第六十三話 癒やしの神眼
西方領で私兵を持っている豪族はラインフェルト家だけでなく、幾つもの豪族たちが連なり、昔から農民たちから税を徴収する代わりに、彼らを守る役割を果たしてきたのだという。
スナイダーの父である前当主ハルトナーは、レーゼンネイア王家に表面上は従属しているが、要塞が完成してからも自主的に挨拶に上がることもなく、軍需食糧についても最低限だけを供給するのみとして、アスティナ殿下との対話を避けてきた。
「これまで、ラインフェルト家は東にありますポルトロの町から、この辺りの農村地帯、さらに西方に広がっております森林地帯まで自治下に置いておりました。しかし、灰色の土が広がり始め、魔物が出始めてから、父は一度も兵を送らなかった。魔物を相手にして疲弊したところを、一気に騎士団に接収される恐れがあると考えていたのです。しかし、そうではなかった。それどころか……」
アスティナ殿下の姿を、スナイダーが直視できないでいる理由はそこにもあった。
森の異変に気づきながら、手出しすることができなかった――しかし農民にはその地に留まれと命じた。その矛盾を、スナイダーも理解していたのだろう。
「魔物が出ていたのは、あなた方の責任ではありません。王家の管理していた森を、放置してしまっていた私達の……」
「もしそうであるとしても、私どもは農民を守る役目を負いながら、何もすることができませんでした。騎士団の方々が、たった数人であの森に向かわれたときも遠くから見ているだけで、ただ嵐が過ぎるのを待っていたのです。そして私たちは、ジルコニアが攻めてきていることすらも静観していた……それでは、領主たる資格はありません」
スナイダーは、俺たちが最初に廃棄庭園を訪れた時のことも把握している。そして、アイルローズ要塞が激しい攻撃にさらされていることも。
殿下は、前線より内側にも兵力を配置したいと考えていて、中央が要請を無視していると言っていた。ラインフェルト家が騎士団の指揮下に入るのであれば、一向に派遣されない援軍を待たなくても、後顧の憂いを減らすことができる。
何より、友好関係にない豪族の軍が領内にいるというのは長期的に見て危険だと言えるので、その心配が無くなっただけでも非常に大きいはずだ。
「あなた方の考えは分かりました。あなた方には、平常はジルコニアに対する警戒にあたってもらいたいと思います。敵が要塞への攻撃ではなく、領内へのすり抜けを狙ってきたとき、私達だけでは対応が遅れるかもしれませんから」
「かしこまりました、殿下。しかし、我らは既にジルコニアと戦い、自分たちの領地を守り抜きたいと決意しております。可能であれば、攻撃にも……」
「あなたが前線に出てもし命を落としたら、ラインフェルト家の統率が取れなくなります。敵国との戦いは騎士団に任せ、私達と連携しての守備に徹底してください。敵襲について情報を共有し、協力できるだけでも、私は大きな貢献だと考えます」
「はっ……厚くお気遣い頂き、感謝いたします。少しでも貢献できますよう、今日この瞬間から努めてまいります」
アイルローズの騎士団に、スナイダーの率いる兵が組み込まれるということではない。彼らは今後も独立して動くが、ジルコニアの襲撃があれば騎士団と連携する。
2930ほどになっていたアイルローズの兵に加え、500の兵が別働隊として動くことができる。前回二方向から攻められたが、手薄な側にスナイダーの部隊が加勢してくれれば、より有利に戦いを進められるだろう。
それとは別に、もう一つ医者として気になることがある。スナイダーの父親が、病床に伏しているという話だ――しかし、まだ会ったばかりで病状を聞くというのは無礼にあたる。
しかし、遠慮して何も聞かずにおくということもできない。恩を売るというわけではないが、話を聞くだけで、ここで有効な治療を指示できる可能性もあるからだ。
「プレシャさん、すみませんが、殿下にお伺いを立ててもいいでしょうか」
「病気だっていう、あの兄妹の父親のこと? グラス先生が心配するのは分かるけど……簡単には、事情を話してくれないんじゃないかな」
「……聞いてみるだけでも、お願いしたいです。グラス兄は、もし何もせずにおいたら、悩んじゃうと思うので」
「い、いや……それじゃ、脅かしてるみたいじゃないか」
「うん、分かった。それじゃ、ちょっと殿下に話してくる。駄目だったらごめん」
プレシャさんが馬車を離れ、アスティナ殿下に礼をしてから話しかける。すると、スナイダーの後ろでずっと膝をついていた少女が立ち上がり、何かを殿下と話している――そして。
スナイダーの了承を得られたのか、少女がプレシャさんに付き添われてこちらにやってくる。俺とレスリーは馬車を降りて応対した。
銀色の鞘に収まった細剣を帯びており、ただ兄に追従してきた豪族の子女というだけでなく、彼女も剣術を身につけていることがうかがえた。
「はじめてお目にかかります、皆様方。私はラインフェルト家のクーフィカと申します」
「初めまして、俺はグラス・ウィードです。すみません、まだお会いしたばかりで……父君の容態について、できればお話を伺えればと思ったのですが」
クーフィカと名乗った少女は表情を曇らせる――気丈に挨拶をしていたのに、やはりそれだけ父親の病状が芳しくないのだろう。
「……父は、一週間前から熱病のような状態になってしまって……いつの間にか足が腫れていて、ポルトロの診療所からお医者様に来てもらい、治療を受けたのですが。苦痛が和らぐ程度で、今も……」
「足が腫れて、熱が引かない……まずいな。父君に症状が出る前、外に出られていませんでしたか?」
「……父に原因があるというのですか? あれほど病床で苦しんでいる父に、鞭を打つようなことが、お医者様の……っ」
「落ち着いて、これも病気を治すために必要なことなんだから。父君が心配なのは分かるよ、でもね、グラス先生に当たっても何にもならないでしょ」
プレシャさんが、俺に食ってかかろうとしたクーフィカを押しとどめて諭す。クーフィカはぽろぽろと涙をこぼし、泣き始める――それほど、父親の容態は急に悪化し、彼女の目から見ても危険な状態なのだろう。
事は一刻を争う――だが、俺に要塞に戻る前に、ラインフェルト家に立ち寄る時間はあるだろうか。
「……申し訳ありません、取り乱したりして。今からでは、とても治療は間に合いません……それなのに、お父様をあんなにしてしまった自分たちのことを、棚にあげて……」
「いえ、まだ間に合う可能性はあります。適切な処置を行って、血清を投与する必要はありますが」
「っ……ど、どうして、話を聞いただけで、そう言い切れるんですか……?」
「クーフィカさん、父君は毒虫に刺された可能性があります。毒を持っている生物は他にもいますが、もし毒蛇だったとしたら、一週間ももたなかったでしょう。父君が発症する前に赴かれた場所について教えてもらえますか?」
騎士団をよく思っていない人物を治療することには、リスクがある――分かってはいるが、それで救える患者を見殺しにすることは、果たして賢い判断だと言えるのか。
「……ハルトナーが回復したら、また騎士団に反発するかもしれない。でも、そういうことでは判断しないんだよね。グラス先生って人は」
「いや、俺も万能じゃありません……残念ながら時間が経っているので、完全に治るとはいかないかもしれない。後遺症が残る可能性もある……しかし俺は家族の意志も尊重したい。治療すべきか、そうでないか、スナイダーさんとあなたの気持ちを知りたい」
その涙を見れば、クーフィカの心情は疑うべくもなかった。
スナイダーがこちらにやってくる。彼は泣いている妹の肩に手を置いて宥めると、俺を見る――聡明な跡継ぎという印象。その冷めているようにも見えるが、内側に熱のある瞳は、どこかスヴェンにも似ている。
「……どうか、父を救う方法があるのなら、教えを乞わせていただきたい。もし父がやはり騎士団には従わないと言い出しても、それでは筋が通らない。しかし私たちにとっては、やはり親は親なのです。できるならば、生きていてもらいたい」
「分かりました。事は一刻を争いますが、要塞にも負傷者がいるため、俺はすぐに要塞に戻らなければいけません。ですから、ここで指示を出します」
「っ……直接見なくても、処置ができるなんて……そんな、神様みたいなことが……っ」
できる。神様でなくても、症状を聞けば、あとは現地の医者に任せても大丈夫だ――手術が必要なら話は別だが、毒ならば種類によっては服薬で対処できる。
神樹は植物を統べる存在だ――彼女と契約した今、ハルトナー氏が毒を受けたと思われる場所を聞けば、そこにどんな毒を持つ生物がいるのかも、植物が教えてくれる。
「話してみてください。父君が赴かれた場所が、どこなのか」
「……父が、倒れる前に行ったのは……」
クーフィカに教えてもらった場所はどこなのか、俺は神樹に尋ねる――すると、答えが帰ってくる。ここから南東の方角にある湿地だ。
その湿地に生息する毒性生物は、数時間で家畜を死に至らしめるほどの強力な毒を持つ蛇――そして、熱病のような症状を起こし、二週間ほどかけて感染者を死に至らしめるという『ダニ』がいる。
毒の種類さえわかれば、解毒剤を作ることができるかどうかも分かる。あらゆる植物の持つ解毒作用を俺は把握することができ、必要ならば調合して、新たな解毒成分を作ることもできる――神樹と契約する以前なら、俺が見たことのある植物の情報しかなかったが、今は違う。
全ての植物が、俺の力となる。ハルトナー氏に必要な解毒薬は、要塞からこの農地に至るまでの道の途中で採取できる植物から抽出できる――薬を作ることができたら、あとは熱冷ましなどの処置について教えるだけだ。




