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第六十七話 決行前

 本来なら要塞の守将である殿下が敵地に潜入するなど、無謀と言われるところだろう。


 しかし彼女と同等の個人戦力が、この要塞には存在しない。ラクエルさんは重装騎兵としては唯一無二の役割を果たすことができるが、潜入任務の際には剣を使うことになり、アスティナ殿下の剣技には一歩及ばないとのことだった。


 それでもラクエルさんは要塞内で二番目の剣使いだという。プレシャさんは片手槍を使わせれば、右に並ぶものがないとのことだ――筆頭の射手であるディーテさんも加わり、この四人が揃っていれば困難な任務も果たせるのではないかと期待を抱きはする。


(問題は、俺が敵の魔法士に対抗できるかだ。レスリーもいてくれるが、二人とも戦闘魔法士と戦った経験はない。学院にいたとき、模擬戦に参加できていれば……)


 戦闘魔法士と比べれば、俺たちは素人の扱いだろう。魔戦士であっても、魔法士を相手にして型にはめられてしまうと、強みを活かせずに封殺される可能性がある。


 俺の役目は、精霊魔法でしかできないことで貢献することだ。そしてレスリーも同行してくれることで、彼女の精霊を活かした作戦を立案できる。


「敵に察知される危険は、どうしても河を渡るときに冒さなくてはならないと思っていましたが……『空気の精霊』とは、気配を完全に絶つことができるのですね」

「はい。私の魔力だけでは、大人数の気配を絶つとすぐに枯渇してしまいます。でも、王女殿下のお力を借りることで、維持できる時間がとても長くなります」


 レスリーは眼鏡を外し、素顔を見せている。ラクエルさんは初め目を見開いていたが、ディーテさんが落ち着いているのを見て、それに倣うように一つ咳払いをしただけで、いつもの冷静な彼女に戻った。


「……レンドルではなく、レスリーか。なぜ男性としてグラスに付き添ったかは、今は聞かずにおこう。必要なことだった、というのみだな」

「男性が女性のかっこうをして潜り込んでいたら、それはお仕置きの必要が出てくるかもしれませんけれど。ただ、この要塞には適齢期の兵士たちが多いですから、女性と知って落胆する方もいるでしょうね」

「私は身の回りに流れる空気に干渉して、周囲に与える印象を変えることができます。男性女性という以前に、気配を消せば認識されませんから」

「そうなのですか……それは凄いですわね。これまでも、極力そうしてきたということですの?」

「はい。広範囲の空気に干渉するのは難しくなりますが、限定された範囲なら、さまざまな形で空気を変質させられます」


 レスリーの精霊について知れば知るほど、思うことがある。


 彼女が今まであまり精霊について語ろうとしなかったのは、何故なのか分かる気がする――あまりにも、『潜入工作』に適しすぎているからだ。


 完全に気配を消し、空気を変質させる――例えば空気から人体に必要な成分を奪い、窒息させて標的を攻撃する。そんなことができるとレンクルス家に知られていたら、レスリーはもっと早くに家に連れ戻されていたかもしれない。娘を政略に使おうとする野心家が、空気の精霊が持つ力を知って、何の謀略を巡らせないというのは、楽観的と言わざるをえない。


「グラス、レスリー……貴方たちを危険な任務に同行させることは、本来してはならないことです。しかし私たちは、魔法の力を借りなければ、この局面を打開できそうにない……そのことを、許してください」

「敵軍も魔法士の力を借りています。魔法士に対抗できるのは、魔法士だけ……俺たち二人は戦闘魔法士ではありませんが、魔法士ではあります。何をされているかも分からないままで倒されてしまうことは防いでみせます」

「……先生、ありがとう。本当なら、先生はもっと……」


 宮廷魔法士となることを諦め、医者として王都で働く。それも、選択としては確かに存在していた。


 しかしそうしていればよかったとは、全く思っていない。こうして殿下に同行を許可されたことを、心から誉れだと思っている。


 要塞の中にいる人々、領地の民――癒やすべき人は多くいる。神樹の庭園も、より美しい姿を取り戻せるように尽力したい。


 ジルコニアを止めなくてはならないと、いつか思った。それを成し遂げなければ、何も始まらない――だからこそ。


「ふぁぁ……とっても真面目なお話をしてるのです。レイ、ぞくぞくしませんですか?」

「……召喚主様は、死なない。私たちが、お守りするから」

「そうなのです! 召喚主さま、私たちや全ての仲間たちの力を頼ってほしいのです。その気になったら、悪い人たちのすみかにいっぱいレイの仲間を召喚して、みんなやっつけることだってできるのです!」


 俺たちは作戦室で出発の準備をしながら話していたのだが、そこをアルラウネとレイが覗きこんでいた。


「そうなんだよね……グラス先生って、本当に手加減しなかったら、物凄く強いんじゃないかって思ってるんだけど、どうなの?」

「うむ……グラスが来てから、常に貢献してくれている。確かに戦闘魔法士のような大規模攻撃はしていないが、陰から支える力には相当なものを感じるな」

「それだけではありませんわよ。グラス先生は、夜のケアも万全ですわ」

「……ディーテ、それはどういう意味ですか?」


 思わせぶりな言い方だが、俺はディーテさんが言わんとするところが分かっているので、敢えて黙っていた。アスティナ殿下の淡々とした口調が、何か迫力を感じたからというのもあるが。


「眠りが浅いことを相談しましたら、良いお花を教えてくれましたの。部屋に置いておくだけで、久しぶりに良い夢が見られましたわ」

「ゆ、夢って、そういう意味じゃ……ディーテさん、わざと変な言い方してない?」

「ふふっ……あまりに貴方たちが悲壮な顔をしているものですから。それは、敵地に潜り込むのは危険ですわ。けれどそういう時こそ、普段と同じように落ち着いているべきです。死神は、恐れる人にこそ近づくものですわ」


 ディーテさんが微笑むと、皆の表情が和らぐ。彼女がこの要塞でどんな役割を担ってきたか、改めて分かった気がした。


「さて……潜入用の装備の準備も済んでいるでしょうから、着替えに参りましょうか。殿下、装備をお手伝いさせていただきますわ」

「いえ、一人で大丈夫です……ですが、互いに装備の確認はした方が良いでしょう」

「殿下、河を渡るためには小舟を利用されるのですか? それとも……」

「お水を渡るときには、お友達の植物の力を借りられるのです。召喚主さま、お耳をお借りしてもいいですか?」

「ん……なんだ?」


 アルラウネのそばに屈み込むと、彼女が俺の耳元で囁いてくる。


「そうか……『そういう植物』が、精霊界にもあるんだな……!」

「はいなのです、きっとお役に立てるのです。私が精霊界に行って呼んでくるのです!」


 水を渡るために使える植物――それを召喚すれば、運河を難なく渡り、送還することで痕跡を消すことができる。


 俺はアルラウネが精霊界に戻っているあいだに、装備を済ませることにした。男物の装備がないというが、要塞の武具整備係の人たちが、ありものを調整して準備してくれるという。軍医が武装するというのも滅多にないことだと思うが、命を守るためにも備えは必要だ。


 作戦決行時刻は、日が変わってから一刻ほど過ぎたあたり。他に何を備えておくべきか考えながら、俺は武具を受け取りに向かった。


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