第六十二話 友軍
麦畑の農道を、俺たちは馬車に乗って進んでいく。途中で農家に差し掛かると、先程は悲壮感しかなかった一家の面々が、元に戻った畑の姿を見て喜びが冷めやらず、子どもたちが犬と一緒に走り回っている。
一家の長なのだろう、先刻も話した中年の男性は、妻らしき女性と手を取り合っていたが、俺たちが来たことに気づくと、男性だけがこちらにやってきた。
「王女さま、それに御一行様……本当に、感謝してもし尽くせません。あの灰色の土を止められるとは、一体どのような奇跡を……」
「あの森は、かつて我が王家が庭園として管理していた場所です。元はといえば、私達が庭園の管理を放棄したことが原因で、今回の事態を生みました……しかしここまで何もできずにいた状況を、今日という日に変えることができました」
俺の名前を出さないようにしているのは、あらかじめ殿下に頼んでおいたことだった。
俺が植物の精霊使いであるということは、確かに農民たちに知ってもらうと、今後農家に何かを頼むときに信頼を得やすくなる材料となるかもしれない。しかし俺が神樹と契約し、大きな影響力を持っているというのは、広く知られると危険が生じてくる。
(今はまだ、俺の存在は敵に把握されてはいない。しかしジルコニアが、こちら側に通じているとなると……この農家の人が裏切ることはまずないだろうが、どこから向こうに情報が伝わるか分からない)
軍人と同じように機密を保持することを、領民に強いることはできない。軍医として務めを全うし、要塞の抱えている食料問題、医薬品の不足などを解決するための試案は、まだ俺の中にしかない――ならば殿下の方針通りに、俺の名をいたずらに広めすぎないでくれた方が有り難い。
信頼できる人物を、騎士団内部だけでなく、外部にも増やさなくてはならないと思う。今の俺には何の力も無いのだから、慎重に慎重を重ねて動くべきだ。
「私どもには、あの森から異変が広がっていると分かっていても、何もすることができませんでした。住み慣れた土地を棄てずに済んだのは、やはり騎士様方のおかげです。まさか、一度枯れてしまった麦が元に戻るとは思わなかった……先に村を離れた者たちにも、早く知らせなくてはいけません。今ごろ慣れない仕事をしているでしょうから、飛んで帰ってきますよ」
ずっと思い詰めた表情でいた農家の男性が、本来はそうなのだろう、朗らかな笑顔で話す。農地が元に戻り、同じ村の知人も戻ってこられるようになったのだから、嬉しくて仕方がないという様子だった。
――しかし、その表情が急に強張る。プレシャさんが武器に手をかけ、東の方角から近づいてくる、馬に乗った一団に鋭い視線を向ける。
「……あれは、このあたり一帯を傘下においているという、ラインフェルト家の旗印のようですね」
「は、はい……魔物が大量に出ていることを受けて、こちらに出向いてこられたのかもしれません。私どもは農地を離れるなと言われておりましたので、何を言われるか……」
「分かりました。私たちとは、関係が良好ではないのですが……それでも、あなた方には非がないということを説明します。家の中に入っていてください」
「申し訳ありません、王女様……そ、それでは……っ」
男性は怯えた様子で、家族と共に家の中に入っていく。殿下は俺たちに、馬車の中に入るようにと指示した――そして、プレシャさんが護衛についてくれる。
「たぶん、父親のほうじゃないから一触即発ってことはないと思う。父親のほうは、昔領地を騎士団に接収されたっていうんで、恨み骨髄だからね……」
「父親……ということは、そのラインフェルト家当主の子息が来ているということですか」
「そう。次期当主の息子がいて、その下に妹がいるんだったかな……あたしも又聞きだから、詳しいことは知らないんだけどね」
プレシャさんの言葉とおり、十人ほどの騎馬の一団を率いているのは、金の髪を持つ若い男性だった。同じ髪色の、まだ少女といえる年齢の女性が、その斜め後ろから追従している。彼らがおそらく、ラインフェルト家の子息たちだろう。
殿下に近づく前に、礼を示してということか、彼らは馬から降りた。しかし騎兵は武器を構えていないとはいえ、横一列に並んでおり、不気味な威圧感を放っている。
「ハルトナー・ラインフェルトが子息、スナイダーと申します。後ろに馬を並べてお話をさせていただくこと、どうかお許しください。アスティナ将軍」
「気にすることはありません。あなたの父君は、私たち騎士団のことを警戒しているでしょうから」
スナイダーと名乗った男性は、アスティナ殿下の姿を直視することができていなかった。威圧されているわけでもないのに、とても目を向けられない――殿下が巫女となったことで得た『神気』とも呼べるものがそうさせているのだろう。
「あなたがたの立場を考えれば、兵を連れてきたことを非難するべきではありません。人が減ったこのあたりでは、賊も出るでしょうから。それよりも、要件を話してください」
「……このあたり一帯の農村については、我々が元来自治権を主張してきました。その件について、見直しを頼みたく馳せ参じました」
「っ……」
プレシャさんが槍を握る手に力を込める。ラインフェルト家の主張を通せば、農地が元に戻って民が戻ってきても、食糧事情を解決する助けにはならなくなってしまう。
――しかし、違っていた。スナイダーの求める『見直し』とは、ラインフェルト家に農村の自治権を与えるということではなかった。
スナイダーは地面に膝をつく。追従していた妹らしき女性もそれに倣い、深く、深く頭を垂れる――それは、彼らラインフェルト家の殿下に対する恭順を証だてる行為だった。
「病床の父より、私はラインフェルト家の行く末を任されました。河向こうから我らの領地を脅かすジルコニアに対抗するため、このスナイダー・フォン・ラインフェルト、五百の兵と共に王国騎士団に忠誠を誓います」
スナイダーたちの後方に並んでいた馬上の兵たちが、剣を掲げ、祈りを捧げる――それは、彼らラインフェルト家の私設軍が殿下の麾下に入ったということを意味していた。




