表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/104

第六十六話 夕焼け

 四階層まで上がると、夕日の色が辺りを染め上げていた。


 殿下は渡り廊下に出て、城壁に渡る。一度も振り返らず、歩き続けて――彼女が足を止めたのは、要塞東側の城壁の上。人々の暮らす町が見える場所だった。


 白い鳥の群れが、向こうの空から飛んでいき、要塞の近くを過ぎていった。その先にあるのは、ジルコニアの領地だ。


「……今日という日まで、ただ耐えていれば、王位を望むと自分から申し出なければ、いつかしがらみも解けると思っていました」


 弓を撃つための、長方形の窓。ここから何本の矢が放たれて、先日アレハンドロ将軍が率いてきた兵たちを射抜いたのだろう。


 四角く切り取られた空を背にして、殿下は俺を振り返った。


 ――まるで、人でないような。神が一つの間違いも犯さずに作り上げたような美貌。その瞳に帯びた深い憂いは、俺の身体をその場に縫い止めるような魔力があった。


 指先一つ動かせない。自分が普段どうやって呼吸をしているのかも忘れそうになる。


「私の実母……第一王妃アムネリアは、若い頃から身体が強くありませんでした。第一王子……私の兄も幼いころから伏せりがちで、そうわかったときから、陛下は周囲の貴族たちから『強い世継ぎ』をと望まれていたのだそうです」


 王に求められること、そのうち最も重要なことの一つが、世継ぎをもうけること。


 レーゼンネイア王国は、建国王から連なる王家の血筋が、常に王位を受け継いできた。


 身体が弱いとされている第一王子が王になれば、求心力が弱まりやすくなる。王家の権勢を盤石にするためには、より強い世継ぎが求められるのは必然だ。


「……しかし、それから生まれたのは三人ともが王女でした。国王の嫡子である王子のみが王位を継いできたこの国では、私たち王女も王位継承権を持ってはいますが、第一王子の継承順位が一番上であるため、国王となると目されていました」

「その状況が、変わった……第二王妃が、陛下の側室となられたことで」


 殿下の言葉を引き継ぐと、彼女は頷きを返す。


 だが、同時に俺はもう一つの可能性を考えていた。アスティナ殿下が軍人として功績を上げたことで、彼女が王位を継承する目が出てきたのではないか――実際に、そうなってもおかしくないと思えるほど、彼女は王国に貢献しているからだ。


「陛下は、第一王妃の立場を悪化させたくはなかったのです。第二王妃を迎えたあとも、陛下はアムネリア妃殿下への思いやりを示されていた。私は母や、兄姉たちを守るためにも、自ら志願して騎士学校に入り、士官としての教育を受けました。それは、私たちのことを案じてくださる陛下のお心を、少しでも安らげたいと考えたからです」


 そしてアスティナ殿下は、騎士学校でその類まれなる剣才を開花させた。


 ――一つ、気になることはある。殿下が幼い頃に『選霊の儀』を受け、それが中断されていたという事実だ。


 アスティナ殿下は『魔法士』にはならず、自覚なく『魔戦士』となったことで、万夫不当の強さを得た――しかし魔力を常に大量に消費している状態となり、不安定な状態になってしまっていた。


「私は軍人となり、意識せずに魔力を利用して、魔戦士としての力を発揮していた……国を守るために、東方国境の最前線で戦い続けました。初めは五人の兵を預かり、指揮する小隊長から……半年で攻撃隊長として任じられるまで、数え切れないほどの戦場に赴きました」


 殿下は腰に帯びている剣に手をかける。柄を握るのではなく、柄頭の部分を包み込むようにして、彼女はしばらく何も言わずに目を閉じる。


 祈っているのだと分かったときには、俺も目を閉じていた。その剣で斬ってきた、幾多の敵兵のために、彼女は祈りを捧げているのだ。


「……東方に赴いて、二度目の春のことでした。軍団を指揮していた将軍が敵の矢に倒れたことで、私はその時から『将軍』の肩書を引き継ぎました。ラクエルはそれ以前からの私の部下でした。騎士学校からずっと、私は彼女と共に歩んできたのです」


 殿下は自分の両手を見る。夕日を浴びた手を見つめながら、彼女は言葉を続けた。


「私には人間の情というものが無いのだと思っていました。どれだけ強い騎士でも、人を斬れば悪夢を見て、心をすり減らせていく……私はそうではありませんでした。必要なことであれば、どれだけでも人を斬ることができた。そんな自分は、周囲から恐れられているとばかり思っていました」

「……ラクエルさんは、違っていたんですね」

「そう……彼女は私よりも気高く、強い女性です。そんな彼女が、私にあこがれていると言ってくれた。私のような騎士になりたいと」


 ラクエルさんにとっては、殿下の存在そのものが誇りに他ならなかった。


 彼女だけではない、この要塞にいる誰もがそう思っている。まだここに来たばかりの俺ですら、迷いなく言える。アスティナ殿下を、尊敬していると。


「多くの敵兵を斬ってきた私が、こんなことを言うのはおこがましいのでしょう。グラス……あなたが要塞の兵たちを……いえ。ゴブリンの矢を受けた牧場の主人を治療するところを見た時から、私は思っていました。叶うのなら、あなたのような力が欲しかったと」

「……俺は……殿下に、そこまで言っていただくようなことは……」


 ずっと、必要とされてこなかった。


 戦争で役に立つ精霊だけが、価値を認められる。そんな学院でも、同じ『はずれ』の仲間たちと、絶対に心だけは折れないと誓いあった。


 『はずれ』なんかじゃない、何か価値があるはずだ。今は認められなくても、いつかは――。


 喉から手が出るほどに望んでいた。誰かに必要とされることを。


 戦うためではなく、人を癒やすために学んだことを見ていてもらえた。初めは俺のことを見ていないと思っていた殿下が、最初の出会いから覚えていてくれた。


 今何かを言えば、情けない声が出てしまいそうだ。そんな俺を見て、殿下はかすかに笑った――風が流れて、殿下の髪を揺らす、ごくわずかな間だけ。


「私は、国王陛下のご意志を問わねばなりません。ヴァイセックはジルコニアの攻撃で死者が出ている状況に目もくれず、私を失脚させるための挑発に神経を傾けていた。彼は死んでいった者をこの手で葬ることも、彼らのために祈ることもしていない。それでは、この国のために命をかけた者が報われない」


 一番憤っているのは、プレシャさん――そして、ラクエルさんだと思っていた。


 だが、違っていた。前線に出て兵を守る、そんな指揮官である殿下が、ヴァイセックの侮辱を許すわけがなかったのだ。


「中央は、ジルコニアに対する防衛に力を貸す気はない。この騎士団の兵を見殺しにするというのなら、私はそれを受け入れるわけにはいきません」

「中央に、背くと……そう仰るのですね」

「いいえ……まだ、表立ってその意志を示すわけではありません。私たちはこれから、捕虜を解放します。しかし、ただで返すわけではありません。グラス……あなたの力があれば、私たちを陥れようとしている者が誰なのか、手がかりを掴むことができるかもしれません」


 精霊の媒体となる植物を捕虜に持たせる。それは俺も考えていた――遠隔地でアルラウネを具象化させられるようになったのだから、上手くすれば、捕虜を介して情報収集を行うことができる。


「そして、ジルコニアは私たちが攻撃をしてくるとは思っていない。河向こうの拠点を奪い、捕虜とともに交渉の材料とします。私たちと敵対することが得策でないと考えさせるには、敵を大きく動揺させなくてはなりません」


 そのためには、ジルコニアからの急襲を可能にした水の魔法士――ノインを、何らかの方法で打ち破る必要があるだろう。


「ヴァイセックについては、すでに密偵をつけています。彼は西方領から真っ直ぐ出ようとしていない……もし西方領の状況を視察するようにと命令を受けているのなら、私に報告されていないことになります。私には、指揮下以外の軍人であっても、領内での無断の諜報活動を咎める権限があります」


 もしその規定を無視して、ヴァイセックが抗弁するとしたら。ヴァイセックは規定に反した行動をした理由を説明しなくてはならない。


 おそらく彼は黙秘するだろう。その時は今までもしてきたように、魔法による『尋問』を行うまでだ。


「……何もかも、貴方の力に頼ってしまっていますね。私は軍略に長けていると言われたことがありましたが、それは、敵が攻めてくる予兆や方向を感じるなどの、理屈のないものでしかないのです」

「いえ……そのお力は必ず、騎士団の力になります。神樹と繋がった今、殿下の先を読む力は、より増しているということはありませんか」

「そう……ですね。神樹がささやいてくれる、その感覚は確かにあります。来るべき時に、『神託』を求めることになるでしょう」


 俺たちが確実に知っておかなければならないこと。それは、アレハンドロ将軍やノインといった、敵軍の要となる人物の所在だ。


 ジルコニアに、俺たちと戦うべきでないと判断させる。それは容易なことではないが、最初から不可能と決めつけては始まらない。


 敵が再び大軍を送ってくる前に、戦況を変える。そのために動くべきはいつか――できるだけ早い方がいい、そう考える俺を見て、殿下は言った。


「敵拠点への潜入は、今夜。警戒が最も薄まる深夜に決行します」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ