さらしを巻いているんです」
「あ……そ、そうなんですか。すみません、変なこと聞いちゃって」
「いえ、お気になさらず。それと、私は秘書ですから、敬語は必要ありません」
「わかりました。じゃあ、遠慮なく……レンドルさん、馬車が来たから行こうか」
同年代の男性なのだから、レンドルさんとも友人として関係を築けるといい。
幌付き馬車の客席に乗り込むと、後からレンドルさんが乗ってくる。彼は馬車に入っても帽子を脱がない――まあそういう人もいるから、深く追及はしなかった。
「……西方の土地は私も初めてなので、どのような場所か楽しみです」
そうやって話しかけてくれるレンドルさんのおかげで、俺は西方に着くまでの間、一人で考えを巡らせて不安になったりせずに済みそうだった。